安行慈林
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安行慈林 | |
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安行慈林の位置(埼玉県内) 安行慈林 安行慈林 安行慈林の位置 | |
北緯35度50分06.88秒 東経139度44分53.97秒 / 北緯35.8352444度 東経139.7483250度 / 35.8352444; 139.7483250 | |
国 | 日本の旗 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 川口市 |
地区 | 安行地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.691 km2 |
人口 | |
• 合計 | 7,016人 |
• 密度 | 10,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
334-0071[2] |
市外局番 | 048 (川口MA)[3] |
ナンバープレート | 川口 |
安行慈林(あんぎょうじりん)は、埼玉県 川口市の大字。郵便番号は334-0071[2] 。
地理
[編集 ]川口市の東部に位置する。新井宿駅が徒歩圏内にあり、宅地化が急速に進んでいる。毛長川が西側を流れる。地区の東側、安行吉岡地内に大小二つの飛地がある。地内に慈林稲荷木遺跡がある[4] 。
沿革
[編集 ]もとは江戸期より存在した足立郡舎人領に属する慈林村であった[4] 。慈林村は慈林寺村とも称されていた[5] 。古くは戦国期より見出せる郷村名の慈林之村であった。地名は地内に所在していた新義真言宗医王山慈林寺に因むと云う[5] 。
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行より、北足立郡安行村など周辺町村と合併し、安行村が成立。安行村の大字慈林となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 安行村が川口市に編入され、大字慈林は川口市の大字となり、安行慈林と改称された。
世帯数と人口
[編集 ]2018年(平成30年)3月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1] 。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
安行慈林 | 2,795世帯 | 7,016人 |
小・中学校の学区
[編集 ]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[6] 。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
617番地、619番地 621番地、625番地 629番地 |
川口市立神根東小学校 | 川口市立神根中学校 |
その他 | 川口市立慈林小学校 | 川口市立安行中学校 |
交通
[編集 ]地区内に鉄道は敷設されていない。埼玉高速鉄道 新井宿駅からほど近い。
道路
[編集 ]施設
[編集 ]- 川口市立慈林小学校
- 安行慈林町会会館
- 慈林神社
- 慈林稲荷神社
- 真言宗智山派 宝厳院(別称慈林薬師、慈林寺) - 安行慈林の地名の由来
- 慈林薬師会館
- 宝厳院墓苑 - 南東側のやや離れた場所の安行保育所付近に所在する。
- 翠ケ丘幼稚園
- 安行保育所
- 安行慈林児童公園
- 安行慈林上公園
- 安行慈林南公園
- 安行慈林堂下公園
参考文献
[編集 ]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県(増補版)』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 「慈林村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ139足立郡ノ5、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/114。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ a b c "かわぐちの人口第5表町丁字別人口". 川口市 (2018年3月8日). 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b "郵便番号". 日本郵便. 2018年3月22日閲覧。
- ^ "市外局番の一覧". 総務省. 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 483頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 慈林村.
- ^ "住所から基本学区の学校を探す". 川口市 (2008年2月28日). 2018年3月22日閲覧。
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ] 桜町
北
安行吉岡
西 安行慈林 東
南
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