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日本ユニバーサル航空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本ユニバーサル航空株式会社
Japan Universal System Transport Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 JUST
本社所在地 日本の旗 日本
東京都 千代田区 丸の内1-8-2
第二鉄鋼ビル2F
設立 1991年(平成3年)1月11日
業種 空運業
代表者 代表取締役社長 内田 道夫
資本金 32億円
特記事項:(注記)記載事項は1995年11月現在
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日本ユニバーサル航空株式会社(にほんユニバーサルこうくう)は、かつて存在した日本航空 (JAL) グループの国内貨物航空会社である。英文名称はJapan Universal System Transport Co., Ltd.で、略称はJUST。航空会社コードは、IATA2レターコードYUICAO3レターコードJSTだった。現在は清算されている。

概要

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1991年(平成3年)1月10日日本航空子会社として設立され、当初からヤマト運輸(現・ヤマトホールディングス)・日本通運も資本参加して、その後他の物流各社も出資している。本社があった第二鉄鋼ビルは当時日本航空の東京支店(1階に発券カウンター)が入居していたビルで、そこに間借りする形を採っていた。同年日本航空からボーイング747-200F1機(機体記号:JA8160)をリース導入し、フルカラー塗装とした。

同年10月16日羽田 - 新千歳間の不定期貨物便の運航を開始し[1] 、翌月11月26日には名古屋 - 新千歳間の運航を開始した[2]

しかし、羽田空港の発着枠不足で多数の便を運航することができず、またバブル崩壊で景気後退に陥ったことなどから1年ほどで運航停止に追い込まれた[3]

塗装

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ボーイング747-200F

フルカラー塗装されたJA8160の垂直尾翼にはシンボルマーククジラが描かれていた。このクジラはIATA2レターコードのYUから「ゆーちゃん」の愛称があった。運航停止後もしばらくの間はこの塗装でJALの貨物便(主に成田 - 香港[4] および成田 - サンフランシスコ[5] )に就航していた。このJA8160はJAL生え抜きの機体ではなく、1982年(昭和57年)にパンアメリカン航空が貨物輸送事業から撤退に伴う放出のタイミングで購入したものである(1979年製造、元N905PA/Clipper Golden Eagle号)。そのため同機のモデルネームは747-221Fとなっている[6] 。JA8160は2007年(平成19年)9月に退役しており、その後アメリカの貨物航空会社カリッタ・エア (Kalitta Air)に転売された。

外部リンク

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脚注

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  1. ^ "日本ユニバーサル航空の第1便、新千歳に到着". 北海道新聞 (北海道新聞社). (1991年10月16日)
  2. ^ "日本ユニバーサル航空貨物便、北の幸乗せ名古屋へ-新千歳から運航開始". 北海道新聞 (北海道新聞社). (1991年11月26日)
  3. ^ "好評だった競走馬空輸...再開望む関係者". 北海道新聞 (北海道新聞社). (1992年10月1日)
  4. ^ 当時は啓徳国際空港(啓徳國際機場)に発着。香港アプローチで着陸するJUSTカラー機を見ることができた。
  5. ^ 往復ともアンカレッジ経由で北米発着の貨物便は全てここを経由する(テクニカルランディング)。
  6. ^ ボーイング社顧客番号21はパンナム向け、46は日本航空向けである
国土交通省より認可を受け、国内・国際定期運送事業を行っている航空運送事業者
本邦国際航空運送事業者
特定本邦航空運送事業者
(上記除く)
国内定期航空運送事業者
(上記除く)
過去の定期航空運送事業者
(2004年以降)
  • 本邦国際航空運送事業者:国際定期航空輸送を行う航空運送事業者(8社)
  • 特定本邦航空運送事業者:客席数が100又は最大離陸重量が5万kgを超える航空機を使用して行う航空運送事業者(計14社)
  • 国内定期航空運送事業者:国内定期航空運送を行う航空運送事業者(計24社)

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