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伊藤俊也

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曖昧さ回避 医療ジャーナリストの「伊藤隼也」とは別人です。
曖昧さ回避 脚本家の「いとう斗士八」とは別人です。
いとう しゅんや
伊藤 俊也
生年月日 (1937年02月17日) 1937年 2月17日(87歳)
出生地 日本の旗 福井県 福井市
職業 映画監督脚本家
受賞
日本映画監督協会新人賞
1972年女囚701号 さそり
モントリオール世界映画祭
審査員特別賞

1982年誘拐報道
紫綬褒章
2003年
旭日小綬章
2012年
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伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月17日 - )は、日本映画監督脚本家

いとう としやと紹介される場合があるが[1] いとう しゅんやが正しい[2] [3]

経歴

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福井県 福井市出身[4] 乾徳高等学校を経て、東京大学文学部卒業。

1960年東映撮影所に入り助監督脚本家として活動。助監督時代の映画に『河内遊侠伝』(1967年)がある。

1970年千葉真一 主演の『やくざ刑事シリーズ』の第二作『やくざ刑事 マリファナ密売組織』を野田幸男と共同監督。

1972年梶芽衣子主演『女囚701号 さそり』を単独で監督、本人はこれをデビュー作としている。鮮烈な様式美で『女囚さそりシリーズ』としてシリーズ化されたが、先鋭的な演出がどんどんエスカレートしたこともあり第3作で降板。謎めいたラストシーンが話題になったオカルト映画『犬神の悪霊』を挟んで長いブランクが続く。久々のメガホンとなった『誘拐報道』は第56回キネマ旬報ベスト・テン第9位、モントリオール世界映画祭審査員賞など評価が高く、続けて『白蛇抄』『花いちもんめ。』(第9回日本アカデミー賞最優秀作品賞受賞)、『風の又三郎 ガラスのマント』などを発表。映画賞にも恵まれ、大作を任されることが多くなった。

1991年にフリーとなり、1992年に故郷である福井県の「福井ふるさと大使」に任命される。

1998年には『プライド・運命の瞬間』で監督・脚色を務める。かつて東映労組の戦闘的な委員長として鳴らし、反体制的な作品の多かった伊藤が東条英機を主役とする映画を撮ったことで話題と論争を呼んだ。

2003年紫綬褒章受章[3]

2006年の『映画監督って何だ!』の監督・脚本を務める。日本映画監督協会設立70周年記念事業として多数の映画監督が出演した作品である。

2010年 7月3日には『ロストクライム -閃光-』が公開。長坂秀佳とともに、脚本も担当している。

2012年4月、旭日小綬章受章[5] [3]

家族

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長男は日本テレビドラマプロデューサーで、それいけ!アンパンマン初代プロデューサーの伊藤響(いとう きょう、1965年 2月3日 - )[6] 。母方の伯父に天文学者藤田良雄がいる[7] 。母方の祖父の藤田貞造は、戦前に福井新聞の編集長を務めたほか「藤田村雨」の筆名で小説を書いている[8]

作品

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映画

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監督

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(注記)は脚本兼務

脚本

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企画

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助監督

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出演

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  • 映画を語る 東映大泉篇・II (2003年)

作詞

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著書

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脚注

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  1. ^ allcinema 伊藤俊也のプロフィール
  2. ^ 日本映画監督協会・会員名簿
  3. ^ a b c "会員情報 - 伊藤俊也". 日本映画監督協会. 2023年7月12日閲覧。
  4. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.532
  5. ^ "平成24年春の叙勲 旭日小綬章等受章者 埼玉県" (PDF). 内閣府. p. 1 (2012年4月29日). 2013年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月12日閲覧。
  6. ^ 『新訂 現代日本人名録2002』(日外アソシエーツ)
  7. ^ 伊藤俊也氏
  8. ^ 週刊新潮」2006年11月9日号(新潮社)「週刊新潮掲示板」

外部リンク

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1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
受賞年は表示年の翌年。「(注記)」は奨励賞。

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