ホシザキユキノシタ
ホシザキユキノシタ |
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ホシザキユキノシタの群集(筑波実験植物園)
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分類 (APG III) |
階級なし
:
被子植物 angiosperms
階級なし
:
コア真正双子葉類 core eudicots
品種
:
ホシザキユキノシタ S. s. f. aptera
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学名 |
Saxifraga stolonifera Curtis f. aptera (Makino ) H. Hara [1] |
和名 |
ホシザキユキノシタ(星咲雪ノ下[2] ) |
ホシザキユキノシタ(星咲雪ノ下[2] )はユキノシタ科 ユキノシタ属の植物 [1] 。多年生植物で[3] 、ユキノシタの変種 [4] または品種とされる[5] 。
茨城県の筑波山で発見され、筑波山のみに生育する固有種である[6] [7] 。このためつくば市の花に選ばれ、同市の天然記念物となっている[8] 。
特徴
[編集 ]ホシザキユキノシタが一般に見られるユキノシタと違う点は花の形である[1] 。通常のユキノシタは下側の2枚の花弁が長くなるが[3] 、ホシザキユキノシタは長くならず、上側の3枚の花弁と同じくらいの長さで花弁の幅が狭い[6] 。極端なものでは下の花弁が退化して、雄しべとなっており、通常の雄しべと共に特徴的な星形の花を成す[6] 。可憐な花で[8] 、花弁の色は白色から淡紅色をしている[1] 。花は5月下旬から6月に咲き、花が咲かないと普通のユキノシタと区別することができない[6] 。
上側の3枚の花弁は卵形で長さ1.5 - 2.5cm [5] 、赤色の斑点を付ける[9] 。先端は鋭尖頭(えいせんとう、鋭くとがっている)、基部は円脚または広楔脚で黄色の斑点が見られる[5] 。雄しべは12本あり、葯(やく)は先端微凸頭である[5] 。草丈は20 - 50cmで一般のユキノシタと同程度である[3] 。
ホシザキユキノシタは繁殖力が強く、筑波山神社の石垣へ移植された個体の活着も良い[5] 。一方で、茨城県自然博物館による1998年(平成10年)の報告書では自然自生地の方で個体数の減少が指摘されている[5] 。
命名者と名前の由来
[編集 ]命名者は原寛 [1] または牧野富太郎とされる[4] 。原命名説では1924年(大正13年)に[1] 、牧野命名説では1926年(大正15年/昭和元年)に[4] 、それぞれ標本を基に命名したとしている[1] [4] 。原と牧野はホシザキユキノシタの分類について見解を異にしており、原はユキノシタの品種とし、牧野は品種より1段階上の変種と位置付けた[5] 。
名前は花の形に由来し、花弁と雄しべが星のような形で咲くことにちなむ[6] [10] 。
学名
[編集 ]学名は変種とする立場からはSaxifraga stolonifera Meeb. var. aptera Makino[4] 、品種とする立場からはSaxifraga stolonifera Meeb form aptera (Makino) H. Hara[4] またはSaxifraga stolonifera Curtis f. aptera (Makino) H. Haraと命名されている[1] 。
発見地と生育地
[編集 ]筑波山は明治以前より著名な山であり、多くの植物学者が訪れ、ツクバササ、ツクバグミ、ツクバキンモンソウなど多くの新種が発見された[1] 。「ツクバ」の名こそ付いていないが、ホシザキユキノシタもその1種であり、松本荒次郎によって筑波山の女体山岩壁で発見、採集された[1] 。1924年(大正13年)のことである[10] 。松本による発見後、現地ではホシザキユキノシタは確認されず一時は絶滅したと思われたが、1959年(昭和34年)に木村義明が男体山の石垣で群落を発見し、現存が確認された[6] 。現在では男体山だけでなく、筑波山神社でも見ることができる[11] 。
人間との関わり
[編集 ]1988年(昭和63年)1月31日につくば市の天然記念物に指定された[8] 。なお登録名称はひらがなの「ほしざきゆきのした」で、管理者はつくば市筑波1番地の筑波山神社となっている[12] 。また、1997年(平成9年)11月30日につくば市の市制施行10周年を記念して市の花に選定された[13] 。
つくば市の花に選定された1997年(平成9年)には、『茨城における絶滅のおそれのある野生生物(植物編)』(茨城県レッドリスト植物編)が刊行され「危急種」に位置付けられ、同レッドリストの見直しによって発行された2011年(平成23年)版では「絶滅危惧IA類」となった[14] 。絶滅危惧IA類とは、「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」と定義されている[15] 。
昭和天皇は鈴木昌友の案内で筑波山を登山した際、ホシザキユキノシタに強い興味を示したという[4] 。また2000年(平成12年)12月12日に天皇・皇后が茨城県岩井市(現坂東市)にあるミュージアムパーク茨城県自然博物館を訪れた際、職員がホシザキユキノシタの標本を紹介したところ皇后は「星のような花でした」と感想を述べた[4] 。
脚注
[編集 ]- ^ a b c d e f g h i j 鈴木(1970):294ページ
- ^ a b 御所見(2001):148ページ
- ^ a b c 前田(2009):79ページ
- ^ a b c d e f g h 小幡(2001):4ページ
- ^ a b c d e f g 菅谷ほか 編(1998):116ページ
- ^ a b c d e f 鈴木(1970):295ページ
- ^ つくば新聞"筑波山の自然 つくば新聞"(2012年3月17日閲覧。)
- ^ a b c つくば市(2010):ページ番号なし
- ^ 学園都市の自然と親しむ会 編(1992):79ページ
- ^ a b 茨城新聞社 編(1981):946ページ
- ^ 前田(2009):20ページ
- ^ 山崎(2002):245ページ
- ^ つくば市行政経営課"つくば市|つくば市年表(市誕生〜2000年)"(2012年3月17日閲覧。)
- ^ 茨城県(2011):5ページ
- ^ 茨城県(2011):2ページ
参考文献
[編集 ]- 茨城県『茨城における絶滅のおそれのある野生生物(植物編)』茨城県、2011年、54pp.
- 茨城新聞社 編『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年10月8日、1099pp.
- 小幡和男(2001)"天皇皇后両陛下もご覧になったホシザキユキノシタ"自然博物館ニュース A・MUSEUM(ミュージアムパーク茨城県自然博物館).27:4.
- 学園都市の自然と親しむ会 編『筑波山 つくばの自然誌 I』STEP、1992年5月20日、150pp. ISBN 4-915834-12-3
- 御所見直好『振りかえる ふるさと山河の花 第二巻』日貿出版社、2001年6月10日、343pp. ISBN 4-8170-8052-3
- 菅谷政司・小幡和男・倉持眞寿美・久松正樹・高橋淳・池澤広美・小池渉 編『茨城県自然博物館第1次総合調査報告書―筑波山・霞ヶ浦を中心とする県南部地域の自然―』ミュージアムパーク茨城県自然博物館、平成10年3月28日、349pp.
- 鈴木昌友『茨城の植物』茨城新聞社、昭和45年7月1日、490pp.
- つくば市『第3次つくば市総合計画 後期基本計画』つくば市市長公室、平成22年3月、229pp.
- 前田信二『ネイチャーガイド 筑波山の自然図鑑』メイツ出版、2009年4月20日、183pp. ISBN 978-4-7804-0618-4
- 山崎睦男『茨城の天然記念物―緑の憩いをたずねて―』暁印書館、2002年7月15日、253pp. ISBN 4-87015-148-0