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島野尚三

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島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年 1月3日 - 2002年 6月15日)は、日本の経営者シマノ社長を務めた。

来歴・人物

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大阪府出身[1] 。父親はシマノ創業者の島野庄三郎で、三兄弟の長男(次男が島野敬三、三男が島野喜三)として生まれる[2]

1944年に旧制堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を卒業し、1946年に島野工業(現在のシマノ)に入社[1] 。常務を経て、1958年9月に父・庄三郎の逝去に伴い社長に就任した[1] 。当時のシマノは売上高7億円弱の赤字会社で、誰も社長の座に手を挙げなかった中、唯一人「3年で黒字化するから、その間は自分の言う事を聞いてほしい」として社長に就任し、本当に3年で経営を黒字に転換させた[3]

1992年2月に会長に就任[1] 1988年5月に日本自転車工業会理事長に就任[1]

2002年 6月15日心不全のために死去[4] 。74歳没。

息子に、後にシマノ社長・会長となった島野容三がいる。

脚注

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  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1999, し89頁.
  2. ^ 山口和幸 2003, p. 62.
  3. ^ 山口和幸 2003, pp. 171–172.
  4. ^ 2002年6月18日 日本経済新聞 朝刊 P39

参考文献

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  • 興信データ株式會社『人事興信録 第40版 上』興信データ、1999年。 
  • 山口和幸『シマノ 世界を制した自転車パーツ』光文社、2003年。 

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