タイヨウ
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曖昧さ回避
この項目では、競走馬について説明しています。
- 地球観測用科学衛星については「たいよう」をご覧ください。
- キリンの名前については「たいよう (キリン)」をご覧ください。
- お笑いコンビについては「たいよう (お笑いコンビ)」をご覧ください。
- JR九州バスの運行していた高速バス「たいよう」については「福岡 - 宮崎線」をご覧ください。
タイヨウ | |
---|---|
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1963年 2月10日 |
死没 | 1979年 |
父 | ゲイタイム |
母 | ミストラクル |
母の父 | Shahpoor |
生国 | 日本の旗 日本(千葉県 富里市) |
生産者 | 社台ファーム千葉 |
馬主 |
永田賢介 永田忠 内藤博司 大東健治 |
調教師 |
尾形藤吉(東京) 武田文吾(京都) |
競走成績 | |
生涯成績 | 36戦6勝 |
獲得賞金 | 4137万6800円 |
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略歴
[編集 ]現役時代
[編集 ]関東の尾形藤吉厩舎に所属して1966年2月にデビューした。この年は12戦4勝で、重賞での勝利は挙げられなかった。
1967年に関西の武田文吾厩舎に移籍した。不良馬場で行われた第8回宝塚記念では、荒れた馬場の内側を進み、2着に3馬身半の差をつけて勝利した。この年から宝塚記念の開催地と施行距離が阪神競馬場の芝2200メートルに変更されたため、勝ち時計の2分19秒4はレースレコードとなった(ただし翌年にレコードは更新されている)。また、タイヨウに騎乗していた騎手の内藤繁春は史上初の宝塚記念連覇を達成している。
次に出走した中京大賞典にも勝利して重賞2勝目を飾った。以後は一度も勝てなかったものの、1968年の天皇賞(春)で2着に入るなど、重賞競走でもたびたび上位に入賞している。1969年1月の中日新聞杯(3着)を最後に引退した。
引退後
[編集 ]引退後は種牡馬となった。血統登録された産駒は28頭(アングロアラブ1頭を含む)だけで[1] 、中央競馬で活躍する産駒は現れなかった。
特徴
[編集 ]良馬場での成績も悪くはないが、重馬場や不良馬場ではさらに良い成績を残した。出走した36戦中14戦で騎手を務めた内藤繁春は「脚元に不安を抱えており、固めの良馬場では本領を発揮できなかった」と述べている。
血統表
[編集 ] Rockfel
Felstead
Rockliffe
Felicita
Venturesome
Solario
Orlass
Sun Worship
Teresina
Tracery
Blue Tit
Saucy Sue
Shepherdess
Gentle Shepherd
脚注
[編集 ]- ^ 種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合) タイヨウ - JBISサーチ
外部リンク
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