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カルネアデス

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(2012年6月)
アテナイのアゴラに存在したカルネアデス像をローマ時代に復元したもの(紀元前150年頃)。グリュプトテーク(ドイツミュンヘン)。

カルネアデス(古代ギリシャ語: Καρνεάδης, ラテン文字転写: Karneádēs, 英語: Carneades, 紀元前214年 - 紀元前129年)は、古代ギリシアヘレニズム期哲学者。「カルネアデスの板」という問題を出したことで知られる。

キュレネで生まれ、アテナイアカデメイアで哲学を学んだ。アカデメイアの学頭 (英語版)となり、急進的な懐疑主義(蓋然主義 (英語版)ともいわれる)の立場からストア派を攻撃した。著作はないが、弟子のクレイトマコス (英語版)などによって伝えられている。

紀元前155年ペリパトス派クリトラオス (英語版)ストア派ディオゲネス (英語版)とともにローマを訪れ、ローマ哲学の嚆矢となった[1]

脚注

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  1. ^ 近藤智彦 著「ローマに入った哲学」、伊藤邦武;山内志朗;中島隆博;納富信留 編『世界哲学史 2』筑摩書房ちくま新書〉、2020年。ISBN 9784480072924 34頁。

外部リンク

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カルネアデス(古代に存在した像の復元イメージ)
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