コンテンツにスキップ
Wikipedia

ベニー・ブリスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?"ベニー・ブリスコ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2012年10月)
ベニー・ブリスコ
基本情報
本名 ベニー・ブリスコ
通称 Bad(悪)
階級 ミドル級
身長 175cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1943年08月02日) 1943年 8月2日
出身地 ペンシルバニア州 フィラデルフィア
死没日 (2010年12月28日) 2010年 12月28日(67歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 96
勝ち 66
KO勝ち 53
敗け 24
引き分け 5
テンプレートを表示

ベニー・ブリスコ(Bennie Briscoe1943年 2月8日2010年 12月28日)はアメリカの男性 プロボクサーペンシルバニア州 フィラデルフィア出身。

最高位は世界ミドル級1位であり、1970年代のミドル級を彩った名選手。カルロス・モンソン(2戦1敗1分)、ロドリゴ・バルデス(3戦3敗)といった強豪と死闘を繰り広げながら、当時のチャンピオンの強さに阻まれ、最後まで世界王座を獲得できなかったことから「無冠の帝王」と呼ばれた。

来歴

[編集 ]

1966年10月10日、プロデビュー。

1967年3月20日、元世界ウェルター級王者ルイス・マヌエル・ロドリゲスに10回判定負けを喫した。元王者を相手に善戦して名を挙げる。

1967年5月6日、初の海外遠征で後に名王者となるカルロス・モンソンに引き分けに終わった。

1972年11月11日、当時WBA・WBC世界ミドル級王者となっていたカルロス・モンソンに敵地で挑戦。当時圧倒的な強さを誇っていたモンソンを相手に大善戦するが、僅差の15回判定負けを喫した。

1974年5月25日、モンソンから剥奪されたWBC王座をロドリゴ・バルデスと争うが、7回TKO負けを喫した。

1974年5月25日、後のWBA世界ライトヘビー級王者エディ・グレゴリーを10回判定勝ちを収めた。

1974年10月9日、ノンタイトル戦でエミール・グリフィスと対決するが、7回TKO負けを喫した。

1975年8月18日、エミール・グリフィスと再戦し、試合を有利に進めたが引き分けに終わった。

1977年11月5日、モンソンの引退と王座返上によって空白となったWBA・WBC統一王座を再びバルデスと争うが、またもや15回僅差判定負けを喫した。

1978年2月4日、後の世界ミドル級王者ビト・アンツォフェルモに10回判定負けを喫した。

1978年8月24日、若き日のマービン・ハグラーに10回判定負けを喫した。

1982年12月25日、この試合を最後に引退。

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /