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アイテイオー

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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
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(2023年2月)
アイテイオー
品種 サラブレッド系種
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1960年 4月2日
死没 不明(1982年 4月用途変更)
ハロウェー
キタノヒカリ
母の父 トサミドリ
生国 日本の旗 日本
北海道 浦河郡 浦河町
生産者 キタノ牧場
馬主 伊藤忠雄
調教師 久保田金造(中山)
競走成績
生涯成績 12戦4勝
獲得賞金 884万4400円
勝ち鞍 優駿牝馬 (1963年)
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アイテイオー(1960年 4月2日 - 不明)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬繁殖牝馬1963年オークスを優勝。

経歴

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株取引で財を成した伊藤忠雄の所有馬で、5代前の母方の血統が不明のサラ系であった。

1960年キタノオーと共に菊花賞初の兄弟制覇を成し遂げたキタノオーザの姪にあたり、キタノオー、キタノオーザと同じで、伊藤竹男主戦騎手を務めた。半弟には1967年北海道3歳Sを勝ち、無敗のまま引退したキタノダイオーがいる。

戦績

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1962年(3歳)11月東京でデビューし、2戦目の新馬戦を保田隆芳で勝つ。1963年(4月)は60万下を勝ち、桜花賞を目指して関西に入る。前哨戦のオープンは5着に終わり、大根田裕也が騎乗するも6着に終わる。関東に戻ってトライアルの4歳牝馬特別で3着と盛り返し、4番人気で出走した優駿牝馬はゲート入りを嫌う馬がいて発走が遅れ波乱含みとなり、人気の関西馬ミルフオードが馬群に沈み、アイテイオーが直線抜け出して優勝。夏は北海道シリーズに参戦し、札幌オープン2着、重賞昇格前の函館記念2着と好走。秋はセントライト記念グレートヨルカの差の無い2着と頑張っていたが、1964年(5歳)4月の東京オープン8着を最後に引退。

引退後

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引退後は1965年に繁殖入りし、11頭の産駒を送り出した。その中から1974年京都牝馬特別を勝ったアイテイシローが出ている。また、孫に1982年有馬記念を勝ったヒカリデユールがいる。繁殖牝馬引退後の消息は不明。

競走成績

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  • 1962年(2戦1勝)
  • 1963年(9戦3勝)
    • 1着 - 優駿牝馬
    • 2着 - セントライト記念、函館記念
  • 1964年(1戦0勝)

(注記)太字八大競走を含むGI級レース。

脚注

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優駿牝馬勝ち馬
1930年代

第1回 アステリモア / 第2回 ホシホマレ

1940年代

第3回 ルーネラ / 第4回 テツバンザイ / 第5回 ロツクステーツ / 第6回 クリフジ / 第7回 ミツマサ / 第8回 トキツカゼ / 第9回 ヤシマヒメ / 第10回 キングナイト

1950年代

第11回 コマミノル / 第12回 キヨフジ / 第13回 スウヰイスー / 第14回 ジツホマレ / 第15回 ヤマイチ / 第16回 ヒロイチ / 第17回 フエアマンナ / 第18回 ミスオンワード / 第19回 ミスマルサ / 第20回 オーカン

1960年代

第21回 スターロツチ / 第22回 チトセホープ / 第23回 オーハヤブサ / 第24回 アイテイオー / 第25回 カネケヤキ / 第26回 ベロナ / 第27回 ヒロヨシ / 第28回 ヤマピット / 第29回 ルピナス / 第30回 シャダイターキン

1970年代

第31回 ジュピック / 第32回 カネヒムロ / 第33回 タケフブキ / 第34回 ナスノチグサ / 第35回 トウコウエルザ / 第36回 テスコガビー / 第37回 テイタニヤ / 第38回 リニアクイン / 第39回 ファイブホープ / 第40回 アグネスレディー

1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

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