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ロビン・リード

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(2018年11月)
ロビン・リード
基本情報
本名 ロビン・リード
通称 Grim Reaper(死神)
The Reaper Man
階級 スーパーミドル級
身長 175cm
リーチ 193cm
国籍 イギリスの旗 イギリス
誕生日 (1971年02月19日) 1971年 2月19日(54歳)
出身地 セルフトン
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 51
勝ち 42
KO勝ち 29
敗け 8
引き分け 1
無効試合 0
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獲得メダル
イギリスの旗 イギリス
男子 ボクシング
オリンピック
1992 バルセロナ ライトミドル級

ロビン・リード(Robin Reid1971年 2月19日 - )は、イギリス男性 プロボクサーセルフトン出身。元WBC世界スーパーミドル級王者。1992年 バルセロナオリンピックライトミドル級銅メダリスト。Grim Reaper(死神)の愛称で親しまれた。

アマチュア時代

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1988年 ブラチスラヴァで行われたライトミドル級ジュニアトーナメントに出場するが決勝で敗退した[1]

あまりアマチュア大会で結果を残せなかったリードは1992年 バルセロナオリンピックにライトミドル級で出場。1回戦は初回KO勝ちを収めると、2回戦と準々決勝は判定勝ちを収め、準決勝でオルハン・デリバスに判定で敗れ敗退はしたが銅メダルを獲得した。

オリンピック後にプロに正式に転向した。

プロ時代

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1993年2月27日、プロデビューを果たし4回TKO勝ちを収め白星でデビューを飾った。

1994年6月4日、アンドリュー・フーロンと対戦し2回2分40秒KO勝ちを収めた。

1995年2月4日、カーディフのナショナル・アイス・リンクでブルーノ・ウエステンバーグスと対戦し初回TKO勝ちを収めた。

1996年3月16日、アンディー・フルートと対戦し7回TKO勝ちを収めた。

1996年4月26日、ハンター・クレイと対戦し初回TKO勝ちを収めた。

1996年10月12日、ミランメディオラヌム・フォーラムWBC世界スーパーミドル級王者ビンチェンツオ・ナルディエッロと対戦し7回2分59秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[2]

1997年2月8日、ロンドンのニュー・ロンドン・アリーナでジオバンニ・プレトリアスと対戦し7回2分10秒KO勝ちを収め初防衛に成功した。

1997年5月3日、マンチェスターマンチェスター・アリーナでヘンリー・ワールトンと対戦し12回2-0(118-111、117-113、114-114)の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1997年9月11日、後のWBC世界ミドル級王者アッシン・シェリフィーと対戦し12回2-1(117-111、116-113、113-115)の判定勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

1997年12月19日、ニュー・ロンドン・アリーナで元WBC世界スーパーミドル級王者スラニー・マリンガと対戦し12回0-3(113-117、114-115、112-117)の判定負けを喫し4度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

1998年4月18日、マンチェスター・アリーナでグラハム・タウンセッドと対戦し6回2分42秒TKO勝ちを収めた。

1999年2月13日、WBO世界スーパーミドル級王者ジョー・カルザゲと対戦し12回1-2(2者が111-116、116-111)の判定負けを喫しWBCに続く王座獲得に失敗した。

2000年6月24日、後のWBA世界ライトヘビー級王者でWBU世界スーパーミドル級王者シルビオ・ブランコと対戦し12回0-3(111-115、109-118、110-117)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2000年12月8日、マイク・ゴルメリーとWBF世界スーパーミドル級王座決定戦を行い、初回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

2001年5月19日、ロンドンウェンブリー・アリーナでローマン・バサエフと対戦し3回2分54秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

2001年7月14日、ソーン・ボーテスと対戦し4回2分58秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

2001年10月20日、グラスゴーのケルビン・ホールでホルヘ・アンドラス・スクラランディーと対戦し3回KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

2001年12月19日、元WBA世界スーパーウェルター級王者フリオ・セサール・バスケスと対戦し12回3-0(117-111、117-112、117-113)の判定勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

2002年7月10日、フランシスコ・アントニオ・モーラと対戦し12回3-0(2者が117-109、117-111)の判定勝ちを収め5度目の防衛に成功した。

2003年12月13日、WBA・IBF世界スーパーミドル級王者スベン・オットケと対戦し12回0-3(112-117、2者が113-115)の判定負けを喫しWBCに続く王座獲得に失敗した。

2004年4月26日、後のWBA世界スーパーミドル級王者でIBO世界スーパーミドル級王者ブライアン・マギーと対戦し12回3-0(115-111、113-112、114-111)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

2005年8月6日、IBFスーパーミドル級王者ジェフ・レイシーと王座統一戦を行うも8回終了時リードの棄権によるTKO負けを喫しIBO王座の初防衛と、IBF王座獲得に失敗しIBO王座から陥落した。試合後1度目の引退を表明した。

2007年11月9日、後のスーパーミドル級統一王者 カール・フローチと対戦し5回終了時棄権によるTKO負けを喫した。試合後2度目の引退を表明した。

2011年6月25日、ウェイン・リードと対戦し4回2分52秒TKO勝ちを収めた。

2012年10月20日、シェフィールドのシェフィールド・アリーナでケニー・アンダーソンとBBBofC英国スーパーミドル級王座決定戦を行い5回2分45秒TKO負けを喫し、王座獲得に失敗したのを最後に引退した。

獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ International Junior Tournament - Bratislava, Czechoslovakia - June 1988 International Junior Tournament - Bratislava, Results参照
  2. ^ dReid Knocks Out Nardiello, Parisi Stops Rey-Revilla APnews 1996年10月12日

関連項目

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外部リンク

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前王者
ビンチェンツオ・ナルディエッロ WBC世界スーパーミドル級王者

1996年10月12日 - 1997年12月19日

次王者
スラニー・マリンガ

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