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暉峻衆三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
暉峻 衆三
(てるおか しゅうぞう)
宇野学派
生誕 (1924年06月26日) 1924年 6月26日
日本の旗 日本岡山県 倉敷市
死没 (2023年12月22日) 2023年 12月22日(99歳没)
日本の旗 日本東京都 練馬区
研究機関 東京教育大学
信州大学
宇都宮大学
東亜大学
研究分野 農業経済学
母校 東京帝国大学
学位 農学博士(東京大学・1984年)
影響を
受けた人物
暉峻義等(父)
近藤康男
東畑精一
古島敏雄
大内力
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暉峻 衆三(てるおか しゅうぞう、1924年 6月26日 [1] - 2023年 12月22日 [2] )は、日本経済学者。専門は農業経済学学位は、農学博士(東京大学論文博士・1984年)(学位論文『日本農業問題の展開』)。宇都宮大学教授・東亜大学教授を歴任。

暉峻義等の次男。妻は暉峻淑子。長男は暉峻創三

略歴

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岡山県 倉敷市出身[3] 。1943年東京帝国大学に入学。1944年学徒動員により入隊し[3] 陸軍経理学校に入る[3] 。1945年8月12日、原爆投下後の広島市に入る[3]

1947年東京帝国大学 農学部 [3] 農業経済学科卒業。1984年『日本農業問題の展開』で東京大学より農学博士の学位を取得。東畑精一門下。

1953年東京教育大学 講師助教授教授、1978年信州大学教授、1983年宇都宮大学教授、1990年定年退官、東亜大学大学院教授。1998年退職。

1984-1987年日本経済学会連合理事、1984-1986年日本農業経済学会副会長、1992-2004年農業・農協問題研究所理事長。日本農業経済学会名誉会員、農業・農協問題研究所特別会員。

2023年12月22日、東京都 練馬区の自宅で老衰のため死去。99歳没[2]

著書

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単著

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  • 『日本農業問題の展開』東京大学出版会 1970‐84
  • 『日本資本主義の食と農 軌跡と課題』筑波書房ブックレット 暮らしのなかの食と農 2011
  • 『わが農業問題研究の軌跡 資本主義から社会主義への模索』御茶の水書房 2013

共編著

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  • 『農民組合と農地改革 長野県下伊那郡鼎村』古島敏雄,的場徳造共著 東京大学出版会 1956
  • 『地主制と米騒動 大正期を中心とする大和平野 一農村の研究』編 東京大学出版会 1958
  • 『サミットの社会 中学3年』編著 文英堂 サミットシリーズ 1965
  • 『スクール図解百科事典 11 日本の産業 1』共著 講談社 1967
  • 『戦後日本の農業と農民』井野隆一,重富健一共編者 新評論 1968
  • 『国家独占資本主義と農業』井野隆一, 重富健一共編 大月書店 1971
  • 『政治革新と世界の農業問題』編著 大月書店 1974
  • 『日本農業の理論と政策』東井正美,常盤政治共編著 ミネルヴァ書房 1980
  • 『日本農業史 資本主義の展開と農業問題』編 有斐閣選書 1981
  • 『現代日本経済の構造と政策』清山卓郎共編著 ミネルヴァ書房 1989
  • 『日本資本主義と農業保護政策 農基法成立後の日本農業の再編過程』編著 御茶の水書房 1990
  • 『ユーゴ社会主義の実像』小山洋司竹森正孝山中武士共著 リベルタ出版 1990
  • 『日本農業100年のあゆみ 資本主義の展開と農業問題』編 有斐閣ブックス 1996
  • 『日本の農業150年 :1850〜2000年』編 有斐閣ブックス 2003

脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ a b 暉峻衆三さん死去」『朝日新聞』2023年12月26日。2023年12月27日閲覧。農業経済学者の暉峻衆三さん死去 元宇都宮大教授」『西日本新聞』2023年12月27日。
  3. ^ a b c d e "暉峻 衆三さん|NHK 戦争証言アーカイブス". NHK戦争証言アーカイブス. NHK. 2022年11月15日閲覧。

参考文献

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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年11月)

外部リンク

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暉峻衆三 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース

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