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アマリリス・サボン

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(2024年7月)
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はサボン第二姓(母方の)はカルメナテです。
獲得メダル
 キューバ
柔道
オリンピック
2004 アテネ 52kg級
1996 アトランタ 48kg級
1992 バルセロナ 48kg級
世界柔道選手権
2003 大阪 52kg級
1997 パリ 48kg級
1999 バーミンガム 48kg級
1995 千葉 48kg級

アマリリス・サボン・カルメナテ(Amarilis Savón Carmenate、1974年 5月13日 - )は、キューバハバナ出身の柔道選手。

人物

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サボンは1992年バルセロナオリンピックでの初対戦以来、田村亮子(後の谷亮子)の最大のライバルの一人として何度も対戦してきたが、結局12戦して一度も勝てずに終わった。サボンは田村に関して冗談混じりに次のように語っていた。「彼女は路上の石ころのようなもので、私はいつもそれに躓いていたの ("She is like a stone in the street – I always tripped over her")」[1] 。2001年には出産を機に階級を52kg級に上げると、大阪での世界選手権で優勝を果たすも翌年のアテネオリンピックの準決勝では、横澤由貴にラスト1秒で袖釣込腰で一本を取られて逆転負けを喫した。3位決定戦では、アルジェリアのサリマ・スアクリに巴投げで勝利し、銅メダルを獲得した。

主な戦績

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52kg級での戦績

脚注

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  1. ^ Barnaby Chesterman (2003年9月18日). "Interview with Amarilis Savon, - 52 Kg Gold Medalist". 国際柔道連盟(IJF.org). 2003年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月28日閲覧。

外部リンク

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1980年代
〜90年代
2000年代
〜10年代

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