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劉永 (蜀漢)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

劉 永(りゅう えい、生没年不詳)は、三国時代蜀漢の皇族。父は蜀の先主劉備で、後主劉禅の異母弟にあたる。母は不明。公寿

生涯

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劉備の妾の子として生まれた。章武元年(221年)、父が皇帝に即位すると魯王に封じられた。章武3年(223年)、白帝城で病に倒れた父を見舞うが、父は病死し、兄の劉禅が帝位を継いだ。建興7年(229年)、蜀が同盟国であると協議し、の滅亡した後を仮定した天下の分割を決めたが、その際に魯が呉に含まれるため、建興8年(230年)には劉禅により甘陵王に改封された。

延熙9年(246年)、董允が死去し、宦官 黄皓が政治に関与しはじめると、互いに反目しあっていた劉永と黄皓はさらに対立し、黄皓は劉禅に讒言した。そして、それを信じた劉禅によって、劉備の遺詔を受けた身でありながら、10年余りにわたり朝廷への参内を許されない立場に追い込まれた。

蜀漢滅亡後、兄と共に司馬昭により洛陽に強制的に移住させられた。そして奉車都尉に任じられ、郷侯に封じられた。

没年は不明。

永嘉5年(311年)、永嘉の乱が起こった際、劉備の子孫はほとんど殺害された。しかし、劉永の孫である劉玄は、難を逃れ益州に帰った。その時、当時益州を治めていたの君主李雄によって安楽公に封じられ、劉禅の後を継いだ。

小説『三国志演義』では、穆皇后の実子という設定になっている。

陳寿撰 『三国志』 に立伝されている人物および四夷

(魏書)
巻1 武帝紀
巻2 文帝紀
巻3 明帝紀
巻4 三少帝紀
巻5 后妃伝
巻6 董二袁劉伝
巻7 呂布臧洪伝
巻8 二公孫陶四張伝
巻9 諸夏侯曹伝
巻10 荀彧荀攸賈詡伝
巻11 袁張涼国田王邴管伝
巻12 崔毛徐何邢鮑司馬伝
巻13 鍾繇華歆王朗伝
巻14 程郭董劉蔣劉伝
巻15 劉司馬梁張温賈伝
巻16 任蘇杜鄭倉伝
巻17 張楽于張徐伝
巻18 二李臧文呂許典二龐
閻伝
巻19 任城陳蕭王伝
巻20 武文世王公伝
巻21 王衛二劉傅伝
巻22 桓二陳徐衛盧伝
巻23 和常楊杜趙裴伝
巻24 韓崔高孫王伝
巻25 辛毗楊阜高堂隆伝
巻26 満田牽郭伝
巻27 徐胡二王伝
巻28 王毌丘諸葛鄧鍾伝
巻29 方技伝
巻30 烏丸鮮卑東夷伝

(蜀書)
巻31 劉二牧伝
巻32 先主伝
巻33 後主伝
巻34 二主妃子伝
巻35 諸葛亮伝
巻36 関張馬黄趙伝
巻37 龐統法正伝
巻38 許糜孫簡伊秦伝
巻39 董劉馬陳董呂伝
巻40 劉彭廖李劉魏楊伝
巻41 霍王向張楊費伝
巻42 杜周杜許孟来尹李譙
郤伝
巻43 黄李呂馬王張伝
巻44 蔣琬費禕姜維伝
巻45 鄧張宗楊伝

(呉書)
巻46 孫破虜討逆伝
巻47 呉主伝
巻48 三嗣主伝
巻49 劉繇太史慈士燮伝
巻50 妃嬪伝
巻51 宗室伝
巻52 張顧諸葛歩伝
巻53 張厳程闞薛伝
巻54 周瑜魯粛呂蒙伝
巻55 程黄韓蔣周陳董甘淩
徐潘丁伝
巻56 朱治朱然呂範朱桓伝
巻57 虞陸張駱陸吾朱伝
巻58 陸遜伝
巻59 呉主五子伝
巻60 賀全呂周鍾離伝
巻61 潘濬陸凱伝
巻62 是儀胡綜伝
巻63 呉範劉惇趙達伝
巻64 諸葛滕二孫濮陽伝
巻65 王楼賀韋華伝

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