庄村 (岡山県)
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しょうそん 庄村 | |
---|---|
廃止日 | 1971年3月8日 |
廃止理由 |
編入合併 庄村 → 倉敷市 |
現在の自治体 | 倉敷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 都窪郡 |
市町村コード | 33425-1 |
面積 | 13.87 km2. |
総人口 |
6,957人 (1971年) |
隣接自治体 |
東:都窪郡 吉備町 西:倉敷市・都窪郡山手村 南:都窪郡早島町 北:岡山市 |
庄村役場 | |
所在地 | 岡山県都窪郡庄村大字上東784 |
座標 | 北緯34度38分38.0秒 東経133度49分39.0秒 / 北緯34.643889度 東経133.827500度 / 34.643889; 133.827500 (庄村) |
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庄村(しょうそん)は、かつて岡山県 都窪郡にあった村である。1971年(昭和46年)3月8日に倉敷市に編入され廃止された。現在は同市の庄地区 となっている。
行政
[編集 ]旧村役場
[編集 ]1889年(明治22年)6月1日、町村制施行時に、上東字才ノ後の一民家を買収して、役場を設置した。その後、幾度かの改良が加えられ拡張していくも、1971年の合併前後より中古建屋の買収後、すでに80年余りによる老朽化が著しくなってきていた。また、合併後の行政事務量拡大も予測されていたために、さらに拡張するにも南北に抜ける村道沿いに並ぶ、左側の店舗と右側の駐在所に挟まれ、建屋の裏側(東側)沿いには用水路があるために、ある意味、四方を何らかで囲まれた当時の敷地内での増築は、すでに限界に達していた。このために、建屋東側用水路後方の農地を買収し、『庄村役場の新庁舎』として、移転して開所した[1] 。
倉敷市に合併後、新庁舎は庄支所として使用されている[1] 。また、現在は西尾地区にある庄駐在所は、現新庁舎敷地入り口の手前広場内、庁舎に向かって右側にあるガードレールで囲まれた6台分の外側駐車地(横断歩道の前)と、さらに右側に続く駐車場と川沿いとの間に設けられている、東向け道路入り口に跨って設置されていた。[2] 1975年当時、庄地区の北側の「庄パークヒルズ」(現、庄新町地区)では、すでに大規模な分譲が始まっていたものの、庄支所前の横断歩道反対側から西側方向に続いている小中学校は、一切の拡張なども変わりもなかった。しかし、その後の人口急増問題(※(注記)「#増える人口問題」も参照)に伴い、新設された松島交番との管轄分けにより、現在地へ移転となった。
歴代村長
[編集 ]代 | 氏名 | 就任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
初 | 内田泰造 | 明治22年 7月15日 | |
2 | 内田泰造 | 明治26年 7月13日 | |
3 | 内田泰造 | 明治30年 7月10日 | |
4 | 内田泰造 | 明治34年 7月3日 | |
5 | 内田弥太郎 | 明治35年 10月5日 | |
6 | 内田弥太郎 | 明治39年 10月3日 | |
7 | 内田弥太郎 | 明治43年 10月1日 | |
8 | 内田弥太郎 | 大正3年 8月27日 | |
9 | 内田弥太郎 | 大正4年 9月8日 | |
10 | 内田弥太郎 | 大正8年 9月27日 | |
11 | 内田弥太郎 | 大正12年9月27日 | |
12 | 内田弥太郎 | 昭和2年 9月28日 | |
13 | 内田弥太郎 | 昭和6年9月28日 | |
14 | 内田善介 | 昭和8年 9月26日 | |
15 | 内田善介 | 昭和12年 9月13日 | |
16 | 内田善介 | 昭和16年9月13日 | |
17 | 難波晴太郎 | 昭和20年 10月16日 | |
18 | 難波晴太郎 | 昭和22年 4月5日 | |
19 | 難波晴太郎 | 昭和26年 4月23日 | |
20 | 平野茂武 | 昭和30年 4月30日 | |
21 | 小山真三郎 | 昭和34年4月30日 | |
23 | 小山真三郎 | 昭和38年4月30日 | |
24 | 小山真三郎 | 昭和42年4月30日 | 昭和46年3月8日 庄村が倉敷市へ編入合併 |
歴代助役
[編集 ]代 | 氏名 | 就任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
初 | 平松明治 | 明治22年9月7日 | |
2 | 平松明治 | 明治26年9月5日 | |
3 | 犬飼源太郎 | 明治26年9月5日 | |
4 | 犬飼源太郎 | 明治30年10月1日 | |
5 | 中村偕三郎 | 明治31年11月18日 | |
6 | 中村偕三郎 | 明治33年4月1日 | |
7 | 犬飼里十郎 | 明治35年4月18日 | |
8 | 中村偕三郎 犬飼里十郎 |
明治39年4月13日 | 二人制 |
9 | 犬飼里十郎 | 明治43年4月18日 | |
10 | 平松玖馬太 内田孫六 |
明治45年4月6日 | 二人制 |
11 | 平松玖馬太 内田孫六 |
大正5年3月31日 | 二人制 |
12 | 平松玖馬太 | 大正9年4月8日 | |
13 | 犬飼琴二 | 大正11年3月27日 | |
14 | 犬飼琴二 | 大正15年4月2日 | |
15 | 犬飼琴二 | 昭和5年3月28日 | |
16 | 目黒文七 | 昭和5年9月20日 | |
17 | 目黒文七 | 昭和9年9月25日 | |
18 | 目黒文七 | 昭和13年9月13日 | |
19 | 目黒文七 | 昭和17年9月29日 | |
20 | 森田寿治 | 昭和21年4月30日 | |
21 | 森田寿治 | 昭和25年4月24日 | |
22 | 森田寿治 | 昭和29年4月19日 | |
23 | 三宅尚 | 昭和33年5月1日 | |
24 | 三宅尚 | 昭和37年5月1日 | |
25 | 三宅尚 | 昭和41年5月1日 | |
26 | 三宅尚 | 昭和45年5月1日 | 昭和46年3月8日 庄村が倉敷市へ編入合併 |
歴代収入役
[編集 ]代 | 氏名 | 就任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
初 | 内田弥太郎 | 明治22年8月10日 | |
2 | 中村祥三 | 明治23年10月31日 | |
3 | 中村祥三 | 明治27年11月1日 | |
4 | 中村祥三 | 明治31年11月1日 | |
5 | 難波九一郎 | 明治35年10月23日 | |
6 | 難波九一郎 | 明治39年10月18日 | |
7 | 難波九一郎 | 明治43年10月1日 | |
8 | 難波九一郎 | 大正3年10月21日 | |
9 | 三宅治郎 | 大正7年8月13日 | |
10 | 三宅治郎 | 大正11年8月10日 | |
11 | 三宅治郎 | 大正15年8月17日 | |
12 | 三宅治郎 | 昭和5年8月11日 | |
13 | 三宅治郎 | 昭和9年8月17日 | |
14 | 三宅治郎 | 昭和13年8月17日 | |
15 | 三宅治郎 | 昭和17年8月17日 | |
16 | 森田寿治 | 昭和18年4月30日 | |
17 | 平松斐太 | 昭和21年5月4日 | |
18 | 平松斐太 | 昭和25年4月29日 | |
19 | 平松斐太 | 昭和29年4月19日 | |
20 | 坪井富貴雄 | 昭和33年5月1日 | |
21 | 坪井富貴雄 | 昭和37年4月23日 | |
22 | 内田泰助 | 昭和40年1月29日 | |
22 | 内田泰助 | 昭和44年1月29日 | 昭和46年3月8日 庄村が倉敷市へ編入合併 |
歴代村議会議長・副議長
[編集 ]昭和22年4月の地方自治法施行以降を記す。
議長氏名 | 副議長氏名 | 就任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|
真辺近治 | 山崎益治 | ||
赤木一太 | 多田幾二 | 昭和22年4月30日 | |
井上寛一 | 千田左馬雄 | 昭和26年4月23日 | |
秋山泰蔵 | 吉田謙三 | 昭和30年4月30日 | |
小野美能吉 | 小田吉治 | 昭和34年4月30日 | |
小田吉治 | 内田圭雄 | 昭和38年4月30日 | |
小田吉治 | 板谷寅夫 | 昭和42年4月30日 | 昭和46年3月8日 庄村が倉敷市へ編入合併 |
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
出典
[編集 ]- ^ a b 庄村誌編纂委員会『庄村誌』1971年、倉敷市
- ^ 庄支所はすでに完成しているが、横断歩道前の水色の四角い建物が、当時の庄駐在所であった。(1975年(昭和50年)2月24日撮影。「国土地理院の空中写真」より)
参考文献
[編集 ]- 庄村誌編纂委員会『庄村誌』1971年、倉敷市