平山泰
平山 泰(ひらやま やすし、1890年(明治23年)9月29日 [1] - 1946年(昭和21年)3月27日 [1] )は日本の政治家、官僚。松本市長。
長野県 士族平山季雄の五男として生まれる[2] 。1916年東京帝国大学法科政治学科を卒業し[2] 、高知県官吏となる。その後、鳥取県警視、青森県理事官、愛知県理事官、台湾総督府秘書官兼参事官、復興局書記官、同局東京第三出張所長、復興事務局監理課長、山形県内務部長、台湾総督府高雄州知事[2] 、台北州知事[2] 。東京市監査局長、財務局長、電気局長を歴任して1939年退官。帰郷して松本市長に就任。在任中に終戦し、米軍約200名の進駐を迎えた。
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』212頁。
- ^ a b c d 『日本の歴代市長 第2巻』249頁。
- 『日本の歴代市長 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
- 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
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