日和佐町
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ひわさちょう 日和佐町(第1次) | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
編入合併 日和佐町 → 赤河内村(即日町制、改称し日和佐町) |
現在の自治体 | 美波町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 徳島県 |
郡 | 海部郡 |
市町村コード | なし |
面積 | 15.09 km2. |
総人口 |
5,927人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 由岐町、赤河内村 |
日和佐町(第1次)役場 | |
所在地 | 徳島県海部郡日和佐町大字奥河内 |
地図 | |
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ひわさちょう 日和佐町(第2次) | |
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大浜海岸 | |
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廃止日 | 2006年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 日和佐町・由岐町→美波町 |
現在の自治体 | 美波町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 徳島県 |
郡 | 海部郡 |
市町村コード | 36382-1 |
面積 | 117.69 km2 |
総人口 |
5,734人 (2004年3月1日) |
隣接自治体 | 阿南市・由岐町・海南町・牟岐町・那賀町 |
町の木 | クスノキ |
町の花 | サクラ |
日和佐町(第2次)役場 | |
所在地 |
〒779-2395 徳島県海部郡日和佐町奥河内字本村18番地1 |
座標 | 北緯33度44分04秒 東経134度32分08秒 / 北緯33.73458度 東経134.53542度 / 33.73458; 134.53542 座標: 北緯33度44分04秒 東経134度32分08秒 / 北緯33.73458度 東経134.53542度 / 33.73458; 134.53542 |
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日和佐町(ひわさちょう)は、徳島県にあった町。海部郡に属した。
本項では発足時の名称である赤河内村(あかがわちそん)、町制日の名称である赤河内町(あかがわちちょう)と、1956年まで存在した旧・日和佐町、同町の町制前の名称である日和佐村(ひわさそん)についても述べる。
地理
大部分が山地であり、南東側は太平洋に面する。町内の大浜海岸にはウミガメが上陸する。1967年に「大浜海岸のウミガメ及びその産卵地」として国の天然記念物に指定された。
歴史
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、以下の2村が発足。
- 赤河内村 ← 北河内村、西河内村、山河内村、赤松村[1]
- 日和佐村 ← 日和佐浦、奥河内村、恵比須浜村
- 1907年(明治40年)1月1日 - 日和佐村が町制施行して日和佐町(第1次)となる。
- 1915年(大正4年)8月 - 赤河内村役場が新築落成。
- 1948年(昭和23年)6月1日 - 赤河内村の一部(大字北河内字田井)が日和佐町(第1次)に編入。
- 1950年(昭和25年)3月25日 - 昭和天皇が日和佐保育所、日和佐高等学校に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[2] 。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 赤河内村が日和佐町(第1次)を編入・町制施行して赤河内町となる。赤河内町が即日改称して日和佐町(第2次)となる。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 由岐町と合併して美波町 が発足。同日日和佐町(第2次)廃止。
行政
歴代村長
赤河内村時代の歴代村長。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初-3 | 谷崎安太郎 | 1889年(明治22年)12月5日 | 1899年(明治32年)8月1日 | |
4-5 | 井上喜久太 | 1899年(明治32年)12月2日 | 1907年(明治40年)12月8日 | |
6-7 | 古角栄三郎 | 1908年(明治41年)3月10日 | 1916年(大正5年)3月6日 | |
8-13 | 五島利明 | 1916年(大正5年)3月27日 | 1940年(昭和15年)4月9日 | |
14-15 | 中久治一 | 1940年(昭和15年)4月12日 | 1944年(昭和19年)5月31日 | |
16 | 亀谷良作 | 1944年(昭和19年)8月8日 | 1945年(昭和20年)10月8日 | |
17 | 鈴木利市 | 1945年(昭和20年)10月20日 | 1946年(昭和21年)11月8日 | |
18 | 牧本市太郎 | 1947年(昭和22年)4月1日 | 1948年(昭和23年)4月30日 | 公選 |
19 | 永井芳松 | 1923年(昭和23年)5月20日 | 1952年(昭和27年)5月19日 | |
20 | 鈴木利市 | 1952年(昭和27年)5月20日 | 新日和佐町長 |
姉妹都市・提携都市
産業
農林水産業
- 昭和40年代まで林業が盛んに行われた。樵木林業が行われていた。日和佐浦の山林などで備長炭の材料となるウバメガシが自生している。当時機械が無いので、ウバメガシを山林にある炭窯で焼いて、炭で軽くして運び出していた。薪や炭を関西に出荷していた。1954年、木炭約90トン、薪100万束を生産し、林業の売り上げの約7割を占めていた[3] [4] 。
教育
高等学校
中学校
小学校
交通
鉄道路線
道路
- なし
観光
出身有名人
脚注
[脚注の使い方]
参考文献
- 赤河内村郷土誌
- 日和佐町史
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
オープンストリートマップに日和佐町(一次)の地図 があります。