コンテンツにスキップ
Wikipedia

デビル雅美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この存命人物の記事には検証可能出典が不足しています 信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります
出典検索?"デビル雅美" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2015年8月)
デビル雅美
プロフィール
リングネーム デビル雅美
天神マサミ
高橋 雅美
本名 吉田 雅美
ニックネーム スーパーヒール
鬼神
身長 168cm
体重 90kg
誕生日 (1962年01月07日) 1962年 1月7日(62歳)
出身地 福岡県 北九州市 若松区
所属 フリー
デビュー 1978年
引退 2008年
テンプレートを表示

デビル雅美(デビルまさみ、1962年 1月7日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:吉田 雅美(よしだ まさみ)。福岡県 北九州市 若松区出身。身長168cm、体重91kg。怪奇派レスラー『スーパーヒールデビル雅美』としての顔も持つ。独身。

リングネームは高橋 雅美天神マサミデビル雅美と変遷。デビル雅美の命名の由来はヒールだからという当時所属団体であった全日本女子プロレスの判断である。

女子プロレス第1次全盛期から一度も引退することなく活動していた唯一のレスラーで、日本の女子プロレスラーとしての活動歴は最長である。2008年 12月30日の後楽園興行にて引退した。

所属

[編集 ]

来歴

[編集 ]

中学校時代は吹奏楽部に所属。家計を助けるために高校を1年で中退、全日本女子プロレス入団後の1978年 8月21日静岡県駿府会館興行における小峯広子戦でプロレスデビュー。元々東京見物する感覚でオーディションを受けプロレス界入りしたためプロレスに夢を持っておらず、全日本女子プロレス退団直前に行ったカナダ遠征以前はプロレスが好きでも嫌いでもなかった。しかし同世代のレスラーがプロレスの華やかな印象と現実とのギャップに苦しんで次々と退団する中、デビルはプロレスは辛いことが多いと知っていたため、辛いことがあっても「ああ、ホントにつらいんだな」で済んだ[1]

全日本女子プロレス所属時は池下ユミ率いる『ブラックデビル』に加わり、池下引退後はそれを改称した『デビル軍団』を率い、ヒールとして女子プロレス界で暴れまわった。また、この時期には『燃えつきるまで』で歌手としてデビュー。『サイレントグッバイ』(渡辺典子主演のTBS系ドラマ「赤い秘密」主題歌)アルバム『レイン・オブ・ティアーズ』なども発表しており、歴代女子プロレスラー随一の歌唱力ともいわれる。

1987年に25歳定年制のため全日本女子プロレスを退団後(形の上では『国内引退』。退団直前にいきなりレフェリーに転向させられたことで肩たたきされたと悟ったという[2] )、フリーランスとしてジャパン女子プロレスに参戦、神取忍とのシングルマッチが高い評価を得る。自身の入団以前、ジャパン女子では山本小鉄がコーチを務めていたが、山本から所属レスラーへと教えられた技術がすべて男子に向いたものであったため、デビルは1から選手たちに技術を教え直した[3]

ジャパン女子プロレス崩壊後、1992年にJWP女子プロレス所属となった。JWPには2000年まで所属している。スーパーヒールは在籍時に初登場。モチーフはアンダーテイカー。現役復帰した愛弟子・長与千種の無敗快進撃をストップさせた(後述)。

JWP退団後はGAEA JAPANを主戦場とし、GAEA解散以降はOZアカデミーを中心に引き続きフリーランスとして活動。また、孫弟子にあたる里村明衣子が立ち上げたセンダイガールズプロレスリングの新人選手の育成に山本小鉄とともに尽力し、仙女の観客からは「お母さん」の愛称で親しまれている。2005年からは『デビル夫人』というリングネームでハッスルにも参戦。Erica乙女軍団の一員として、ハッスル軍に所属した。

2007年9月30日、自身の30周年記念興行をもって現役引退することを宣言。引退発表以降は積極的にあらゆる選手との試合をこなし、その中で、プロレスセンスを認めた上でデビュー当時の自身に体型が似ている松本浩代にはライガーボムを、体格にそぐわないパワーを持った輝優優にはファイヤーバレーを、かつてタッグを組んで以降子弟関係にあり、現在のヒールスタイルにデビルの影響を色濃く受けた植松寿絵には現在の女子プロレス界において唯一継承出来る人物としてスーパーヒールのキャラクターをそれぞれ伝承した。

2008年12月30日、長与千種プロデュースの後楽園興行にて引退、31年弱に及ぶレスラー人生に幕を閉じた。

特筆すべき点としては、第一試合ではスーパーヒールとして登場。かつて共にユニットを組んで活動したことのあるダンプ松本KAORUと組み、本興行限定で復帰した愛弟子の長与千種らと激戦を展開。ラストは長与をファイヤーバレーで破り、スーパーヒール初登場以来15年以上にわたる全勝伝説を守り抜いたまま、その存在に幕を下ろした。

最後のマイクパフォーマンスでは、1年に1度は今回の様なあらゆる団体が登場して女子プロレスの現状を披露するオムニバス形式の興行を行うことや、それによって黒字が出れば選手の怪我などを金銭的にフォローすることなどを目的とした女子プロレス基金的なものを設立することを提案し、自身の人生の大半を置いた女子プロレス界の未来を想う言葉を残した。

引退後は、地元である北九州市小倉に戻りスーパーの夜間マネージャーをしていた。漬物処「糠蔵」社長からスカウトされ店長になる[4] 、2022年6月12日に閉店した[5]

スーパーヒールデビル雅美

[編集 ]

デビル雅美がスーパーヒールとして「デビュー」したのは、埼玉県八潮市(当時)で行われたJWPの地方興行[6] 。前売り券の売り上げが伸びす、客寄せの手段としてJWPフロント陣が「デビルさんに、1夜限り、全女時代のように大悪人になってもらって大暴れしてもらおう」と提案したことがきっかけ。しかし、過去に戻ることはせず、対戦相手のプラム麻里子の前に、真っ黒な衣装に紫の木刀、顔には7色のペイント、声を出さず、表情を変えず、という見たこともない「新しいデビル雅美」で現れ、試合に勝利した。

その後も、「餓狼伝説」と称してJWPの選手を一人一人倒して当時のJWPチャンピオンであったダイナマイト関西に最後に挑戦しようとした長与千種を破り(1994年4月10日後楽園ホール)、JWP旗揚げ以来の無敵のチャンピオンであったダイナマイト関西を破ってJWP認定無差別級王座のベルトを奪い、GAEA JAPAN旗揚げ戦のメインイベントでは尾崎魔弓と組んで長与千種・ダイナマイト関西組を破り、長与千種の化身ZEROとのAAAWシングル王座を賭けたシングルマッチにも勝利している。

デビル雅美本人は、「ただのヒールじゃつまらないと思って、カナダで観たアンダーテイカー様のほとんどコピー(;^_^Aのスタイルでやった」と記している[7]

得意技

[編集 ]
ファイヤーバレー
ブレーンバスターまたはボディスラムで抱え上げて、相手をうつ伏せに肩にのせ垂直落下に頭から叩きつける。
ギロチンドロップ
ローリングセントーン
本当に大事な試合の場合のみ使用。
ライガーボム
前方に向かって相手を後頭部からマットに叩きつけ、その際受身を取った相手の両腕を足でロックする獣神サンダー・ライガーの持ち技であるが、デビルの方がパワーフォールの技名で3年ほど早くから使っていた。
スリーパーホールド
踵落とし
クロスチョップ
デビルボンバー
ロメロスペシャル

獲得タイトル

[編集 ]

ディスコグラフィ

[編集 ]

シングル

[編集 ]
発売日 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
トリオレコード
1982年12月16日 3B-746 A 燃えつきるまで 倉光カオル
B はぐれ町 安井公一 倉光カオル
1983年 3B-761 A デビル・命の限り 倉光カオル
B 最終電車 安井公一 倉光カオル
キティ・レコード
1985年3月25日 7DS-0091 A Lonely Eyes 有川正沙子 水谷公生
B パープル・タイフーン(デビル雅美のテーマ) - 矢荻渉 丸尾めぐみ
1985年8月1日 7DS-0097 A サイレント・グッバイ〜たとえ悲劇でも〜[8] 内藤綾子 水谷公生
B バラードの夜 来生えつこ 岩崎元是
1986年7月1日 7DS-0114 A J 李世建

訳:佐藤純子

李世建 岩崎文紀
B J(オリジナルカラオケ) -

アルバム

[編集 ]
発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム
1985年12月21日 キティ・レコード LP 28MS-0091 Rain of Tears

(注記) Mark Goldenbergプロデュース

No. タイトル 作詞 作曲 編曲
A 1 RAIN OF TEARS Mark Goldenberg
2 絡まる予感 塚越靖雄 星勝 水谷公生
3 瞳・ためらい
4 涙を感じて
5 STAR JAZZ WALTZ
B 1 Lonely Eyes 有川正沙子 水谷公生
2 醒めたハートで
3 バラードの夜 来生えつこ 岩崎元是
4 サイレント・グッバイ〜たとえ悲劇でも〜 内藤綾子 水谷公生
5 J 李世建

訳:佐藤純子

李世建 岩崎文紀

参加作品

[編集 ]
  1. PURE HEART ENSEMBLE / JWP(1995年11月17日)
    • I am woman
  2. SINGLE MATCH / JWP(1999年8月25日)
    • REBIRTH 流れる星を見ている

テレビドラマ

[編集 ]

その他

[編集 ]
  • 燃える!お兄さん - パロディキャラクターの「デブルまさみ」が登場し、すごいデブだとケンイチを驚かせた(実際には固太りで、いわゆるデブ、肥満ではなかった)。反則をする、歌がうまいという本人を意識した描写がそれぞれ一コマずつを使って描かれた。
  • JWP時代仙台や静岡など地方巡業の際、選手専用バスではなく自家用のGX90マークIIで尾崎やキューティーとともに移動していた。

出典

[編集 ]
  1. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)39ページ
  2. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)41ページ
  3. ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)42ページ
  4. ^ "デビル雅美 小倉名物ぬか漬け「糠蔵」の店長になっていた|あの人は今こうしている". 日刊ゲンダイDIGITAL. 2022年7月21日閲覧。
  5. ^ "https://twitter.com/hierro122/status/1536278079680569345". Twitter. 2022年7月21日閲覧。
  6. ^ スーパーヒールデビル雅美 - OZアカデミーの放課後 2008年01月18日
  7. ^ 髪型 - デビル雅美の夢現つ 2008年02月29日
  8. ^ TBE系ドラマ「赤い秘密」主題歌

外部リンク

[編集 ]
初代-10代
11代-20代
21代-30代
31代-40代
41代-50代
51代-60代
初代-10代
11代-20代
21代-30代
31代-40代
41代-50代
51代-60代
61代-70代
71代-80代
81代-90代
91代-100代
101代-110代
111代-120代
初代-第10代
第11代-第20代
第21代-第30代
第31代-第40代
第41代-第46代

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /