吹田徳雄
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吹田 徳雄(すいた とくお、1911年 12月20日 - 1981年 12月18日)は日本の工学者。大阪大学 名誉教授。原子力安全委員会初代委員長。理学博士(大阪帝国大学、1947年)。徳島県 海部郡 美波町(旧日和佐町)出身。
経歴
[編集 ]大阪市立都島工業学校 [1] [2] 、神戸高等工業学校電気科を経て[1] [2] 、1937年に大阪帝国大学工学部電気工学科卒業[3] 。学生時代はテニス部のキャプテンであった[2] 。1949年、大阪大学工学部電気工学科の教授(電気材料学講座)となる[3] 。1957年、原子核工学専攻原子炉工学講座教授(電気工学兼務)[3] 。1963年には京都大学教授となり、1969年から1970年まで大阪大学工学部長事務取扱を勤めた。
1975年に大阪大学を退官し[3] 、近畿大学教授となる。1978年には原子力安全委員会の初代委員長となった[4] [5] 。1981年12月18日死去。従三位勲二等旭日重光章が追叙された[6] 。
著書
[編集 ]- 高橋秀俊、吹田徳雄共 編『エネルギー変換論』ラテイス、1964年7月。
- 『100万人の原子力 基礎編』吹田徳雄・三島良績監修、アグネ〈原子力シリーズ〉、1971年8月。
脚注
[編集 ]- ^ a b "神戸高工新聞(24)入学者氏名欄より". 神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ (1931年4月10日). 2024年3月20日閲覧。
- ^ a b c 「故吹田徳雄先生を偲んで」『日本原子力学会誌』第24巻第2号。 p.89
- ^ a b c d "吹田徳雄先生を悼む". 日本物理学会誌 37 巻 4 号 p. 340-341 (1982年4月5日). 2024年3月21日閲覧。
- ^ 原子力安全委員会[編]『原子力安全白書<平成10年版>』大蔵省印刷局、1999年。 第1編原子力安全-この20年の歩みとこれから-より
- ^ "原子力委員会月報10月号(第23巻第10号)". 科学技術庁原子力局 (1978年10月). 2024年3月閲覧。
- ^ "会報"澪電"第3号" (PDF). 大阪大学工学部電気系同窓会 澪電会 (1982年5月). 2024年3月21日閲覧。
公職 | ||
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先代 (創設) |
日本の旗 内閣府原子力安全委員会 委員長 初代:1978年 - 1981年 |
次代 御園生圭輔 |
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