大禹嶺
大禹嶺 | |
---|---|
花蓮県秀林郷富世村側 | |
所在地 |
中華民国の旗 中華民国(台湾) 南投県 仁愛郷 栄興村 (中国語版) - 花蓮県 秀林郷富世村 |
座標 | 北緯24度10分51秒 東経121度18分36秒 / 北緯24.18083度 東経121.31000度 / 24.18083; 121.31000 座標: 北緯24度10分51秒 東経121度18分36秒 / 北緯24.18083度 東経121.31000度 / 24.18083; 121.31000 |
標高 | 2,565 m |
山系 | 中央山脈(畢禄山 - 合歓山) |
通過路 |
中部横貫公路( 省道 台8線) 合歓越嶺道路( 省道台14甲線) |
大禹嶺の位置(台湾内) 大禹嶺 大禹嶺 大禹嶺の位置(台湾) | |
プロジェクト 地形 | |
テンプレートを表示 |
大禹嶺(だいうれい〈ターユィリン〉)は、台湾中部を横断する中部横貫公路(東西横貫公路〈繁: 中橫公路〉)が、中央山脈の尾根の東西分水界を越える最高地点である[1] 。かつては合歓埡口(繁: 合歡埡口)として知られ[2] 、中央山脈の畢禄山と合歓山を結ぶ稜線の最低鞍部(標高2636m)にあった[3] 。稜線は西北側の南投県 仁愛郷 栄興村 (中国語版)と東南側の花蓮県 秀林郷富世村の境界となり、中部横貫公路本線(省道 台8線)の「合歓山隧道」が貫通する地点の標高は2565メートル。路線区域としての大禹嶺の地点は、花蓮県秀林郷の東口側となる[4] [5] 。
中部横貫公路の本線は、大禹嶺以東の太魯閣に至る東側と大禹嶺以西の東勢に至る西側に分かれるとともに、支線として霧社に通じる合歓越嶺道路(合歓山公路[6] [7] 、台14甲線 [8] )が大禹嶺(秀林大禹嶺)で合流する[1] [9] 。
歷史
[編集 ]日本統治時代の理蕃政策により、1914年、台湾総督府は原住民太魯閣族(タロコ族 [10] )討伐(太魯閣戦争 (中国語版)〈太魯閣戦役[11] 〉)に際して軍用道路を建設した。終結後、当初の路線は更新され、およそ現在の「合歓越嶺道路」(合歓越嶺古道)が敷設された[12] 。この時代、現在の合歓山隧道の真上にあたる位置に、三方を結ぶ合歓埡口「北合歓山鞍部[13] 」があった[14] 。
1956年(民国45年)に中部横貫公路の建設が開始されると[15] 、1959年(民国48年)、蔣経国主委(行政院 国軍退除役官兵就業輔導委員会主任委員[15] )により、合歓埡口の開削を果たす困難な工事は、大禹の治水 [16] にも劣らないものとして「大禹嶺」と名付けられた[14] 。
要路が交差する大禹嶺は[4] 、台湾初の高級長距離バス「金馬号」(1959年-1980年[17] )の中継点であった。以前は高地物産の集散地として農家が道路脇に集まり、路上販売が活発に行われていた[4] 。現在、大禹嶺地区の名称はとりわけ台湾高山茶 (中国語版)の栽培で知られる[18] [19] 。
地理
[編集 ]大禹嶺は、中央山脈北部の主稜線の畢禄山と合歓山を結ぶ尾根の最低鞍部に位置する[3] 。この中部横貫公路の最高点である大禹嶺の位置は地理的な要衝にあり、地形上、西の大甲渓側と東の立霧渓側を隔てる分水界となることから、この大禹嶺より大きく分割される。中部横貫公路の本線(省道 台8線)は、起点である台中市の東勢より112.085キロメートルの大禹嶺の地点で霧社支線(合歓越嶺道路、台14甲線)と接続する。支線の霧社から大禹嶺までの距離は41.719キロメートルとなる[9] 。
大禹嶺地区から関原(匡廬隧道)までの区間は、主に粘板岩(スレート)・千枚岩・変成 砂岩より構成される。「大禹嶺層」(陳肇夏、1979年[20] [21] )と称される脆弱な地質層として知られ、この区間において大規模な地すべりの発生が認められる[22] 。
合歓山隧道
[編集 ]合歓山隧道は中部横貫公路の開削により建設されたもので、南投県と花蓮県の県境に位置する。トンネルは、長さ184メートル、幅4.2メートル、高さ4.2メートルで、標高2565メートルにある。東口側には大禹嶺の交差点があり、西口からは梨山方向につながる[5] 。
脚注
[編集 ]- ^ a b 『台湾 自遊自在』日本交通公社出版事業局〈JTBのフリーダム 10〉、1989年、262-263頁。ISBN 4-533-01464-X。
- ^ 劉枋 (1988). 路: 東西橫貫公路開拓簡史. 內政部營建署太魯閣國家公園管理處. p. 81. https://tm.ncl.edu.tw/article?u=022_001_00000687&lang=chn 2023年7月8日閲覧。
- ^ a b "合歡埡口" (Map). 國土測繪圖資服務雲. 內政部國土測繪中心.
x2636
- ^ a b c "大禹嶺". 太魯閣國家公園. 観光スポット (2021年10月17日). 2023年7月8日閲覧。
- ^ a b "合歡山隧道". 國家文化記憶庫. 找素材. 文化部. 2023年7月8日閲覧。
- ^ 江良誠 (2022年12月17日). "寒流發威 合歡山公路翠峰到大禹嶺下午5時封閉管制". 經濟日報 (聯合報). https://money.udn.com/money/story/5648/6846194?from=udnamp-referralnews_ch1001artbottom 2023年7月8日閲覧。
- ^ 鮮明 (2023年7月2日). "台14甲線翠峰路段大坍方 合歡山公路雙向中斷! 已恢復單線通車". 壹蘋新聞網 (龍丞創意). https://tw.nextapple.com/local/20230702/050F3E0089C89F697E15A889321C9FF7 2023年7月8日閲覧。
- ^ "台14甲線合歡山公路、台2線北部濱海公路分別榮獲「第十屆台灣景觀大獎」傑出獎、佳作獎" (Press release). 交通部公路總局. 6 February 2023. 2023年7月8日閲覧。
- ^ a b "省道公路里程表". 交通部公路總局全球資訊網. 公路資訊. 交通部公路總局. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月8日閲覧。
- ^ "タロコ(太魯閣族)". 台湾原住民族との交流会. FTIP. 2023年7月8日閲覧。
- ^ 莊天賜. "太魯閣戰役的總頭目 - 哈鹿閣納威" (PDF). 臺灣學通訊 (國立臺灣圖書館) 82: 12-13. ISSN 1999-1851 . https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/4711954428.pdf 2023年7月8日閲覧。.
- ^ 鄭安睎. "從探險到築路: 側記合歡越嶺道路的開鑿" (PDF). 臺灣學通訊 (國立臺灣圖書館) 82: 20-21. ISSN 1999-1851 . https://www.ntl.edu.tw/public/Attachment/47119555539.pdf 2023年7月8日閲覧。.
- ^ 楊南郡; 王素娥 (1990-04). 太魯閣國家公園合歡古道西段調查與步道規劃報告. 內政部營建署太魯閣國家公園管理處. pp. 5 18 27 33 41. https://tm.ncl.edu.tw/article?u=022_001_00000680 2023年7月8日閲覧。
- ^ a b "合歡啞口". 國家文化記憶庫. 找素材. 文化部. 2023年7月8日閲覧。
- ^ a b "檔案瑰寶: 鬼斧神工的中橫公路". 檔案樂活情報. 國家發展委員會檔案管理局 (2016年3月16日). 2023年7月8日閲覧。
- ^ "大禹の治水". ミツカン 水の文化センター. 機関誌『水の文化』40号. ミツカン水の文化センター事務局 (2012年2月). 2023年7月8日閲覧。
- ^ 歐素美 (2020年5月7日). "中橫 - 甲子 金馬號重出江湖". 自由時報 . https://news.ltn.com.tw/amp/news/life/paper/1370907 2023年7月8日閲覧。
- ^ 陳佳利 (2015年11月23日). "解放2650". 我們的島. 公共電視文化事業基金會. 2023年7月8日閲覧。
- ^ "第26回: 消えたはずの大禹嶺". Teamedia. ティーメディアコーポレーション (2017年10月31日). 2023年7月8日閲覧。
- ^ 何春蓀 (1986). 臺灣地質概論: 臺灣地質圖說明書. 臺北縣: 經濟部 中央地質調查所出版. p. 164. http://basin.earth.ncu.edu.tw/Virtual%20Field%20Trip/BR/Sioulin%20Township-Western%20exit%20of%20Pilu%20tunnel.html 2023年7月9日閲覧。
- ^ 羅偉 (1992-12). "臺灣合歡山地區板岩層之層序及構造" (PDF〈ダウンロード〉). 經濟部中央地質調查所彙刊 (經濟部 中央地質調查所) (第8號): 1-29. https://tpl.ncl.edu.tw/NclService/pdfdownload?filePath=lV8OirTfsslWcCxIpLbUfvOO3kZLyeuc3p84jOG584ghpGqD5MQbIpDMrtpt90rn&imgType=Bn5sH4BGpJw=&key=Sz74jUtC2DSYY9DU33JP9sFPAQhft2uvbVoDTLrMIDUeVVU9OyINO4qBZJhLTxWd&xmlId=0005367396 2023年7月8日閲覧。.
- ^ 陳章波; 吳貞儀 (2002-12) (PDF), 合歡山區生態旅遊資源、活動模式及區域之系統規劃, 內政部營建署太魯閣國家公園管理處, pp. 29-30, https://www.taroko.gov.tw/News_Content.aspx?n=5522&s=227240 2023年7月8日閲覧。
関連資料
[編集 ]- 臺灣省公路局, ed (1960). 東西橫貫公路工程專輯. 臺灣省公路局
- 李元希; 楊昭男 (1994-12). "大禹嶺地區地質構造的演化" (PDF〈ダウンロード〉). 經濟部中央地質調查所彙刊 (經濟部中央地質調查所) (第9號): 77-105. https://tpl.ncl.edu.tw/NclService/pdfdownload?filePath=lV8OirTfsslWcCxIpLbUfvOO3kZLyeuc3p84jOG584jOSMGTDPChcm_Z6yktkK4O&imgType=Bn5sH4BGpJw=&key=bmNupXvl9znv5_ByYyEWuizUXNpCxovpIxYc8AXa-BseVVU9OyINO4qBZJhLTxWd&xmlId=0005434112 2023年7月8日閲覧。.
- 羅偉 (2000年05月01日). "臺灣中央山脈大禹嶺地區岩石劈理成因之探討". 華岡理科學報 (中國文化大學理學院) (17期): 1-38. doi:10.6364/HKJS.200005.0001.
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- "大禹嶺", 太魯閣國家公園: 観光スポット (タロコ国立公園管理処), (2021年10月17日), https://www.taroko.gov.tw/ja/AttractionTrailContent.aspx?n=8057&sms=11276&s=287