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様似郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北海道様似郡の位置(黄:様似町)

様似郡(さまにぐん)は、北海道(日高国)日高振興局

人口3,776人、面積364.3km²、人口密度10.4人/km²。(2025年1月31日、住民基本台帳人口)

以下の1町を含む。

郡域

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1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。

歴史

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郡発足までの沿革

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江戸時代に入ると、松前藩商場知行制および場所請負制によるシャマニ場所(初期は幌泉場所とあわせて油駒場所とも)が開かれ、様似には北前船が寄航することもあった。

江戸時代初期1635年(寛永12年)にポロナイ川上流で金鉱が発見され、幕府直轄の東金山金鉱山が大勢の和人を集めていたが、1669年(寛文9年)のシャクシャインの戦いに伴い、東金山金鉱山が閉山を余儀なくされる。

江戸時代中期1706年(宝永3年)住吉神社の前身の小社が創祀されている。陸上交通は渡島国箱館から道東千島国方面に至る道(国道336号の前身)の途上であったが、沿岸部に通行の難所があったため、寛政11年蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿が中村小市郎、最上徳内らに命じ冬島 - 幌満間に道程3里(12キロ)弱の様似山道を開削、中継地点として「コトニ小休所」も設けられ、その翌年伊能忠敬も通行している。

様似山道が開削された年、様似場所は天領とされ、江戸時代後期に入ると、南部藩によるシャマニ山道修繕が1802年(享和2年)12月から翌3年にかけて行われる。また、様似山道には、後年松浦武四郎なども通行している。1806年(文化3年)幕府により蝦夷三官寺筆頭寺院である等澍院が建立される。慈覚大師円仁円空がこの地で修業したと伝わり、様似に建立されたという。1821年(文政4年)いったん松前藩領に復すが、1855年(安政2年)再び天領となり、仙台藩が警固をおこなった。1862年(文久2年)、様似山道開削に尽力した斉藤和助をしのび、和助地蔵尊が建立された。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して様似郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

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北海道一・二級町村制施行時の沙流郡の町村(11.様似村 青:区域が発足時と同じ町村)
明治9年の大区小区
  • 第23大区
    • 4小区 : 鵜苫(うとま)村、海辺(うみべ)村、様似(さまに)村、平鵜(ひらう)村、門別(もんべつ)村、染近(しみちか)村、白里(しらり)村、核蘂(さねしべ)村、冬島(ふゆしま)村、郡内(ぐんない)村、嘯牛(うそふけうし)村、小宵(およい)村、幌満(ほろまん)村、島郡(しまくん)村、誓内(ちかない)村、傍平(そうひら)村、累地(るいち)村、逢牛(あいうし)村、農助(のすけ)村、桐橿(きりかし)村、二七(になな)村、岡田(おかだ)村、去魔(さりま)

・海辺村、桐橿村、傍平村→様似村
・門別村、染近村、白里村、核蘂村→平鵜村
・郡内村、嘯牛村、小宵村→冬島村
・島郡村→幌満村
・累地村、逢牛村、去魔村→岡田村
・農助村→二七村

参考文献

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外部リンク

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関連項目

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札幌市
その他市部
石狩振興局管内の郡
渡島総合振興局管内の郡
檜山振興局管内の郡
後志総合振興局管内の郡
空知総合振興局管内の郡
上川総合振興局管内の郡
留萌振興局管内の郡
宗谷総合振興局管内の郡
オホーツク総合振興局管内の郡
胆振総合振興局管内の郡
日高振興局管内の郡
十勝総合振興局管内の郡
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根室振興局管内の郡
カテゴリ Category:北海道の市町村 Category:北海道の郡

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