コンテンツにスキップ
Wikipedia

三条実顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"三条実顕" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2019年11月)
 
三条実顕
時代 江戸時代中期
生誕 宝永5年5月29日(1708年 7月16日)
死没 安永元年12月19日(1773年 1月11日)
改名 利季(初名)→実顕
別名 号:誠心院
墓所 右京区 二尊院
官位 従一位右大臣
主君 中御門天皇桜町天皇桃園天皇
氏族 三条家
父母 父:三条公兼、母:広幡豊忠の娘[1] [2]
養父:三条公充 、養母:井伊直興
兄弟 河鰭輝季実顕
三条公充の娘
季晴 河鰭実祐中山忠尹
養子:三条西延季
テンプレートを表示

三条 実顕(さんじょう さねあき)は、江戸時代中期の公卿権大納言三条公充の養子。官位従一位右大臣三条家25代当主。主に中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)の三代に亘り仕えた。

経歴

[編集 ]

左近衛中将三条公兼の次男として誕生。初名は利季

正徳4年(1714年)、叙爵。享保4年(1719年)、叔父である三条公充の婿養子に入った。三条家の嫡男として侍従左近衛中将権中納言踏歌節会外弁・権大納言などを経て、寛延2年(1749年)に右近衛大将内大臣となった。翌年辞職。宝暦4年(1754年)には従一位・右大臣に任じられるも辞職する。

系譜

[編集 ]

脚注

[編集 ]
  1. ^ 改正増補諸家知譜拙記
  2. ^ 三条家系譜
  3. ^ 権大納言

関連タグ

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /