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冷泉明融

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冷泉 明融
時代 戦国時代
死没 天正10年8月(1582年)
氏族 上冷泉家
父母 父:冷泉為和
兄弟 冷泉為益、広橋兼真ら
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冷泉 明融(れいぜい みょうゆう/めいゆう、 ? - 天正10年〈1582年〉8月)は戦国時代公卿、僧、歌人 [1] 藤原定家の子孫[2] 。なお、「明融」の読みについては明融本の項を参照。

冷泉為和の長子[3] 。生年は不明だが為益の兄にあたる[3] 。若年のころに出家し、等覚院と称して時宗の25代藤沢上人の弟子となったらしい[3]

言経卿記慶長11年(1606年)8月25日条に「故明融二十五回忌」とあることから、逆算して天正10年(1582年)8月の死没だと推定されている[3]

定家筆『源氏物語』の模写本(明融本)の存在により有名となる[1]

脚注

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  1. ^ a b "Weblio辞書". Weblio. 2024年7月19日閲覧。
  2. ^ https://www.jissen.ac.jp/event/year2019/qv8vbu00000903fl-att/Paris.pdf
  3. ^ a b c d 上野 1988, p. 44.

参考文献

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