定恵寺 (岐阜市)
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定慧寺 | |
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所在地 | 岐阜県 岐阜市山県岩688 |
位置 | 北緯35度30分06.9秒 東経136度48分56.0秒 / 北緯35.501917度 東経136.815556度 / 35.501917; 136.815556 座標: 北緯35度30分06.9秒 東経136度48分56.0秒 / 北緯35.501917度 東経136.815556度 / 35.501917; 136.815556 |
山号 | 法雲山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 明応2年(1493年) |
開山 | 東陽英朝 |
開基 | 土岐政房 |
札所等 | 美濃四国八十一番 |
法人番号 | 2200005000683 ウィキデータを編集 |
定恵寺の位置(岐阜県内) 定恵寺 定恵寺 定恵寺 (岐阜県) | |
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定慧寺(定恵寺・じょうえじ)は岐阜県 岐阜市山県岩にある阿弥陀如来を本尊とする臨済宗妙心寺派(聖澤派)の寺院。山号は法雲山。美濃新四国八十一番。
歴史
[編集 ]明応2年(1493年)に土岐政房が家臣の大野親秀に命じ、東陽英朝を開山として廃寺跡を再興して創建された。
このとき、保護のため近隣に福田庵、知足庵などの七つの庵寺を設けた。
天文 (元号)元年(1532年)には斎藤氏による兵火を被り廃絶の危機に瀕したが、明暦3年(1657年)に愚堂東寔が大智寺の了堂和尚と共に、大野頼直からの寄進を得て復興を成し遂げた。
その後、天明8年(1788年)3月に火災により焼失したが、玄州和尚により再建された。
参考文献
[編集 ]- 『山県郡誌』 山県郡教育会 p488 1928年