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冷泉為勇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
冷泉為勇
れいぜい ためいさ
自由通信社編『輝く憲政』より
生年月日 1870年 3月28日
出生地 日本の旗 日本 山城国 京都
(現・京都府 京都市)
没年月日 (1946年08月02日) 1946年 8月2日(76歳没)
出身校 学習院
所属政党 研究会
称号 正二位
勲二等
配偶者 冷泉百井
冷泉福子
子女 長男・杉溪由言
親族 義兄・土御門晴榮(貴族院議員)

在任期間 1911年7月10日 - 1946年 8月2日
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冷泉 為勇(爲勇、れいぜい ためいさ、1870年 3月28日明治3年2月27日 [1] 〉 - 1946年昭和21年〉8月2日 [1] [2] [3] )は、明治から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。幼名・治麿[4] 位階正二位 [3] 勲等は勲二等[3]

経歴

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山城国 京都侍従冷泉為柔の長男として生まれる[1] [4] [5] 1886年(明治19年)9月、為勇と改名[4] 。父の死去に伴い、1894年(明治27年)8月25日、子爵を襲爵[1] [4] [5] [6]

学習院で学んだ[5] 1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7] [8] 研究会に所属して活動し死去するまで五期在任した[2] [9]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、837-838頁。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』60頁。
  3. ^ a b c 議会制度七十年史 第1 37コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ a b c d 『大日本華族大鑑』97頁。
  5. ^ a b c 『人事興信録』第14版 下、ラ行5頁。
  6. ^ 『官報』第3349号、明治27年8月27日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  8. ^ 『官報』第8427号、明治44年7月25日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
冷泉為柔
子爵
下冷泉家第2代
1894年 - 1946年
次代
冷泉為安

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