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毛利広圓

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毛利 広圓(もうり ひろかず、享保14年閏9月18日(1729年 11月8日)[1] - 明和7年1月27日(1770年 2月22日))は、長州藩一門家老である大野毛利家の5代当主。

父は毛利元雅。母は益田就賢の娘。正室は毛利政苗の娘。子は毛利就言幼名は彦次郎。通称は織部。

生涯

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享保14年(1729年)、長州藩一門家老毛利元雅の長男として生まれる。享保21年(1736年)、元雅の死去により家督を相続、当時の藩主毛利宗広より偏諱を賜い、広圓(旧字体:廣圓、新字体:広円)と名乗る。宝暦9年(1759年)、御留守居となる。明和元年(1764年)、朝鮮通信使来朝の際に饗応役を務める。明和3年(1766年)、当職(国家老、執政)を仰せつかる。開作(干拓)により知行8618石となる。明和7年(1770年)1月27日没。享年42。家督は嫡男の就言が相続した。

脚注

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  1. ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.93。

参考文献

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