コンテンツにスキップ
Wikipedia

堀田正春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
堀田正春
時代 江戸時代中期
生誕 正徳5年3月12日(1715年 4月15日)
死没 享保16年2月9日(1731年 3月16日)
別名 内記(通称)
戒名 青叢院殿禅阿陽岳定心大居士
墓所 東京都 台東区 西浅草日輪寺
官位 従四位下相模守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
出羽 山形藩
氏族 堀田氏
父母 堀田正直、清水氏
堀田正虎
正亮
テンプレートを表示

堀田 正春(ほった まさはる)は、江戸時代中期の大名出羽国 山形藩主。官位従四位下相模守。正俊系堀田家4代。

生涯

[編集 ]

正徳5年(1715年)、堀田正直(初代藩主・堀田正虎の養嗣子)の長男として誕生した。享保2年(1717年)8月に父が早世したため、正虎の世子となり、享保14年(1729年)に養父が死去したため家督を相続した。このとき、養父の甥・正亮(堀田正武の長男)に出羽村山郡3000石を分与している。

しかし在任2年後の享保16年(1731年)2月9日に死去した。享年17。継嗣がなかったため、正亮が跡を継いだ。

系譜

[編集 ]
堀田家山形藩藩主 (1729年 - 1731年)
最上家
鳥居家
会津松平家
結城松平家
奥平松平家
奥平家
堀田家
結城松平家
奥平松平家
堀田家
大給松平家

1764年から1767年まで幕府領

秋元家
水野家

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /