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モトゥル・デ・サン・ホセ

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モトゥル・デ・サン・ホセ
ヤシュチランまぐさ石15に見える鳥ジャガー3世の妻のひとり、モトゥル・デ・サン・ホセの王女ワク・トゥーン[1] 。左の上から3字目に紋章文字が見える。大英博物館蔵。
遺跡の位置
所在地 グアテマラペテン県
座標 北緯17度1分35秒 西経89度54分5秒 / 北緯17.02639度 西経89.90139度 / 17.02639; -89.90139 座標: 北緯17度1分35秒 西経89度54分5秒 / 北緯17.02639度 西経89.90139度 / 17.02639; -89.90139
種類 定住地
歴史
時代 形成期後期-古典期後期
文化 マヤ

モトゥル・デ・サン・ホセ(Motul de San José)は、グアテマラペテン県中央のペテン・イツァ湖北岸近くにある古代マヤ遺跡。イク様式として知られる特徴のある土器の生産で知られる。

遺跡

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「モトゥル」という語の意味は明らかでないが、同名のマヤの地名は他にもいくつか見られる。ユカタン州にもモトゥルがあり、またティカルの古典時代の名前のムトゥル(またはムタル)も関係あると考えられている[2] [3]

紋章文字によれば、古典期にはモトゥル・デ・サン・ホセはイク(Ik'、風)と呼ばれていた。この文字はツォルキンの第2日と同じ字である。この紋章文字は、古典期前期には北のベフカル、後期にはモトゥル・デ・サン・ホセを表す文字として出現する[4] [5]

歴史

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遺跡には4つの石碑といくつかの石碑の断片が残されているが、保存状態がよくない。また、大部分の土器は出土地が明らかでなく、日付がカレンダー・ラウンドのみであるために時代が不明である[6] 。このため、モトゥル・デ・サン・ホセの歴史は不明な点が多い。

石碑には「イツァ」の語が見られる。またセイバルフローレスの石碑にはイツァ族に特徴的なカネク(またはチャネク)王の名が見られ、849年と869年のカトゥンの終わりを祝っている[4] [7]

おそらく古典期前期にすでに王朝があったが、最初の明確な王は石碑4のキニチ王で、682年の年が記されている[8] 。キニチから9世紀のカネク(チャネク)王まで、9人の王の名が確認される。711年の石碑には、モトゥル・デ・サン・ホセが再興したティカルのハサウ・チャン・カウィール1世に従属していたことが記されている[9] 。741年には王がマチャキラーの捕虜になった[10] 。745年には王がドス・ピラスの捕虜になった[11] 。8世紀後半にドス・ピラスが崩壊すると、モトゥル・デ・サン・ホセは、婚姻関係を結んでいだヤシュチランを含む他の都市からの攻撃を受けた[10] [12]

調査史

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モトゥル・デ・サン・ホセは1895年にテオベルト・マーラーが訪れた。

1998年以降、ウィリアムズ大学のアントニア・フォイアスおよびフロリダ博物館のキティー・エメリーの率いる調査隊によって発掘調査が行われた[13]

脚注

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  1. ^ "Lady Wak Tuun", Encyclopedia Mesoamericana, Mesoweb, http://www.mesoweb.com/encyc/view.asp?record=6228&act=viewexact&view=normal&redir=no  
  2. ^ David Stuart (2013年11月08日), Deciphering the Tikal Emblem Glyph, Maya Decipherment, https://decipherment.wordpress.com/2013/11/08/deciphering-the-tikal-emblem-glyph/  
  3. ^ Martin & Grube (2000) p.30
  4. ^ a b Antonia E. Foias (2004), Politics and Economics: Motul de San José, Petén, FAMSI, p. 5, http://www.famsi.org/reports/02049/02049Foias01.pdf  
  5. ^ Zender & Tokovinine (2012) pp.31-35 によるとイクではなくイカ(Ik'a')が正しい。また pp.35-36 によるとベフカルの紋章文字は疑わしいという
  6. ^ Zender & Tokovinine (2012) p.30
  7. ^ Zender & Tokovinine (2012) p.48
  8. ^ Zender & Tokovinine (2012) p.36
  9. ^ Martin & Grube (2000) pp.45-46
  10. ^ a b Zender & Tokovinine (2012) pp.53-56
  11. ^ Martin & Grube (2000) p.62
  12. ^ Martin & Grube (2000) p.135
  13. ^ Maya Motul de San Jose, Williams College, https://unbound.williams.edu/mayamotuldesanjosearchaeology/  

参考文献

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  • Martin, Simon; Grube, Nikolai (2000). Chronicle of the Maya Kings and Queens. Thames & Hudson. ISBN 0500051038  (日本語訳:『古代マヤ王歴代誌』創元社2002年)
  • Zender, Marc; Tokovinine, Alexandre (2012). "Lords of Windy Water: The Royal Court of Motul de San José in Classic Maya Inscriptions". In Antonia E. Foias; Kitty F. Emery. Motul de San José: Politics, History, and Economy in a Classic Maya Polity. University Press of Florida. pp. 30-66. ISBN 9780813041902  
マヤ遺跡
ベリーズ
グアテマラ
ホンジュラス
メキシコ
エルサルバドル
先コロンブス期」も参照

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