リジェ・JS21
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カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | フランスの旗 リジェ | ||||||||
デザイナー |
フランスの旗 クロード・ギャロパン (英語版) フランスの旗 ミッシェル・ポイジョン | ||||||||
先代 | リジェ・JS19 | ||||||||
後継 | リジェ・JS23 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | モノコック | ||||||||
エンジン | フォード コスワース DFV, 3.0リッター, 495馬力 90度 V8, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FGB 5速 | ||||||||
重量 | 540kg | ||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||
タイヤ | ミシュラン | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | エキップ・リジェ ジタン | ||||||||
ドライバー |
フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ ブラジルの旗 ラウル・ボーセル | ||||||||
初戦 | ブラジルの旗 1983年ブラジルグランプリ | ||||||||
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リジェ・JS21 (Ligier JS21) は、リジェチームが1983年シーズンのF1世界選手権用に開発したフォーミュラカーである。最高成績は7位。
概要
[編集 ]1983年になるとチームはドライバーのラインナップを変更する。ジャン=ピエール・ジャリエとラウル・ボーセルがJS21をドライブすることとなった。
前年限りでマトラが撤退し、リジェは再びDFVエンジンを使わざるを得なかった。DFVでハイパワーのターボエンジン勢に対抗するためには徹底した空力処理が必要となった。その結果、JS21のサイドポンツーンは「アロウシェイプ」として話題を呼んだブラバム・BT52よりもさらに小さいものとなっており、リヤタイヤ前にラジエターを斜めに配置した部分がある以外、ほとんどサイド部が無い特異な形状となった。これはターボ機器が不必要になったために可能になったアイデアでもあった。フラットボトム規定発効に対するもっとも極端なアプローチであったが、成績で見るとマシンそのものは失敗作に終わった[1] 。
サスペンションにはシトロエン製のハイドロニューマチックシステムを搭載し、意欲的なマシンとして投入されたJS21であったが、目立った結果を残すことはできず、チームはF1参戦開始以来初のシーズン獲得ポイント0となった。
F1における全成績
[編集 ]年 | シャシー | エンジン | タイヤ | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | ポイント | 順位 |
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1983年 | JS21 | フォード コスワース DFV 3.0 V8 |
M | BRA ブラジルの旗 |
USW アメリカ合衆国の旗 |
FRA フランスの旗 |
SMR サンマリノの旗 |
MON モナコの旗 |
BEL ベルギーの旗 |
USE アメリカ合衆国の旗 |
CAN カナダの旗 |
GBR イギリスの旗 |
GER ドイツの旗 |
AUT オーストリアの旗 |
NED オランダの旗 |
ITA イタリアの旗 |
EUR 欧州連合の旗 |
RSA 南アフリカの旗 |
0 | - | ||
25 | フランスの旗 ジャリエ | Ret | Ret | 9 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 10 | 8 | 7 | Ret | 9 | DNS | 10 | ||||||
26 | ブラジルの旗 ボーゼル | Ret | 7 | Ret | 9 | Ret | 13 | 10 | Ret | Ret | Ret | DNQ | 10 | DNQ | 15 | NC |