ペトロ
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ペトロ | |
---|---|
初代ローマ教皇 | |
ピーテル・パウル・ルーベンス画 | |
教皇就任 | 30年? |
教皇離任 | 64年から68年の間 |
先代 | (初代ローマ教皇) |
次代 | リヌス |
個人情報 | |
出生 |
1年? ローマ帝国 シリア属州 ゴラン高原 ベツサイダ |
死去 |
64年から68年 (62〜67歳) ローマ帝国 イタリア本土 ローマ ウァティカヌスの丘 |
埋葬地 |
バチカンの旗 バチカン サン・ピエトロ大聖堂 |
原国籍 | ローマ帝国 |
宗派 | ユダヤ人キリスト教徒 |
親 | ヨナ |
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ペトロ (ヘブライ語: שִׁמְעוֹן בַּר־יוֹנָה[1] 、古代ギリシア語: Πέτρος[2] 、古典ラテン語:Petrus)(生年不明 - 67年?)は、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。初代ローマ教皇とされる。シモン・ペトロ、ペテロ、ケファともいわれる。聖人の概念をもつキリスト教 諸教派(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)において聖人とされ、その記念日(聖名祝日)は6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12日に相当)である。
カトリック教会においては「使徒の頭」[3] 、正教会においてはペトルと呼ばれ、パウロ(パウェル)と並んで首座使徒の一人と捉えられている[4] 。
名称
[編集 ]本名はシモン(ヘブライ語読みでは「シメオン」שמעון 。「シモン」は「シメオン」の短縮形)であるが、イエスにより「ケファ」(Kêpâ、アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後にギリシア語での意訳である「ペトロス 」という呼び名で知られるようになる。
パウロも書簡の中で、ペトロのことを「ケファ」と呼んでいる。この名はイエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる」[5] と言ったことに由来している。
日本のカトリック教会で用いられてきた「ペトロ」はラテン語に基づく表記[6] [7] (羅: Petrus; abl. Petro)で、カトリック教会とエキュメニカル派の『新共同訳聖書』にも採用された。日本の聖書用語に大きな影響を与えたプロテスタントの『文語訳聖書』とプロテスタントの他の翻訳では「ペテロ」と表記される[8] [9] 。 日本正教会では教会スラヴ語から「ペトル」と転写する。正教会ではペトル(ペトロ)を首座使徒との呼称を以て崇敬する。
また、「ペトロ」は聖ペトロにちなむヨーロッパ諸言語の一般的な男性名としても用いられ、現代の言語では英語のピーター、フランス語のピエール、イタリア語のピエトロ、ドイツ語のペーター、スペイン語・ポルトガル語のペドロ、ロシア語のピョートルなどのように発音される。
生涯
[編集 ]『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によればペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。
『ルカによる福音書』ではイエスとの出会いはゲネサレト湖の対岸にいる群衆への説教に向かうイエスが彼の船を使った時とされる。伝承では、ペトロはイエスと出会った時には既に比較的高齢であったという。共観福音書はいずれもペトロの姑がカファルナウムの自宅でイエスに癒される姿を記しており、ここからペトロが結婚していたことが分かる。
ペトロは弟子のリストでも常に先頭にあげられており[10] 、イエスの問いかけに弟子を代表して答えていること[11] などから、イエスの存命中から弟子たちのリーダー的存在であったことがうかがわれる。また、主イエスの変容(姿が変わって神性を示した出来事)をペトロはヤコブとヨハネの選ばれた三人だけで目撃している。
イエスの受難においてペトロは剣を抜き、大祭司の僕マルコスの右耳を切り落とすが[12] 、その後イエスを3度否認したことが福音書に書かれている。そうなることをイエスが事前に予告していたことを思い出した時「激しく泣いた」とされている[13] [14] [15] [16] 。また『ヨハネによる福音書』によれば、イエスの復活時にはヨハネと共にイエスの墓にかけつけている[17] 。
『使徒言行録』ではペトロはエルサレムにおいて弟子たちのリーダーとして説教し、イエスの名によって奇跡的治癒を行っている。やがてヤコブ (イエスの兄弟)がエルサレム教団のリーダーとして活躍しはじめると、ペトロはエルサレムを離れ、各地を巡回するようになり、ヤッファでは亡くなった少女タビタを生き返らせる奇跡を行った。
当時、イエスの教えはユダヤ人のみに与えられる福音なのか、それともユダヤ人以外の人々(異邦人)をも対象としているのかについて議論があったが、ペトロはある日、清い者・清くない者、あらゆる人々に宣教するよう幻を見て、異邦人への宣教も神の意思であることを理解する。カイサリアではコルネリウスというローマ帝国の百人隊長をイエスの道へ導いている。「コリントの信徒への手紙一」によれば、ペトロは妻を連れて各地の教会をめぐっていたようである[18] 。また、ガラテア書によれば、アンティオキアに割礼を行う一派が来た時に異邦人とともに食事をすることを止め、パウロから非難された[19] 。
外典
[編集 ]聖書にはそれ以上の記述はなく、史実的にも実証できないが、外典である『ペトロ行伝』にも見られる聖伝では、ローマへ宣教し、皇帝 ネロによるキリスト教徒迫害下で、逆さ十字架[20] にかけられ、伝承によれば紀元67年に殉教したとされている。また同じ伝承によると、ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてきた。彼が「主よ、どこへいかれるのですか(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。このときのペトロのセリフのラテン語訳「Quo vadis?(クォ・ウァディス、「どこへ行くのですか」の意)はよく知られるものとなり、1896年にはポーランドのノーベル賞作家ヘンリック・シェンキエヴィチがローマにおけるキリスト教迫害を描いた同名小説を記し、ハリウッドでも同名タイトルで映画化されている。
ペトロとキリスト教
[編集 ]カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなす[21] 。これは「天の国の鍵」をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである[22] 。
一方正教会、非カルケドン派ではペトロが初代アンティオキア 総主教であり[23] [24] 、のちにローマに行き致命した(殉教した)とするが、全世界の教会に対する権威をペトロが持っていたとは認めていない[25] (ペトロを初代ローマ主教に数えるかどうかについては正教会内で見解が分かれる[26] [27] [28] )。正教会の教会論では全ての主教がペトロを受け継ぐものである[25] 。
一方、カトリックから分離した経緯をもつプロテスタント諸教会では、ペトロの権威は継承されるものでなく、彼一代限りのものであるという解釈を示している。また多くのプロテスタント教会ではペトロを「聖ペトロ」・「聖ペテロ」と呼ぶことはしない。
新約聖書の公同書簡に属する『ペトロの手紙一』と『ペトロの手紙二』はペトロの書簡であるが、高等批評では彼自身のものではないという説があり、アラマイ語を母語とする漁師出身のペトロが、書簡に現れる一定の水準をもったギリシア語をつづる能力があったと考えることは困難であるとの理由である。一方聖書根本主義側からは、その論理を採用するなら、ヨハネの福音書や手紙、黙示録、また、マタイの福音書の著者も誰なのか確定できなくなる。第三者の著作であるとの見解を持つ神学者の中にも、第1書簡については、ギリシア語を話すペトロの同伴者のもので、比較的よくペトロの思想を反映している可能性を指摘する者もいる。
第2書簡は、2世紀以後の著作である可能性が指摘される。第2書簡が正典視されたのは4世紀半ば以後であり、シリア正教会では6世紀まで第2書簡を正典には数えなかった。
また新約外典のなかにも、『ペトロの黙示録』などペトロの名を冠した文書があるが、これらは初代教会の時代からペトロのものとは考えられておらず、正典におさめられることがなかった。
ペトロとサン・ピエトロ大聖堂
[編集 ]かつてローマの郊外であったバチカンの丘のペトロの墓と伝えられる場所に後世になって建てられたのがサン・ピエトロ大聖堂(聖ペトロの大聖堂)である。サン・ピエトロ大聖堂の主祭壇下にはペトロの墓所があるという伝承が伝えられていたが、実際はどうだったのかは長きにわたって謎とされていた。しかし1939年以降、ローマ教皇ピウス12世は考古学者のチームにクリプタ(地下墓所)の学術的調査を依頼した。すると紀元2世紀につくられたとされるトロパイオン(ギリシャ式記念碑)が発見され、その周囲に墓参におとずれた人々のものと思われる落書きやペトロへの願い事が書かれているのが見つかった。さらにそのトロパイオンの中央部から丁寧に埋葬された男性の遺骨が発掘された[29] 。この人物は1世紀の人物で、年齢は60歳代、堂々たる体格をしていたと思われ、古代において王の色とされていた紫の布で包まれていた。
1949年 8月22日のニューヨーク・タイムズはこれこそペトロの遺骨であると報じて世界を驚かせた。さらに1968年にパウロ6世はこの遺骨が「納得できる方法」でペトロのものであると確認されたと発表した[30] [31] 。もちろん考古学的には上記の「状況証拠」しかないので、真偽については半世紀以上が経過した2010年代になっても論争が続いている[30] [31] 。
当該遺骨は発掘後、専用の棺が作られてそこに納められた上で、クリプタに設けられた専用の施設に安置されている[30] [31] 。通常は一般には非公開であるが、教皇フランシスコはこの公開を許可し[31] 、2013年 11月24日、前年10月から行われていた信仰年の締めくくりミサの中で、この棺が初めて公開された[30] [32] 。
文化としてのペトロ
[編集 ]- 「わたし(主のこと)はあなた(ペトロのこと)に天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上でも解くことは、天上でも解かれる。」というマタイによる福音書の16:19の記述から、ペトロと言えば、映画やコミックなどでは、天国の門の前に立ち、リストを見ながら天国へ行ける人を選別する白髭のお決まりのキャラクターとしてしばしば描かれる。
- 最後の晩餐のあと、キリストはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペトロは「絶対にありえない」と否定するが、翌日キリストが連行され、ペトロがその様子をうかがっていると、周囲から「おまえもキリストの弟子だろう」と詰め寄られると「違う」と否認してしまう。ペトロは再三問われ、3度目に否認した直後、鶏が雄たけびを上げ、その声を聞いてペトロはキリストの予言を思い出し、涙にくれる。この場面は「ペトロの否認」として、レンブラントやカラバッジオ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールをはじめ、幾度となく絵画に描かれている。→「聖ペテロの否認」を参照
脚注
[編集 ]- ^ ヘブライ語ラテン翻字: Šimʿon bar-Yônā
- ^ 古代ギリシア語ラテン翻字: Pétros
- ^ 教義と組織(カトリック中央協議会)
- ^ Славных и всехвальных первоверховных апостолов Петра и Павла († 67)(ロシア語)、The Holy, Glorious and All-praised Leaders of the Apostles, Peter and Paul(同文書の英訳)
- ^ マタイ16:17-19
- ^ ヨセフ・ハヤールほか『キリスト教史 11 現代に生きる教会』平凡社ライブラリー、1997年7月15日、ISBN 4-582-76209-3、p431
- ^ 岩下壮一『信仰の遺産』岩波文庫、2015年3月17日、ISBN 978-4-00-381151-1、p489
- ^ 鈴木範久『聖書の日本語』岩波書店
- ^ 『新聖書辞典』
- ^ マタイ10:2ほか
- ^ マタイ16:16
- ^ ヨハネによる福音書(口語訳)#18:3-11
- ^ マタイによる福音書(口語訳)#26:69-75
- ^ マルコによる福音書(口語訳)#14:66-72
- ^ ルカによる福音書(口語訳)#22:55-62
- ^ ヨハネによる福音書(口語訳)#18:17-27
- ^ ヨハネ20:1-10
- ^ 一コリント9:5
- ^ ガラテア2:11-13
- ^ シンボリスム的解釈では、十字(架)が太陽の象徴であるのに対し、逆さ十字(架)は金星(明けの明星)の象徴である。
- ^ The List of Popes (英語)
- ^ St. Peter, Prince of the Apostles (英語)
- ^ Primates of the Apostolic See of Antioch | Antiochian Orthodox Christian Archdiocese Archived 2005年12月19日, at the Wayback Machine.
- ^ Chronological List of the Patriarchs of Antioch
- ^ a b オリヴィエ・クレマン著、冷牟田修二・白石治朗訳、『東方正教会』106頁 - 109頁(クセジュ文庫)白水社、1977年。ISBN 978-4-560-05607-3 (4-560-05607-2)
- ^ ペトロを初代ローマ教皇に数えているモスクワ総主教の祝福によるサイト:Римские папы. Список и биографии (ロシア語)
- ^ リヌスを初代ローマ教皇とする、英語で運営される正教会のオンライン百科事典:Apostle_Linus(OrthodoxWiki) (英語)
- ^ リヌスを初代ローマ教皇とする、帝政時代発行のロシア語の百科事典(Энциклопедический Словарь Ф.А.Брокгауза и И.А.Ефрона (С.-Петербургъ, 1890—1907)):Лин, епископ Рима (ロシア語)
- ^ The Bones of St. Peter by John E. Walsh
- ^ a b c d 聖ペテロの「遺骨」初めて公開 バチカンのミサで、2013年11月24日付スポーツニッポン。
- ^ a b c d 「聖ペテロの遺骨」一般公開へ バチカンで初めて、2013年11月19日付日本経済新聞。
- ^ Pope Francis holds relics of St. Peter, as he celebrates closing 'Year of Faith' Mass - YouTube
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]古代 | ペトロ33?-67? / リヌス66?-78? / アナクレトゥス79?-91? / クレメンス1世91-101 / エウァリストゥス101-108 / アレクサンデル1世109-116 / シクストゥス1世116-125 / テレスフォルス125-136 / ヒギヌス136-142 / ピウス1世142-155 / アニケトゥス155-167 / ソテル167-174 / エレウテルス175-189 / ウィクトル1世189-199 / ゼフィリヌス199-217 / カリストゥス1世217-222 / ウルバヌス1世222-230 / ポンティアヌス230-235 / アンテルス235-236 / ファビアヌス236-250 / コルネリウス251-253 / ルキウス253-254 / ステファヌス1世254-257 / シクストゥス2世257-258 / ディオニュシウス259-268 / フェリクス1世269-274 / エウティキアヌス275-283 / カイウス283-296 / マルケリヌス296-304 / マルケルス1世306-309 / エウセビウス310 / ミルティアデス311-314 / シルウェステル1世314-335 / マルクス336 / ユリウス1世337-352 / リベリウス352-366 / ダマスス1世366-384 / シリキウス384-399 / アナスタシウス1世399-401 / インノケンティウス1世401-417 / ゾシムス417-418 / ボニファティウス1世418-422 / ケレスティヌス1世422-432 / シクストゥス3世432-440 / レオ1世440-461 / ヒラルス461-468 / シンプリキウス468-483 |
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中世 | フェリクス3世483-492 / ゲラシウス1世492-496 / アナスタシウス2世496-498 / シンマクス498-514 / ホルミスダス514-523 / ヨハネス1世523-526 / フェリクス4世526-530 / ボニファティウス2世530-532 / ヨハネス2世533-535 / アガペトゥス1世535-536 / シルウェリウス536-537 / ウィギリウス537-555 / ペラギウス1世556-551 / ヨハネス3世561-574 / ベネディクトゥス1世575-579 / ペラギウス2世579-590 / グレゴリウス1世590-604 / サビニアヌス604-606 / ボニファティウス3世607 / ボニファティウス4世608-615 / アデオダトゥス1世615-618 / ボニファティウス5世619-625 / ホノリウス1世625-638 / セウェリヌス640 / ヨハネス4世640-642 / テオドルス1世642-649 / マルティヌス1世649-653 / エウゲニウス1世654-657 / ウィタリアヌス657-672 / アデオダトゥス2世672-676 / ドヌス676-678 / アガト678-681 / レオ2世682-683 / ベネディクトゥス2世684-685 / ヨハネス5世685-686 / コノン686-687 / セルギウス1世687-701 / ヨハネス6世701-705 / ヨハネス7世705-707 / シシニウス708 / コンスタンティヌス708-715 / グレゴリウス2世715-731 / グレゴリウス3世731-741 / ザカリアス741-752 / (ステファヌス7521 ) / ステファヌス2世752-757 / パウルス1世757-767 / ステファヌス3世768-772 / ハドリアヌス1世772-795 / レオ3世795-816 / ステファヌス4世816-817 / パスカリス1世817-824 / エウゲニウス2世824-827 / ウァレンティヌス827 / グレゴリウス4世827-844 / セルギウス2世844-847 / レオ4世847-855 / ベネディクトゥス3世855-858 / ニコラウス1世858-867 / ハドリアヌス2世867-872 / ヨハネス8世872-882 / マリヌス1世882-884 / ハドリアヌス3世884-885 / ステファヌス5世885-891 / フォルモスス891-896 / ボニファティウス6世896 / ステファヌス6世896-897 / ロマヌス897 / テオドルス2世897 / ヨハネス9世898-900 / ベネディクトゥス4世900-903 / レオ5世903 / セルギウス3世904-911 / アナスタシウス3世911-913 / ランド913-914 / ヨハネス10世914-928 / レオ6世928 / ステファヌス7世928-931 / ヨハネス11世931-936 / レオ7世936-939 / ステファヌス8世939-942 / マリヌス2世942-946 / アガペトゥス2世946-955 / ヨハネス12世955-964 / レオ8世963-965 / ベネディクトゥス5世964 / ヨハネス13世965-972 / ベネディクトゥス6世973-974 / ベネディクトゥス7世974-983 / ヨハネス14世983-984 / ヨハネス15世985-996 / グレゴリウス5世996-999 / シルウェステル2世999-1003 / ヨハネス17世1003 / ヨハネス18世1004-1009 / セルギウス4世1009-1012 / ベネディクトゥス8世1012-1024 / ヨハネス19世1024-1032 / ベネディクトゥス9世1032-1044 / シルウェステル3世1045 / ベネディクトゥス9世(復位)1045 / グレゴリウス6世1045-1046 / クレメンス2世1046-1047 / ベネディクトゥス9世(復位)1047-1048 / ダマスス2世1048 / レオ9世1049-1054 / ウィクトル2世1055-1057 / ステファヌス9世1057-1058 / ニコラウス2世1058-1061 / アレクサンデル2世1061-1073 / グレゴリウス7世1073-1085 / ウィクトル3世1086-1087 / ウルバヌス2世1088-1099 / パスカリス2世1099-1118 / ゲラシウス2世1118-1119 / カリストゥス2世1119-1124 / ホノリウス2世1124-1130 / インノケンティウス2世1130-1143 / ケレスティヌス2世1143-1144 / ルキウス2世1144-1145 / エウゲニウス3世1145-1153 / アナスタシウス4世1153-1154 / ハドリアヌス4世1154-1159 / アレクサンデル3世1159-1181 / ルキウス3世1181-1185 / ウルバヌス3世1185-1187 / グレゴリウス8世1187 / クレメンス3世1187-1191 / ケレスティヌス3世1191-1198 / インノケンティウス3世1198-1216 / ホノリウス3世1216-1227 / グレゴリウス9世1227-1241 / ケレスティヌス4世1241 / インノケンティウス4世1243-1254 / アレクサンデル4世1254-1261 / ウルバヌス4世1261-1264 / クレメンス4世1265-1268 / グレゴリウス10世1271-1276 / インノケンティウス5世1276 / ハドリアヌス5世1276 / ヨハネス21世1276-1277 / ニコラウス3世1277-1280 / マルティヌス4世1281-1285 / ホノリウス4世1285-1287 / ニコラウス4世1288-1292 / ケレスティヌス5世1294 / ボニファティウス8世1294-1303 / ベネディクトゥス11世1303-1304 / クレメンス5世1305-1314 / ヨハネス22世1316-1334 / ベネディクトゥス12世1334-1342 / クレメンス6世1342-1352 / インノケンティウス6世1352-1362 / ウルバヌス5世1362-1370 / グレゴリウス11世1370-1378 / ウルバヌス6世1378-1379 / ボニファティウス9世1389-1404 / インノケンティウス7世1404-1406 / グレゴリウス12世1406-1415 / マルティヌス5世1417-1431 / エウゲニウス4世1431-1447 / ニコラウス5世1447-1455 |
近世 | カリストゥス3世1455-1458 / ピウス2世1458-1464 / パウルス2世1464-1471 / シクストゥス4世1471-1484 / インノケンティウス8世1484-1492 / アレクサンデル6世1492-1503 / ピウス3世1503 / ユリウス2世1503-1513 / レオ10世1513-1521 / ハドリアヌス6世1522-1523 / クレメンス7世1523-1534 / パウルス3世1534-1549 / ユリウス3世1550-1555 / マルケルス2世1555 / パウルス4世1555-1559 / ピウス4世1559-1565 / ピウス5世1566-1572 / グレゴリウス13世1572-1585 / シクストゥス5世1585-1590 / ウルバヌス7世1590 / グレゴリウス14世1590-1591 / インノケンティウス9世1591 / クレメンス8世1592-1605 / レオ11世1605 / パウルス5世1605-1621 / グレゴリウス15世1621-1623 / ウルバヌス8世1623-1644 / インノケンティウス10世1644-1655 / アレクサンデル7世1655-1667 / クレメンス9世1667-1669 / クレメンス10世1670-1676 / インノケンティウス11世1676-1689 / アレクサンデル8世1689-1691 / インノケンティウス12世1691-1700 / クレメンス11世1700-1721 / インノケンティウス13世1721-1724 / ベネディクトゥス13世1724-1730 / クレメンス12世1730-1740 / ベネディクトゥス14世1740-1758 / クレメンス13世1758-1769 / クレメンス14世1769-1774 / ピウス6世1775-1799 |
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