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張温 (孫呉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避 この項目では、三国時代の呉郡出身の人物について説明しています。後漢の太尉については「張温 (後漢)」を、その他の用法については「張温」をご覧ください。

張 温(ちょう おん、193年 - 230年)は、中国 三国時代の武将、政治家。恵恕揚州 呉郡 呉県の人。父は張允(劉表配下の張允ではない)。弟は張祗・張白。姉妹は女子三人(一人は顧承の妻)。『三国志』呉志に伝がある。

生涯

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呉郡張氏は呉の四姓の一つに数えられ、父も地元で評判の人物であり、孫権に招かれ東曹掾となったが、早くに死去している。

張温は若い頃から行いが良く、容貌も立派であった。孫権が張温の評判を聞き、その性格を配下に尋ねると、劉基は「全琮に肩を並べる人物」といい、また顧雍は劉基の言葉を否定した上で「肩を並べる人物など見当たらない」と、さらに絶賛した。孫権が彼の父に匹敵する人物と判断し、張温を呼び寄せ語らうと、張温の見事な振る舞いに呉の群臣は揃って感嘆した。このため孫権も態度を改め、鄭重に遇するようになり、張昭からは特に期待された。議郎・選曹尚郎となり、孫登の教育係である太子太傅を務め、信任を得るようになった。また、太子中庶子の設置を提言している[1]

黄武3年(224年)、32歳の時に輔義中郎将に任命され、使者として蜀漢へ赴いた。孫権の信頼に応え大任を果たしたため、諸葛亮をはじめ蜀の人々にも賞賛された。この時に蜀の秦宓と呉と蜀について問答したという。陳寿の記述においては、張温が最後に蜀の政治を賛美したことに対して孫権が不快に思ったことと張温の名声の高さを妬んだことが、後述の左遷の理由として挙げられている。史家は「陳寿が私見を述べていること」を厳しく批判している。

陳寿の私見と異なり、正史によると、帰国すると孫権から厚遇された。孫権は張温に軍団を与え、豫章郡方面の守りにつかせた。その後、張温は殷礼の任官など他の人事のいくつかについても異議を挟んだ。さらに張温がかつて選曹郎に抜擢した人物に曁艶という者がいた。後に曁艶は尚書となったが諸官の落ち度を容赦なく弾劾し、選曹郎の徐彪とともに人事で専断的な行動が目立ったため、呉の人々の恨みを買い失脚し自殺に追い込まれていた。また、丞相孫邵も張温と曁艶に讒言されたため辞意を表明したが、孫権の許しにより復職した[2] 。その後、孫権へ賊討伐を申し出たため、孫権は張温を信じて、彼に繞帳・帳下・解煩兵(呉軍の特殊部隊)それぞれ5000人を与え、豫章討伐に向かわせた。しかし、の侵攻があったので張温は山越の平定に失敗した。駱統は張温のために理を尽くして弁護したが、孫権に容れられることはなかった。

結局張温派閥の専横や治理の失敗により張温は左遷された上で呉郡に戻され、6年後に病死してしまった。弟二人は官職を没収され、また姉妹も皆離別させられて、奴婢に落されることになった。『文士伝』によると、顧承の妻となっていた妹は許されて再嫁することになったが、自害したという。

『会稽典録』によると、余姚県の虞俊は張温の失脚を予見していた。虞俊は「張温は、才能は多いが知恵は少なく、見せかけだけのもの不誠実な人物だ」と評価している。『三国志』によると、諸葛亮は張温の失脚を当初信じられなかったが、報せが届いた後しばらく考えた上で、諸葛亮は「張温は、清濁がとても明らかで善悪をはっきり分けたゆえにより失脚した」と悟ったという。

後に『呉書』を編纂した韋昭は張温と親しい関係であったという[3]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 三国志』呉志 孫登伝 が引く『志林伝』
  2. ^ 『三国志』呉志 呉主伝
  3. ^ 『三国志』呉志 呉主伝 が引く『志林伝』
陳寿撰 『三国志』 に立伝されている人物および四夷

(魏書)
巻1 武帝紀
巻2 文帝紀
巻3 明帝紀
巻4 三少帝紀
巻5 后妃伝
巻6 董二袁劉伝
巻7 呂布臧洪伝
巻8 二公孫陶四張伝
巻9 諸夏侯曹伝
巻10 荀彧荀攸賈詡伝
巻11 袁張涼国田王邴管伝
巻12 崔毛徐何邢鮑司馬伝
巻13 鍾繇華歆王朗伝
巻14 程郭董劉蔣劉伝
巻15 劉司馬梁張温賈伝
巻16 任蘇杜鄭倉伝
巻17 張楽于張徐伝
巻18 二李臧文呂許典二龐
閻伝
巻19 任城陳蕭王伝
巻20 武文世王公伝
巻21 王衛二劉傅伝
巻22 桓二陳徐衛盧伝
巻23 和常楊杜趙裴伝
巻24 韓崔高孫王伝
巻25 辛毗楊阜高堂隆伝
巻26 満田牽郭伝
巻27 徐胡二王伝
巻28 王毌丘諸葛鄧鍾伝
巻29 方技伝
巻30 烏丸鮮卑東夷伝

(蜀書)
巻31 劉二牧伝
巻32 先主伝
巻33 後主伝
巻34 二主妃子伝
巻35 諸葛亮伝
巻36 関張馬黄趙伝
巻37 龐統法正伝
巻38 許糜孫簡伊秦伝
巻39 董劉馬陳董呂伝
巻40 劉彭廖李劉魏楊伝
巻41 霍王向張楊費伝
巻42 杜周杜許孟来尹李譙
郤伝
巻43 黄李呂馬王張伝
巻44 蔣琬費禕姜維伝
巻45 鄧張宗楊伝

(呉書)
巻46 孫破虜討逆伝
巻47 呉主伝
巻48 三嗣主伝
巻49 劉繇太史慈士燮伝
巻50 妃嬪伝
巻51 宗室伝
巻52 張顧諸葛歩伝
巻53 張厳程闞薛伝
巻54 周瑜魯粛呂蒙伝
巻55 程黄韓蔣周陳董甘淩
徐潘丁伝
巻56 朱治朱然呂範朱桓伝
巻57 虞陸張駱陸吾朱伝
巻58 陸遜伝
巻59 呉主五子伝
巻60 賀全呂周鍾離伝
巻61 潘濬陸凱伝
巻62 是儀胡綜伝
巻63 呉範劉惇趙達伝
巻64 諸葛滕二孫濮陽伝
巻65 王楼賀韋華伝

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