ホワイトストーン
ホワイトストーン | |||
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1993年AJCC | |||
欧字表記 | White Stone[1] | ||
品種 | サラブレッド [1] | ||
性別 | 牡 [1] | ||
毛色 | 芦毛 [1] | ||
生誕 | 1987年 4月2日 [1] | ||
死没 | 1998年 2月4日(12歳没・旧表記) | ||
父 | シービークロス [1] | ||
母 | ワイングラス[1] | ||
母の父 | ナイスダンサー [1] | ||
生国 | 日本の旗 日本(北海道 厚真町)[1] | ||
生産者 | 大川幾男[1] | ||
馬主 | 安藤博[1] | ||
調教師 | 高松邦男(美浦南)[1] | ||
競走成績 | |||
生涯成績 | 32戦4勝[1] | ||
獲得賞金 | 4億2178万1600円[1] | ||
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ホワイトストーン(欧字名:White Stone、1987年 4月2日 - 1998年 2月4日)は、日本の競走馬、種牡馬 [1] 。主な勝ち鞍に1990年のセントライト記念、1991年の産経大阪杯、1993年のアメリカジョッキークラブカップ。長きに渡り活躍し、永遠の原石や白い名脇役と[2] 呼ばれた。
戦歴
[編集 ]3歳〜4歳春
[編集 ]ホワイトストーンは1989年6月、札幌競馬場でデビュー。この新馬戦では5着だったが、4ヶ月後の未勝利戦で柴田政人とのコンビで逃げ切り勝ちを収めた。次走の朝日杯3歳ステークスでも柴田が騎乗し、アイネスフウジンの5着と好走、3歳時を終える。
年が明けて4歳になると、ホワイトストーンは1月の京成杯で2着になった後、皐月賞トライアルの弥生賞で3着となり、皐月賞の優先出走権を獲得した。
クラシックの第1弾の皐月賞では、ホワイトストーンは1番人気だったアイネスフウジンとスタート直後に接触し落馬しそうになるというアクシデントが影響して道中かかってしまい、勝ったハクタイセイから0.8秒離れた8着に終わった。
ダービートライアルのNHK杯で3着になり、ダービーの優先出走権を獲得したホワイトストーンは日本ダービーに出走する事になったが、柴田がホワイトストーンと同厩のビッグマウスに騎乗する事になったため、田面木に乗り替わる事になった。レースでは乗り替わりが影響して12番人気だったが、道中後方から直線で鋭く追い込み、レコードタイム(当時)で逃げ切ったアイネスフウジンの3着と好走した。
4歳秋
[編集 ]秋初戦となったセントライト記念で再び柴田が騎乗する事になったホワイトストーンは単枠指定の1番人気に応え1着となり、未勝利戦以来の勝利を挙げた。クラシック最終戦の菊花賞では2番人気に推されたが、メジロマックイーンを捉え切れず2着に惜敗した。
ジャパンカップでは5番人気だったが、南半球最強馬ベタールースンアップ、北米の強豪カコイーシーズ、フランスのオードに続き、日本馬で最先着の4着と健闘した。
有馬記念では、ジャパンカップでの好走もあって1番人気に支持されたが、ラストランを勝利で飾ったオグリキャップから約1馬身離れた3着に敗れた(レースに関する詳細については第10回ジャパンカップを参照)。
5歳
[編集 ]5歳になったホワイトストーンは産経大阪杯から始動した。鞍上が田面木に戻ったこのレースでは、先行策を採ったのが功を奏し、2着のダイユウサクに1馬身1/4の差をつけて完勝した。だが、春の天皇賞では3番人気に支持されたが6着、宝塚記念でも3番人気になったが4着に敗れた。
秋はオールカマーから復帰したが、このレースでは地方馬のジョージモナークを捉え切れず2着に終わった。続く秋の天皇賞では不良馬場が祟って7着、アルゼンチン共和国杯では1番人気に推されながら、60キロの斤量が堪えて15着と大敗し、この年を終えている。
6歳
[編集 ]6歳になったホワイトストーンは鞍上を柴田に戻したが、復帰初戦となった中山記念は3着、連覇を狙った大阪杯では5着と掲示板には載るものの勝てず、京成杯以来のマイル戦となった安田記念ではスピードについていけず9着と惨敗した。
秋はぶっつけで秋の天皇賞に出走したが5着、鞍上が田面木になった福島記念では59.5キロの斤量が祟って9着と惨敗、有馬記念では鞍上を柴田に戻したが、全くいいところなく10着に終わり、この年を終えている。
7歳以降
[編集 ]7歳になったホワイトストーンの初戦はアメリカジョッキークラブカップ。このレースで柴田は思い切って逃げる事を選択、この作戦が見事当たり、ホワイトストーンは直線で追い込んできたレガシーワールド以下の追撃を振り切って、1年9ヶ月ぶりの勝利を挙げた[3] 。これがホワイトストーンの現役最後の勝利となった。
その後、ホワイトストーンは8歳まで現役を続けたが、GI勝利を挙げる事なく、8歳夏の札幌記念で10着に終わったのを最後に引退した。
ホワイトストーンはデビュー3戦目に朝日杯3歳ステークスに出走してから現役最後のレースとなる札幌記念に出走する前に札幌日経オープンに出走するまで28戦連続して重賞競走に出走していた[4] 。
競走成績
[編集 ]以下の内容は、netkeiba.com[5] およびJBISサーチ[6] に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
備考 |
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1989. 06.18 | 札幌 | 3歳新馬 | ダ1000m(良) | 10 | 8 | 10 | 002.40(1人) | 05着 | R1:02.1(37.9) | -1.4 | 0田面木博公 | 53 | インターボイジャー | 424 | ||
0000.11.04 | 東京 | 3歳未勝利 | 芝1400m(良) | 12 | 2 | 2 | 002.60(1人) | 01着 | R1:23.4(47.7) | -0.4 | 0柴田政人 | 54 | (カシミールダンサー) | 432 | ||
0000.12.17 | 中山 | 朝日杯3歳S | GI | 芝1600m(良) | 15 | 6 | 10 | 007.20(4人) | 05着 | R1:35.3(36.4) | -0.9 | 0柴田政人 | 54 | アイネスフウジン | 434 | |
1990. 01.14 | 中山 | 京成杯 | GIII | 芝1600m(良) | 9 | 2 | 2 | 003.70(2人) | 02着 | R1:35.5(36.0) | -0.3 | 0柴田政人 | 55 | ノーモアスピーディ | 438 | |
0000.03.04 | 中山 | 弥生賞 | GII | 芝2000m(不) | 14 | 2 | 3 | 013.80(5人) | 03着 | R2:05.6(38.7) | -0.2 | 0柴田政人 | 55 | メジロライアン | 436 | |
0000.04.15 | 中山 | 皐月賞 | GI | 芝2000m(良) | 18 | 2 | 3 | 017.40(9人) | 08着 | R2:03.0(37.2) | -0.2 | 0柴田政人 | 57 | ハクタイセイ | 436 | |
0000.05.06 | 東京 | NHK杯 | GII | 芝2000m(良) | 16 | 1 | 1 | 005.30(2人) | 03着 | R2:01.0(36.3) | -0.2 | 0柴田政人 | 56 | ユートジョージ | 436 | |
0000.05.27 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 22 | 2 | 4 | 037.2(12人) | 03着 | R2:25.7(35.6) | -0.4 | 0田面木博公 | 57 | アイネスフウジン | 434 | |
0000.09.23 | 中山 | セントライト記念 | GII | 芝2200m(良) | 11 | 6 | 6 | 003.00(1人) | 01着 | R2:13.0(34.6) | -0.7 | 0柴田政人 | 56 | (アサクサキャノン) | 450 | |
0000.11.04 | 京都 | 菊花賞 | GI | 芝3000m(重) | 17 | 1 | 1 | 005.40(2人) | 02着 | R3:06.4(46.8) | -0.2 | 0柴田政人 | 57 | メジロマックイーン | 450 | |
0000.11.24 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m(良) | 15 | 2 | 2 | 007.90(5人) | 04着 | R2:23.4(35.2) | -0.2 | 0柴田政人 | 55 | ベタールースンアップ | 450 | |
0000.12.23 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 16 | 7 | 13 | 003.30(1人) | 03着 | R2:34.4(35.4) | -0.2 | 0柴田政人 | 55 | オグリキャップ | 454 | |
1991. 03.31 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m(稍) | 10 | 6 | 6 | 001.90(1人) | 01着 | R2:01.5(47.9) | -0.2 | 0田面木博公 | 57 | (ダイユウサク) | 450 | |
0000.04.28 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 18 | 4 | 8 | 004.60(3人) | 06着 | R3:19.5(48.1) | -0.7 | 0田面木博公 | 58 | メジロマックイーン | 450 | |
0000.06.09 | 京都 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 10 | 3 | 3 | 004.70(3人) | 04着 | R2:14.2(48.3) | -0.6 | 0田面木博公 | 56 | メジロライアン | 444 | |
0000.09.15 | 中山 | オールカマー | GIII | 芝2200m(稍) | 14 | 1 | 1 | 001.50(1人) | 02着 | R2:12.5(35.6) | -0.1 | 0田面木博公 | 57 | ジョージモナーク | 450 | |
0000.10.27 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(不) | 18 | 2 | 4 | 004.80(2人) | 07着 | R2:04.3(38.8) | -0.4 | 0田面木博公 | 58 | プレクラスニー | 458 | [注 1] |
0000.11.17 | 東京 | アルゼンチン共和国杯 | GII | 芝2500m(良) | 16 | 8 | 15 | 003.10(1人) | 15着 | R2:34.4(38.2) | -1.8 | 0田面木博公 | 60 | ヤマニングローバル | 458 | |
1992. 03.15 | 中山 | 中山記念 | GII | 芝1800m(良) | 12 | 5 | 6 | 004.00(3人) | 03着 | R1:48.9(34.9) | -0.4 | 0柴田政人 | 58 | ダイナマイトダディ | 456 | |
0000.04.05 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m(良) | 8 | 1 | 1 | 010.20(3人) | 05着 | R2:07.0(47.9) | -0.7 | 0柴田政人 | 58 | トウカイテイオー | 456 | |
0000.05.17 | 東京 | 安田記念 | GI | 芝1600m(良) | 18 | 2 | 4 | 013.90(6人) | 09着 | R1:34.7(36.9) | -0.9 | 0柴田政人 | 57 | ヤマニンゼファー | 456 | |
0000.11.01 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 18 | 5 | 10 | 022.80(6人) | 05着 | R1:59.1(36.9) | -0.5 | 0柴田政人 | 58 | レッツゴーターキン | 454 | |
0000.11.22 | 福島 | 福島記念 | GIII | 芝2000m(良) | 14 | 7 | 11 | 001.50(1人) | 05着 | R2:02.9(37.6) | -0.8 | 0田面木博公 | 59.5 | アラシ | 454 | |
0000.12.27 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 16 | 1 | 2 | 022.40(6人) | 10着 | R2:34.5(35.4) | -1.0 | 0柴田政人 | 56 | メジロパーマー | 460 | |
1993. 01.24 | 中山 | AJCC | GII | 芝2200m(稍) | 9 | 1 | 1 | 012.50(6人) | 01着 | R2:15.0(36.7) | -0.4 | 0柴田政人 | 57 | (レガシーワールド) | 464 | |
0000.09.19 | 中山 | オールカマー | GIII | 芝2200m(良) | 13 | 8 | 13 | 014.50(6人) | 04着 | R2:13.6(36.0) | -1.0 | 0柴田政人 | 56 | ツインターボ | 454 | |
0000.10.31 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 17 | 7 | 14 | 010.60(4人) | 08着 | R1:59.8(36.1) | -0.9 | 0柴田政人 | 58 | ヤマニンゼファー | 452 | |
0000.11.20 | 東京 | アルゼンチン共和国杯 | GII | 芝2500m(良) | 17 | 5 | 9 | 008.70(3人) | 16着 | R2:38.5(42.3) | -5.9 | 0柴田政人 | 59 | ムッシュシェクル | 450 | |
0000.12.26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 14 | 5 | 7 | 039.1(12人) | 14着 | R2:34.8(39.0) | -3.9 | 0田面木博公 | 56 | トウカイテイオー | 460 | |
1994. 01.23 | 中山 | AJCC | GII | 芝2200m(良) | 14 | 3 | 3 | 023.90(7人) | 10着 | R2:15.1(36.4) | -1.0 | 0田面木博公 | 58 | マチカネタンホイザ | 460 | |
0000.06.12 | 札幌 | 札幌日経オープン | OP | 芝1800m(良) | 12 | 4 | 4 | 003.10(2人) | 03着 | R1:47.6(35.4) | -0.4 | 0田面木博公 | 56 | ホクトベガ | 456 | |
0000.07.03 | 札幌 | 札幌記念 | GIII | 芝2000m(良) | 13 | 4 | 5 | 005.90(2人) | 10着 | R2:02.0(36.5) | -1.1 | 0田面木博公 | 57.5 | ホクトベガ | 454 |
引退後
[編集 ]ホワイトストーンは1995年に種牡馬入りしたが、1998年に小腸癒着のため、12歳の若さで死亡した[7] 。残した産駒の中から2000年の東京王冠賞を制したアローウィナーが出ている。
血統表
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脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]- ^ 8位入線繰り上がり7着(1位入線メジロマックイーンが18位降着)。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o "ホワイトストーン". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年10月7日閲覧。
- ^ 『週刊100名馬 27』産業経済新聞社。
- ^ 『優駿』1993年3月号、日本中央競馬会、146頁
- ^ 当時の記録であったが、のちにナイスネイチャに更新されている。
- ^ "ホワイトストーンの競走成績". netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月21日閲覧。
- ^ "ホワイトストーン 競走成績". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月21日閲覧。
- ^ "ニュースぷらざ". ケイバブック. 2015年6月7日閲覧。
- ^ a b c "血統情報:5代血統表|ホワイトストーン|JBISサーチ". JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年6月18日閲覧。
- ^ 『優駿』1993年3月号、日本中央競馬会、147頁
外部リンク
[編集 ]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post