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クリスティアン1世 (ザクセン選帝侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリスティアン1世
Christian I.
ザクセン選帝侯
在位 1586年 2月11日 - 1591年 9月25日

出生 (1560年10月29日) 1560年 10月29日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領ドレスデン
死去 (1591年09月25日) 1591年 9月25日(30歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、ドレスデン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領フライベルク大聖堂
配偶者 ゾフィー・フォン・ブランデンブルク
子女 本文参照
家名 ヴェッティン家 アルブレヒト系
父親 アウグスト
母親 アンナ・ア・ダンマーク
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クリスティアン1世(Christian I., 1560年 10月29日 - 1591年 9月25日)は、ザクセン選帝侯(在位:1586年 - 1591年)。

生涯

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ザクセン選帝侯アウグストと妃でデンマークノルウェークリスチャン3世の王女アンナの間に第8子としてドレスデンで生まれた。

1586年に父が歿すると、兄が全て早世していたため[1] 選帝侯位に即いた。

クリスティアン1世は自らの教師であったニコラウス・クレル(Nikolaus Krell)を宰相に任じたが、ザクセンはルター派が主流であったが彼はカルヴァン派であったこと、ザクセンの従来の外交政策を変更してポーランドジグムント3世フランスアンリ4世寄りの政策を採ったことなどから保守派の反発を買い、クレルはクリスティアン1世の歿後投獄・処刑された[2]

1591年に妃ゾフィーは、夫へのクリスマスの贈り物として12着の鎧を作らせた[3] 。それらの多くは現存している[3]

1591年9月25日、ドレスデンで死去し、長男のクリスティアン2世が選帝侯位を嗣いだ。遺体はフライベルク大聖堂に葬られた。

子女

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1582年 4月25日ブランデンブルク選帝侯 ヨハン・ゲオルクの娘ゾフィー(1568年 - 1622年)と結婚し、彼女との間に以下の3男4女をもうけた[1]

脚注

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  1. ^ a b Heinrich Theodor Flathe (1876). "Christian I.". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 4. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 172.
  2. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Saxony"  . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 24 (11th ed.). Cambridge University Press.
  3. ^ a b Impey 2022, p. 146.

参考文献

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