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坂本真琴

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曖昧さ回避 俳優の「坂本真」、「坂本真 (音楽家)」、あるいはドラマーの「マコト・サカモト」とは別人です。
さかもと まこと

坂本 真琴
1931年2月4日撮影
生誕 1889年 5月7日
静岡県 田方郡 三島町(現・三島市)
死没 (1954年07月15日) 1954年 7月15日(65歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 共立女学校
職業 婦人運動家、評論家
家族 高田敏子(妹)
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坂本 真琴(さかもと まこと、1889年 5月7日 - 1954年 7月15日)は、大正から昭和初年にかけて婦人参政権運動を推し進めた婦人運動家。旧姓は高田。高田常三郎と妻みよのクリスチャンの家庭の長女として生れる。本名は「まこ」(正式には変体仮名を用いて「ま 」と表記する)。妹の高田敏子は日本の女子・英語教育のパイオニア。

略伝

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婦選獲得同盟」のメンバー。左から3人目が金子しげり、一人おいて市川房枝、坂本真琴、一人おいて久布白落実、そして右端が河崎なつ。1925年撮影。
新婦人協会」のメンバー。前列左から、菊池ミツ、積しな子、奥むめお、塚本仲子。後列左から、坂本真琴、佐々木伊都子、平塚らいてう、田中芳子、田島ひで、島野初子。

静岡県 田方郡 三島町(現在の三島市)出身[1] 。一家が神奈川県横浜に移住したため、共立女学校(現在の横浜共立学園)に学び、英文速記者になる[2] 1911年(明治44年)頃、坂本勇吉(染料輸入販売業)と出会い同棲生活を開始、やがて長女出生。この年に発刊した雑誌『青鞜』(せいとう)創刊号の平塚らいてうの巻頭言「元始、女性は太陽であつた――青鞜発刊に際して」[3] に感銘を受けた真琴は、1913年(大正2年)に青鞜社へ入社。1914年(大正3年)の4月号には「野母」の筆名でハヴロック・エリスの「女性間の同性恋愛」を訳載した[4] 1916年(大正5年)に入籍する。その後、夫勇吉との間に5女を儲ける。同年雑誌『ビアトリス』の出版元に参加[5]

1920年(大正9年)3月に平塚らが結成する「新婦人協会」にも評議員(後に理事)として参画し、翌1921年(大正10年)に平塚と市川があいついで幹部職を離れると協会本部が坂本宅に移り(機関誌編集部は奥むめおの自宅)、婦人運動に身を投じることになる。特に、新婦人協会が創立当初から最優先課題として取り組んでいた、当時女性の集会結社の自由を阻んでいた治安警察法の改正運動(治安警察法第5条改正運動)に献身。協会支持議員の選挙応援や、法改正案の議会上程後[6] は連日衆議院・貴族院での議会工作に奔走[7] 1922年(大正11年)の同法改正案成立へと導く中心的役割を果たした[8]

1924年(大正13年)12月創設の「婦人参政権獲得期成同盟会[9] (翌年婦選獲得同盟[9] と改称)では中央委員、会計理事を歴任。婦選同盟理事として活躍した。1932年(昭和7年)脱会。1954年 7月15日 (1954年07月15日) 死没、65歳。

エピソード

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普段の生活における真琴は、夫の家業を手伝い、家事と育児に精を出す、ごく普通の一主婦であったという。その一方、婦選運動の中核として、寸暇を割いての奮闘を続けていた。夫の勇吉は、そんな真琴を理解し、決して干渉することはなかった。

宿願であった治安警察法第5条一部改正になった翌年、1923年(大正12年)には、まだ7歳になったばかりの次女を失うという悲劇に見舞われたが、真琴の情熱が冷めることはなかった。勇吉とは1936年(昭和11年)に死別するが、その後は一家を支えて残された4人の娘を育て上げた。

戦後、ようやく婦人参政権が実現した後、たびたび国政選挙への出馬を打診されるも全て断り、好きな油絵を嗜みつつ、染織家としても活躍し、悠々と余生を送った。墓所は多磨霊園(21-2-35-12)。

著作

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  • 坂本真琴「治警第五条修正運動の概略」『女性同盟』6月号(14号)、1922年。 
  • 坂本真琴「安達内相に-治警五条全条の削除を要望します-」『婦選』第3巻11月号、1929年。 

参考文献

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発行年順

伝記

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その他

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関連資料

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本文中に引用がないもの。

出版年順

研究書

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脚注

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注釈

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  1. ^ エルシー・K・フィールドは著書に児童書がある。Field, Elsie Kimmell (1959). Prairie winter. ニューヨーク: Lothrop, Lee and Shepard. LCCN 59-6665. OCLC 1003816  

出典

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外部リンク

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