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土屋亨

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土屋 亨
1955年撮影
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 長野県
生年月日 (1923年10月06日) 1923年 10月6日
没年月日 (2002年10月15日) 2002年 10月15日(79歳没)
身長
体重
167 cm
64 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手遊撃手
プロ入り 1948年
初出場 1948年
最終出場 1955年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

土屋 亨
生誕 (1923年10月06日) 1923年 10月6日
日本の旗 日本長野県
死没 (2002年10月15日) 2002年 10月15日(79歳没)
教育 明治大学
職業 プロ野球選手
スポーツ ジャーナリスト
プロ野球球団職員
野球解説者
活動期間 1948 - ?
代表経歴 南海ホークス選手(1948年)
中日ドラゴンズ
→名古屋ドラゴンズ
→中日ドラゴンズ
選手(1949年 - 1955年)
中日新聞社記者
中日ドラゴンズ球団職員
ラジオ東京
→東京放送
野球解説者(1958年 - 1967年)
東京中日スポーツ(中日新聞東京本社)アマチュア野球担当記者
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土屋 亨(つちや とおる、1923年 10月6日 - 2002年 10月15日)は、長野県出身のプロ野球選手(内野手)、スポーツ ジャーナリスト(スポーツライター)、野球解説者。旧姓:堀内[1]

来歴・人物

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松本商業学校 [注 1] では、1940年には、春の第17回選抜中等学校野球大会および夏の第26回全国中等学校優勝野球大会に出場(春は二塁手、夏は三塁手)[注 2] 。夏はベスト4となった時の内野手[4] [注 3]

卒業後、明治大学を経て、1948年南海ホークス [注 4] へ入団しプロ入り。1949年中日ドラゴンズ [注 5] へ移籍。1955年引退。現役時代の主な守備位置は三塁手遊撃手

選手引退後は、中日新聞社記者[4] 、中日ドラゴンズ球団職員(総務[注 6] )、ラジオ東京(KRT)→東京放送(TBS) [注 7] 野球解説者(1958年 - 1967年 [6] )、東京中日スポーツ アマチュア野球担当記者を務めた。『神宮球場ガイドブック』の東京六大学野球各季展望座談会に登場していた[7]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1948 南海 86 212 195 20 42 3 1 1 50 21 3 4 0 -- 17 -- 0 17 -- .215 .278 .256 .535
1949 中日
名古屋
中日
98 321 299 26 65 13 2 6 100 28 2 1 5 -- 17 -- 0 24 -- .217 .259 .334 .594
1950 53 116 104 11 23 1 1 1 29 6 1 0 2 -- 9 -- 1 8 3 .221 .289 .279 .568
1951 91 337 305 39 85 14 5 4 121 30 13 8 9 -- 22 -- 1 25 2 .279 .329 .397 .726
1953 92 206 186 13 36 8 2 1 51 17 0 3 5 -- 14 -- 1 24 6 .194 .254 .274 .528
1954 33 73 68 7 10 2 0 0 12 5 3 1 2 0 3 -- 0 8 3 .147 .183 .176 .360
1955 31 43 37 4 6 0 0 0 6 1 1 1 1 0 5 0 0 11 0 .162 .262 .162 .424
通算:7年 484 1308 1194 120 267 41 11 13 369 108 23 18 24 0 87 0 3 117 14 .224 .278 .309 .587
  • 中日(中日ドラゴンズ)は、1951年に名古屋(名古屋ドラゴンズ)に、1954年に中日(中日ドラゴンズ)に、球団名を変更

背番号

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  • 16 (1948年 - 1950年)
  • 2 (1950年 - 1955年)

詳細情報

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出演番組

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(注記)特記なき限り、KRT→TBS[注 7] でのもの。

テレビドラマ

脚注

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注釈

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  1. ^ のちの松商学園高等学校。
  2. ^
    • 1940年春の選抜大会...[2]
    • 1940年夏の全国大会...[3]
  3. ^ 次の資料より、松商野球部から輩出された選手の一人として明記[1]
  4. ^ 1989年より福岡ダイエーホークス、2005年より福岡ソフトバンクホークス。
  5. ^ 1951年より名古屋ドラゴンズ、1954年より再び中日ドラゴンズ。
  6. ^ 1968年当時[1]
  7. ^ a b c d 1951年5月にラジオ東京として会社設立。同年12月25日にラジオ放送局として開局。1953年12月よりKRTの略称を採用。1955年4月にテレビ本放送開始・ラテ兼営局となる。1960年11月29日に社名を東京放送・略称をTBSへ変更。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ(略称:TBS R&C)、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(社名を東京放送ホールディングス・略称をTBSHDにそれぞれ変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。2016年4月にTBS R&CはTBSラジオへ社名変更。アナウンサーの配属先も、持株会社化を機にTBSテレビへ移行した(2004年10月のTBSテレビ発足時に東京放送在籍者が全て出向、2005年以降の新規採用者はすべてTBSテレビの在籍[5] )。
  8. ^ 参考:
    • 1959年
      • 5月テレビ中継解説...[8]
      • 10月テレビ中継解説...[9]

出典

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  1. ^ a b c 長野の50回大会史 松商・長商の激闘時代 - 高校野球:朝日新聞デジタル 2018年5月1日6時27分配信 (注記)1968年5月12日『朝日新聞』本紙掲載より。
  2. ^ 『選抜高等学校野球大会50年史』より、1940年春の大会における松本商業メンバー一覧にて、二塁手として「堀内 享」の名前で記載。
  3. ^ 『全国高等学校野球選手権大会50年史』より、1940年夏の大会準決勝を参照。一番三塁手として「堀内」の名前あり。
  4. ^ a b 【有名高校人脈】"名門"松商学園はプロ野球初の三冠王輩出 - スポーツ - ZAKZAK(2011年12月4日付)より、松商学園高校(松本商業学校の後身)野球部OBの一人として土屋を紹介した記述を参照。
  5. ^ TBS社員7割子会社出向...安住、小倉アナも - ZAKZAK2005年1月21日付(インターネットアーカイブ同23日付保存キャッシュ)
  6. ^ 『TBS50年史』資料編234ページ掲載の「主なスポーツ番組解説者」より参照。
  7. ^ 神宮球場ガイドブック2002年秋号 ベースボールマガジン社編
  8. ^ 『朝日新聞』東京本社発行版昭和34年(1959年)5月2日付朝刊5面11版ラテ欄掲載「KRテレビ」番組表より、ひる1:00 - 5:25『六大学野球「明大対立大」「早大対東大」』を参照。「解説土屋亨」の記載あり。 (注記)局名・放送時間・番組名表記は、原資料に基づく。「KRテレビ」...ラジオ東京テレビジョン(当時)
  9. ^ 『朝日新聞』東京本社発行版昭和34年(1959年)10月24日付朝刊5面7版ラテ欄掲載「KRテレビ」番組表より、ひる1:00 - 5:30『六大学野球「法大対慶大」「明大対東大」』を参照。「解説土屋亨」の記載あり。 (注記)局名・放送時間・番組名表記は、原資料に基づく。「KRテレビ」...ラジオ東京テレビジョン(当時)
  10. ^ 泣いてたまるか(第4回)オールセーフ - ドラマ詳細データ - テレビドラマデータベース

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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