山脇和泉家
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山脇和泉家(やまわきいずみけ)は、能楽 狂言方和泉流の宗家。
歴代
[編集 ]代々に関しては異論など諸説あり。
- 初世山脇和泉元宜(山脇五郎左衛門源助)
- (慶長元年(1596年) ‐ 万治2年(1659年))。本姓は鳥飼。
- 京都の生まれ、はじめに名は源助、のちに五郎左衛門、御所御用を生業にし京都六条に住んだ。1614年に尾張徳川家 徳川義直に仕え、三宅藤九郎・野村又三郎を客分として招き和泉流を創始した。
- 二世山脇元永
- ( ‐ 正保2年(1645年))。
- 一世の甥で養子。幼名を五郎八。早死。
- 三世山脇元信
- ( ‐ 元禄6年(1693年))。
- 鵜飼吉左衛門の二男で二世の養子。幼名を源助または吉三郎。
- 四世山脇元知
- (寛文6年(1666年) ‐ 享保16年(1731年))。
- 三世の実子。京都の生まれ、幼名を彦三郎。はじめの名は彦太郎、のちに源助。元禄9年(1696年)、名古屋に移住し、以後名古屋を本拠とする。
- 五世?山脇元政
- 五世山脇元喬
- ( ‐ 文化3年(1806年))。
- 四世の実子。幼名を辮彌。
- 『和泉流狂言由緒書』を記す。
- 六世山脇元貞
- ( ‐ 文化13年(1815年))。
- 木全藤左衛門の三男。五世の養子。
- 七世山脇元業
- 服部松斎の弟で六世の養子。幼名を幾松。
- 八世山脇元賀
- ( ‐ 明治9年(1876年)。
- 七世の実子。
- 九世山脇元清
- (嘉永2年(1849年) - 明治44年(1911年)3月20日)。
- 八世の実子。はじめの名は鉄太郎、のちに伊津美。明治14年(1881年)、東京に移住する。
- 十世山脇元照
- (明治20年(1887年) - 大正5年(1916年)2月25日)。
- 九世の次男。東京の生まれ、通称四郎。兄の夭折で家元になったが夭折、後嗣は無かった。
- 十一世山脇元康
- ( - 昭和20年(1945年)1月)。
- 九世の娘の夫(娘婿)。1940年に宗家を継いだが3年で引退。
- 十二世(十九世)和泉元秀
- 九世三宅藤九郎の長男。1943年に九世の娘の養子となって宗家を再興。十九世宗家山脇元秀、のち和泉元秀を名乗る。
- 詳細は和泉元秀 を参照
- 二十世和泉元彌
- 十九世の長男。ただし流内からは宗家と認められていない。
- 詳細は和泉元彌#和泉流宗家継承騒動を参照
注:和泉家では元秀以来、山脇和泉元宜を7世とし、以降すべてに6つ足した数字を付けている。ここでは元秀以前については初代から数えた数字を記載した。