加藤忠
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加藤 忠(かとう ただし、1935年 1月4日 - 2020年 3月17日 [1] )は、静岡県 相良町(現在の牧之原市)出身[2] の元競輪選手。1952年ヘルシンキオリンピック 自転車競技日本代表選手。競輪選手時代は日本競輪選手会 静岡支部に在籍。息子の浩利も元競輪選手。
経歴
[編集 ]1952年のヘルシンキオリンピックでは、3種目に出場。成績は以下の通り。
- 個人ロードレース - 途中棄権
- 1000mタイムトライアル - 26位
- 4000m団体追い抜き - 19位
その後、日本競輪学校(当時)に第6期生として入学、同校を卒業後はプロの競輪選手として登録され、1953年に開設された静岡競輪場にて同年3月26日にデビュー戦を迎え1着、及び完全優勝を記録。
1992年 12月11日、選手登録削除。通算戦績3580戦598勝。
脚注
[編集 ]- ^ 「五輪自転車初代日本代表の加藤忠氏が死去 85歳」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2020年3月19日。2020年3月19日閲覧。
- ^ 五輪自転車初代日本代表の加藤忠さん逝く 東京大会観戦かなわず|静岡新聞アットエス 2020年3月19日 08:32