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ルイジ・ファジオーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルイジ・ファジオーリ
Luigi Fagioli
ルイジ・ファジオーリ
(1932年)
基本情報
フルネーム ルイジ・クリスティアーノ・ファジオーリ
Luigi Cristiano Fagioli
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国
アンコーナ県 オージモ
生年月日 (1898年06月09日) 1898年 6月9日
死没地 モナコの旗 モナコ
モンテカルロ
没年月日 (1952年06月20日) 1952年 6月20日(54歳没)
F1での経歴
活動時期 1950,1951
所属チーム '50,'51 アルファロメオ
出走回数 7
タイトル 0
優勝回数 1
表彰台(3位以内)回数 6
通算獲得ポイント 28 (32)
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1950年イギリスGP
初勝利 1951年フランスGP
最終勝利 1951年フランスGP
最終戦 1951年フランスGP
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ルイジ・クリスティアーノ・ファジオーリ(Luigi Cristiano Fagioli, 1898年 6月9日 - 1952年 6月20日)は、イタリアマルケ州 アンコーナ県 オージモ出身のレーシングドライバールイジ・ファジオリルイージ・ファジオーリとも表記される。

人物紹介

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自動車の誕生と年齢が重なる世代であり、少年期よりその魅力に取りつかれていた。1925年にレースキャリアをスタートさせ、ヒルクライムボアチュレットなどに参戦。

1931年にマセラティからグランプリデビューし、1932年のイタリアグランプリモナコグランプリで優勝。1933年には、タツィオ・ヌヴォラーリの後釜としてアルファロメオに移籍した。

1934年はメルセデスに移籍し、スペイングランプリで優勝するなど活躍を見せたが、チームとの関係悪化から、1936年にはアウトウニオンに移籍。しかし、この頃よりリウマチに悩まされることとなる。

最終的に、戦前のグランプリにおいては6勝をマークしている。

F1

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1950年に始まったF1世界選手権においては、アルファロメオ・ワークスチームのドライバーとして、ジュゼッペ・ファリーナファン・マヌエル・ファンジオと共に参戦。この年はアルファロメオの強さが圧倒的であり、揃って速さを見せたことから「アルファの3F」と呼ばれることとなった。

初戦イギリスグランプリでは、予選2位からファリーナに次ぐ2位でフィニッシュ。5戦を消化した時点で[1] 、スタート直後の多重事故に巻き込まれリタイヤとなった第2戦モナコグランプリを除く、4戦で2位に入賞。サード・ドライバーという立場から、優勝のチャンスは与えられにくい状況だったが、安定感のある走りでランク2位につけていた。

優勝・ファステストラップ(以下:FL)を記録し、かつファンジオがノーポイントに終わるという厳しい条件だったものの、最終戦イタリアグランプリ時点ではチャンピオン獲得の可能性も残っていた。しかしファンジオはリタイヤしたものの、ファジオーリは3位に終わり、FLも記録出来なかった。ランク3位だったファリーナが優勝し、逆転で王座に就いている。

1951年は第4戦フランスグランプリのみに参戦。このレースで、ファンジオとのシェアドライブ[2] ながら優勝。フィニッシュドライバーもファンジオという状況だったものの、53歳22日でのF1優勝は、2021年現在でも最年長記録として残っている。

死去

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1952年、ファジオーリはランチアからスポーツカーレースに参戦、ミッレミリアで3位に入るなどの成績を残していた。しかし5月31日、モナコグランプリの練習走行中にトンネルでクラッシュし、マシンから投げ出された。

意識不明となった後、一旦は起き上がれるまでに回復。しかし6月20日に急変し、54歳でこの世を去った(医療ミスとも言われる)。

エピソード

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  • やや血の気が盛んな性格で、報復行為と取れるような危険走行をすることもしばしばあったという。

レース戦績

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ヨーロッパ選手権

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フォーミュラ1

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 WDC ポイント
1950年 アルファロメオ 158 アルファロメオ 158 1.5 L8 s GBR
2
MON
Ret
500 SUI
2
BEL
2
FRA
2
ITA
3
3位 24 (28)
1951年 アルファロメオ 159 アルファロメオ 158 1.5 L8 s SUI 500 BEL FRA
1*
GBR GER ITA ESP 11位 4

フォーミュラ1(非世界選手権)

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エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
1950年 アルファロメオ 158 アルファロメオ 158 1.5 L8 s PAU RIC SRM PAR EMP BAR JER ALB NED NAT NOT ULS PES
3
STT INT GOO PEN

注釈

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  1. ^ 形式的に組み込まれていたインディ500を加えると、正確には6戦
  2. ^ 当時はマシンの交換が許されていた。

関連項目

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2019年 - 2023年
チーム参戦
スイスの旗
チーム首脳
主な関係者
ドライバー
車両
主なスポンサー
タイトルスポンサー:
スポンサー/サプライヤー:
関連組織
1979年 - 1985年
チーム参戦
イタリアの旗

1976年 - 1987年
エンジン供給
主な関係者
主なドライバー
車両
主なスポンサー
タイトルスポンサー:
スポンサー/サプライヤー:
エンジン供給先
関連組織
1962年 - 1971年
エンジン供給(注記)
エンジン供給先
(注記)この期間はエンジン供給は散発的に行われた。
主な関係者
主なドライバー
(注記)太字はアルファロメオにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。
車両
関連組織
アウトウニオン
車両
主な関係者
主なドライバー
メルセデス・ベンツ
(ダイムラー・ベンツ)
車両
  • W25 (1934年 - 1936年)
  • W125 (1937年)
  • W154 (1938年 - 1939年)
  • W165 (1939年トリポリGP)
主な関係者
主なドライバー
関連用語
メルセデス・ベンツ
(1926年 - 1939年)
主な関係者


主なドライバー
グランプリカー
  • W25 (1934年 - 1936年)
  • W125 (1937年)
  • W154 (1938年 - 1939年)
  • W165 (1939年)
スポーツカー
速度記録車
関連組織 / 用語
メルセデス
(1894年 - 1925年)
主な関係者


主なドライバー
車両
関連組織
ベンツ
(1894年 - 1925年)
主な関係者
主なドライバー
車両
関連組織
(注記)1894年から1939年の期間、上掲の国旗の多くは政治体制の変遷に伴って(複数回)変更されている。上掲の国旗は国籍を示すことのみを目的にしているため、見た目の煩雑さを避ける便宜上、2021年現在の国旗を使用している。

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