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伊達定宗 (園芸家)

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伊達 定宗(だて さだむね、1902年(明治35年)12月22日[1] - 1955年(昭和30年)3月17日[1] )は、日本華族造園家園芸家吉田伊達家12代当主。旧名は[1] (さだ)。

東京生まれ[2] 子爵 伊達宗定の二男[1] で、前当主の子爵伊達宗起の弟。伊達定清伊達定継の父。


略歴

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1925年(大正14年)東京農業大学本科卒業後、匠生として宮内省 内匠寮工務課庭園係に勤務した[2] 。1929年(昭和4年)に宮内技手補、次いで1933年(昭和8年)宮内技手となった[2]

1934年(昭和9年)9月20日に分家したが、兄宗起が1940年に34歳で死去したことに伴い本家に復籍し、1941年(昭和16年)6月16日に子爵を襲爵した[1] [3] 。同年に定宗と改名[2]

1946年(昭和21年)宮内技師となり、その後退官した[2] 。宮内省に在職中は皇居および新宿御苑に勤務した[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、63-64頁。
  2. ^ a b c d e f 『皇室建築 内匠寮の人と作品』425頁。
  3. ^ 『官報』第4331号、昭和16年6月17日。

参考文献

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日本の爵位
先代
伊達宗起
子爵
(吉田)伊達家3代
1941年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)
宇和島伊達家

秀宗 - 宗利 - 宗贇 - 村年 - 村候 - 村寿 - 宗紀 - 宗城 - 宗徳 - 宗陳 - 宗彰 - 宗禮 - 宗信 -

吉田伊達家

宗純 - 宗保 - 村豊 - 村信 - 村賢 - 村芳 - 宗翰 - 宗孝 - 宗敬 - 宗定 - 宗起 - 定宗 - 定清 - 定継 -

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