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三十二番職人歌合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
算をき(算置、左)、こも僧(薦僧、右)の歌合
桂の女(桂女)。

三十二番職人歌合』(さんじゅうにばんしょくにんうたあわせ)は、日本の中世(12世紀 - 16世紀)期に編纂された4種5作の職人歌合の一つである[1] 。「三十六歌仙」をテーマに13世紀につくられた歌合三十六歌仙絵巻』の描法・構図を踏襲して、15世紀末(1494年)、当時台頭し始めた「職人」をテーマに、32の職種をピックアップして構成された[1] [2] 。形態は絵巻物 [2]

略歴・概要

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1214年(建保2年)につくられた『東北院職人歌合』(曼殊院旧蔵本10種、群書類従本24種)、1261年(文応2年、弘長元年)につくられた『鶴岡放生会職人歌合』(24職種)に次ぐ3つめの職人歌合である[1] [2] 。1494年(明応3年2月)、後土御門天皇(1442年 - 1500年)の生母で後花園天皇の准后、嘉楽門院信子(大炊御門信子、1411年 - 1488年)の七回忌を契機に作成されたとされる[1] 。「いやしき身なる者」が歌を番えるという形式をもつ[3] 。「いやしき身なる者」とは、絵解や猿牽(猿飼)、鉦叩胸叩といった門付大道芸を行う芸能者、桂の女(桂女)や樒売菜売といった行商人がそれであり、これらの職能は、経済流通・交通の変化・発展や、芸能の発展、民間仏教の布教といった時代背景をもって出現したものである[3]

歌数64首、職種32種、「花」「述懐」を題とした狂歌的な和歌による各16番合計32番の歌合として構成されている[1] 。略画の描写も動的であり、3世紀近く先行する2つの職人歌合に比較すると、独自な発展がみられる[1] 。歌合には「判者」が欠かせないが、これを本作では「勧進聖」としている[1]

1793年(寛政5年) - 1819年(文政2年)に編纂された『群書類従』に取り上げられた(1207番)。1778年(安永7年)の模本等が現存する。国立国会図書館所蔵の『群書類従 502』では、テキストのみで略画が省略されている[4]

一覧

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本作の歌合の組み合わせ、および登場する職能の一覧である[3]

三十二番職人歌合
1 千秋万歳法師 絵解
2 獅子舞 猿牽(猿飼)
3 うぐひす飼(鶯飼) 鳥さし(鳥刺)
4 大のこひき(大鋸引) 石切
5 桂の女 鬘捻
6 算をき(算置) こも僧(薦僧)
7 高野聖 巡礼
8 鉦敲(鉦叩) 胸たたき(胸叩)
9 へうほうゑ師(表補絵師) はり殿(張殿)
10 渡もり(渡守) 輿舁
11 農人 庭掃
12 材木売 竹売
13 結おけし(結桶師) 火鉢うり(火鉢売)
14 糖粽売 地黄煎うり(地黄煎売)
15 箕つくり(箕作) しきみ売(樒売)
16 菜うり(菜売) 鳥売

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 世界大百科事典 第2版『三十二番職人歌合』 - コトバンク、2012年8月24日閲覧。
  2. ^ a b c 世界大百科事典 第2版『職人歌合』 - コトバンク、2012年8月24日閲覧。
  3. ^ a b c 小山田ほか、p.142.
  4. ^ 群書類従国立国会図書館、2012年8月24日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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