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織田信直 (旗本)

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(2019年7月)
 
織田信直
時代 江戸時代中期
生誕 享保17年(1732年)
死没 寛政7年9月26日(1795年 11月7日)
別名 通称:専次郎、大膳
官位 従五位下侍従能登守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治家斉
氏族 織田氏(弥十郎家(信包系信当流)信高流高家)
父母 父:織田信義、養父:織田信倉
兄弟 成瀬正常信直信昆大河内政良
養兄弟:信寛 信彭
正室:蒔田広尊長女
信賢長孺 松平忠温本多正峯
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織田 信直(おだ のぶなお)は、江戸時代中期の旗本通称は専次郎、大膳。官位従五位下侍従能登守

生涯

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織田一門の大身旗本織田信義の次男として誕生し、高家旗本織田信倉の養子となった。

宝暦2年(1752年)12月26日、家督を相続した。天明4年(1784年)7月12日、高家職に就任し、従五位下・侍従・能登守に叙任された。

寛政7年(1795年)9月26日、死去。享年64。

なお、家臣の加藤右門は、寛政元年(1789年)より享和2年(1802年)まで高倉家 衣紋会の江戸会頭の一人を務めた[1] 。幕府の儀礼に際しての正式な装束を調えるため、公家で衣紋の権威であった高倉家の門人になる武士は少なくなく、江戸の会頭たちは江戸の門人と京都の高倉家との連絡調整を担うとともに、会頭を通さないと入門できないという権力を持っていた[2]

系譜

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子女は3男1女。

脚注

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参考文献

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井上容子 著「衣紋会の組織と活動について: 近世中後期の高倉家衣紋会を中心として」、久留島浩; 吉田伸之 編『近世の社会集団: 由緒と言説』山川出版社、1995年、115–52頁。 

織田木瓜紋 信高流高家織田家当主(1752年 - 1795年)
織田氏 (平姓)

尾張国守護代家

伊勢守家
大和守家
因幡守家
藤左衛門家
弾正忠家

弾正忠家の分家・支流

信長流
信長
信忠流
信忠 - 秀信 - 絶家
信雄流
信雄
信良流
高長流
高長
長政
高家
高家分家
勝長流
勝長
津田家
信高流
信貞流
信貞 - 貞置
高家
貞則流
貞輝流
信勝流
信勝 - 信澄
昌澄流
昌澄 - 信高
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信包
信当流
信治流
信治
柘植家
長益流
長益
長孝流
長政流
尚長流

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