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山田美也子

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山田美也子
生誕 (1951年10月16日) 1951年 10月16日(73歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府 豊中市
学歴 大阪音楽大学声楽科卒業
活動期間 1970年 -
レーベル 日本コロムビア
共同作業者 ヤング101

山田 美也子(やまだ みやこ、1951年 10月16日 [1] - )は、日本タレント、文化ジャーナリスト、エッセイスト、歌手。

来歴

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大阪府 豊中市出身[1] 。父は中国人で旧満州国の国費留学生、母は大阪の酒問屋の一人娘[2] 1961年から5年間、NHK大阪児童劇団で活動[1] 大阪音楽大学声楽科卒業[1] 1970年にはNHK総合テレビジョン土曜ひる席」の司会を担当した。

1971年NHKヤング101 [3] のオーディションを受け、約3000人の応募者の中から選ばれた15人の合格者の一人として、晴れてNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』のレギュラーとなった[注釈 1] [4] [5]

1973年4月にヤング101を卒業[注釈 2] して、同月からテレビ朝日系の『あそびましょパンポロリン[注釈 3] に出演。ミコの愛称で初代「歌のお姉さん」として活躍。1973年に発売したシングル「げんこつやまのたぬきさん」[注釈 4] の売り上げは、30万枚以上にもなった。

1975年秋には、テレビ朝日への出演と並行して2年半ぶりにNHKで活動。10月には総合テレビ『みんなのうた』で「勇気一つを友にして」を歌った。11月には、NHK教育テレビジョンにんぎょうげき』で北沢杏子が脚色して劇団かかし座が操演した影絵劇『パンをふんだ娘』の主題歌[注釈 5] を歌った。

後にバラエティやドラマなどで活躍したが、1983年からフジテレビ「おはよう!ナイスデイ」の総合司会を担当するようになってからは、ジャーナリストとしての活動にも重きを置くようになった。

2000年5月には、クリス・スティール=パーキンスとの再婚経験を基に、子育てを終えたシングルマザーの恋愛、結婚を描いたノンフィクション「ふたたび『愛する』ということ」を上梓。

オーケストラや室内楽などの演奏会の他、シンポジウム、フォーラム、コーディネイター、文化イベントの司会を務める事も多い。

現在、NHK-FMのN響定期公演では案内役を務めている。演奏の休憩時間にはゲストとのトークを交えながら作品を解説を行っている。

カトリックの信者である[6]

担当番組

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過去にレギュラー出演した番組

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テレビ

期間 番組名 役職
1970年4月 1971年3月 NHK総合テレビ 土曜ひる席 司会
1983年3月28日 1987年3月27日 フジテレビ おはよう!ナイスデイ キャスター
上記の『おはよう!ナイスデイ』出演期間中 一枚の写真(フジテレビ) ゲスト出演
1988年放送日時不明 NHK教育テレビ ETV8 文化ジャーナル キャスター

ラジオ

  • NHKラジオ第1放送 おはようラジオセンター、ラジオあさいちばん、ラジオ夕刊(情報コーナー: 山田美也子の文化情報)
  • NHK-FM サンデークラシックワイド(案内役)
歌手としての出演

ディスコグラフィ

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あそびましょパンポロリン

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とべとべパンポロリン

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  • オウムのパロパロ / ふりむかないでぼくは歩く(COLUMBIA SCS-227)[注釈 6] 1974年4月25日
  • すてきなレイ / ずっこけズッコロ(COLUMBIA SCS-232)[注釈 7] 1974年7月25日
  • ピン太とゴン太 / おやすみパパ(COLUMBIA SCS-243)[注釈 8] 1974年12月
  • 大きなくりの木の下で / にんにんにんじゃ(COLUMBIA SCS-265)[注釈 9] 1975年7月
  • ごきぶりゴッキーの旅

みんなのうた

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  • NHK「みんなのうた」40周年ベスト(COCX-31412)-「勇気一つを友にして」(1975年 10月)を収録
  • NHKみんなのうた(COCX-32069)-「勇気一つを友にして」を収録
  • 親子であそびうた(COCX-32573)-「かもとりごんべえさん」を収録
  • NHKみんなのうた 〜レレの青い空(COCX-33219)-「勇気一つを友にして」を収録
  • 「みんなのうた」45周年 ベスト曲集〜北風小僧の寒太郎/山口さんちのツトム君〜(COCX-33840)-「勇気一つを友にして」を収録

主な出版物

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脚注

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注釈

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  1. ^ ヤング101のメンバーとして、1971年7月7日から1973年4月1日まで出演した。
  2. ^ NHKホールで収録され1993年8月14日に放映された『第25回思い出のメロディー』で、元メンバー16名と共に「涙をこえて」を披露。2002年8月10日に大宮ソニックシティから生中継された『第34回思い出のメロディー』で、元メンバー25名と共に「怪獣のバラード」と「涙をこえて」を披露。「怪獣のバラード」は「怪獣のバラード 2002」としてCD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)に収録された。 2003年 10月21日夜、22日昼・夜の計3回にわたり、Bunkamura内のシアターコクーンにて行なわれたヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に元メンバー36名と共に出演し、「Moonlight Serenade」を藤島新と共演で披露したほか、分担で進行役を務めた。22日夜のコンサートの模様は、後日、BS2で放送された。2016年3月6日放送の『新・BS日本のうた』(NHK BSプレミアム)の『あの歌に再会』というコーナーで、元メンバー15名と共にステージ101テーマ曲の「ヤッポン!」と「人生すばらしきドラマ」及び「涙をこえて」を披露した。
  3. ^ 番組名は、1974年4月からは「とべとべパンポロリン」、1976年4月からは「とびだせ!パンポロリン」。
  4. ^ 童謡『げんこつ山のたぬきさん』に、児童文学作家の香山美子が歌詞を加え、医師で作・編曲家の小森昭宏が編曲した。B面は「くまのおかあさん」。
  5. ^ 作詞は北沢杏子、作曲は越部信義による。
  6. ^ 「オウムのパロパロ」はこおろぎ'73との共演。こおろぎ'73は、山田と同時期にヤング101に在籍した男性歌手達が中心になって結成したコーラス・グループ。
  7. ^ こおろぎ'73との共演。
  8. ^ 「ピン太とゴン太」はコロムビアゆりかご会との共演。
  9. ^ 「大きなくりの木の下で」は、こおろぎ’73とコロムビアゆりかご会との共演。

出典

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  1. ^ a b c d 週刊テレビ番組(東京ポスト)1983年4月14日号 p.48
  2. ^ ミコちゃん本舗 山田美也子プロフィール
  3. ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。
  4. ^ "還暦以上の「ステージ101」" (2016年3月6日). 2021年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月16日閲覧。
  5. ^ "Stage101 Tribute". 2021年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月16日閲覧。
  6. ^ "ミコちゃん日記〜山田美也子のひとりごと〜 2008年12月" (2008年12月24日). 2012年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月16日閲覧。

参考文献

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  • 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)

関連項目

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外部リンク

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期間 放送時間(JST) 総合司会 芸能デスク
1982年4月1日 1983年2月7日 月曜 - 金曜 8:30 - 9:55(85分) 須田哲夫 荒川強啓 田丸美寿々 前田忠明 1
1983年2月8日 1983年3月25日 (不在)
1983年3月28日 1984年9月28日 山田美也子
1984年10月1日 1985年3月29日
1985年4月1日 1987年3月27日 桑原征平 2
1987年3月30日 1991年3月29日 向坂樹興 吉崎典子 3
1991年4月1日 1993年3月31日 川端健嗣 八木亜希子
1993年4月1日 1994年3月31日 川端健嗣 軽部真一 小島奈津子
1994年4月1日 1994年9月30日 月曜 - 金曜 8:00 - 9:55(115分) 生島ヒロシ 大林典子 4
1994年10月3日 1995年9月29日 月曜 - 金曜 8:30 - 9:55(85分)
1995年10月2日 1998年3月27日 向坂樹興 柴田光太郎
1998年3月30日 1998年10月2日 笠井信輔1 榊原るみ
1998年10月5日 1999年3月31日 月曜 - 金曜 8:25 - 9:55(90分)
  • 1  『情報プレゼンター とくダネ!』も続投。
  • 2  系列の関西テレビのアナウンサーであったが、総合司会期間中は東京に単身赴任して出演していた。
  • 3  1期目の出演の末期に結婚し、大林姓を名乗るようになった。
  • 4  2期目の出演(その後現在の吉崎姓に戻る)となる。

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