全岩東純
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全岩 東純 | |
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応永30年 〜 明応4年12月10日 (1423年〜 1495年 12月26日) | |
生地 | 出羽国 寒河江荘(山形県) |
没地 | 長州 瑠璃光寺 |
宗旨 | 曹洞宗 |
寺院 |
出羽三山、永澤寺、 大寧寺、瑠璃光寺 |
師 | 器之爲璠、大庵須益 |
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全岩 東純(ぜんがん とうじゅん)は、戦国時代の僧。大寧寺七世住職、瑠璃光寺二世住職。
生涯
[編集 ]応永30年(1423年)大江氏 親広流 寒河江元時の3男として生を受ける。母は藤原氏の出だという[1] 。出羽三山のひとつ羽黒山で剃髪し修行ののち、鎌倉・京都を経て永澤寺で器之爲璠(きし いばん)について禅学を修めた。師の薦めにより「西の高野」と称えられた大庵須益(だんあん しゅえき)の大寧寺に移り、大庵須益が龍文寺に移ると文明3年(1471年)跡を継いで七世住職となった。長享3年(1489年)出羽国 寒河江荘 寒河江知広(甥の子)より寄進[2] を受け大寧寺子院澄江院[3] の建立に尽力する。明応元年(1492年)大寧寺を隠退するが大内政弘の要請により瑠璃光寺二世住職となり明応4年(1495年)同寺で没した。
死の翌年、雪舟の筆により頂相(絹本着色全岩東純和尚像)が描かれた(山口県立山口博物館所蔵)[4] 。
法系
[編集 ]系図
[編集 ](数字)は寒河江氏歴代
その他
[編集 ]脚注
[編集 ]- ^ 『寒河江市史 大江氏ならびに関連史料』p.520「日本洞上聯燈録 巻第七」全岩東純の項
- ^ 『澄江寺誌』「安中坊系譜」知広註より大江知広寄進状。長州豊東郡厚母郷(山口県下関市豊浦町大字厚母郷)十石の地。大内政弘が便宜を図ったものである。
- ^ 後に知広が亡くなると未亡人と嫡男が寒河江に移し瑞龍山澄江寺となる。
- ^ 山口県指定有形文化財(絵画)
- ^ 大寧寺4世、福昌寺2世、龍文寺(山口)開山。
- ^ 大寧寺5世、龍文寺3世、保安寺(山口)開山、鳳台寺(山形)開山、新福寺(山形)開山。
- ^ 大寧寺6世、龍文寺4世、瑠璃光寺開山、安楽寺(和歌山)開山、長谷寺(島根)開山、明窓寺(島根)開山、豊龍寺(山口)開山、鳳台寺2世。
- ^ 澄江寺開山。
- ^ 澄江寺2世、福泉寺(山形)開山。
- ^ 大寧寺8世、龍昌寺(福岡)開山、天寧寺(福岡)開山。
- ^ 大寧寺9世、大円寺(五島)開山、東光寺(長崎)開山。
- ^ 瑠璃光寺3世
参考文献
[編集 ]- 寒河江市史編纂委員長 阿部酉喜夫『寒河江大江氏』、1988年
- 寒河江市史編さん委員会『寒河江市史 上巻』、1994年
- 寒河江市史編さん委員会『寒河江市史 大江氏ならびに関係史料』、2001年
- 澄江寺『澄江寺誌』、1993年
外部リンク
[編集 ]- 山口県の文化財 - 山口県教育庁社会教育・文化財課
- 山口県長門市大寧寺(瑞雲萬歳山大寧護国禅寺)HP