エレーヌ (競走馬)
エレーヌ | |
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欧字表記 | Helene |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 2007年 3月31日 |
死没 | 2010年 9月25日(3歳没) |
父 | ダイタクリーヴァ |
母 | トラックマグナ |
母の父 | アラジ |
生国 | 日本の旗 日本 北海道 新冠町 |
生産者 | 田上光征 |
馬主 | (有)須崎牧場→(有)ホースケア |
調教師 |
角川秀樹(北海道) →山中輝久(笠松) |
競走成績 | |
生涯成績 |
26戦11勝 中央競馬 3戦0勝 地方競馬 23戦11勝 |
獲得賞金 | 2805万円 |
勝ち鞍 |
KJ1:ル・プランタン賞 SPI:東海ダービー SPII:スプリングC(2010年) SPII:新緑賞(2010年) SPII:東海クイーンC 留守杯日高賞(2010年) のじぎく賞(2010年) 兵庫サマークイーン賞(2010年) |
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エレーヌとは、地方競馬に所属していた競走馬である。デビューから約13か月の間に12競馬場で26レースに出走、年間重賞勝利数1位タイとなる8勝と2010年度GRANDAME-JAPAN3歳シーズン1位のタイトルを獲得したが、2010年9月に急死した。
経歴
1歳時
1歳時に「トラックマグナ2007」の名で2度セールに出されたが、このときは買い手がつかなかった[1] [2] 。
2歳時
ホッカイドウ競馬に所属し、2009年 8月20日にデビュー。2戦目で先行抜け出しで初勝利を挙げるが、オープンクラスでは後方から差を詰めて届かない、物足りないレースが続いた。ホッカイドウ競馬のオフシーズンに馬主間でのトレードが成立し、笠松の山中輝久厩舎に移籍。JRAのエリカ賞に遠征(7着)の後、移籍2戦目で2勝目を挙げる。
3歳時
福寿草特別で再度中央に遠征で8着、園田クイーンセレクションでは直線で内によれて落馬競走中止したものの、4コーナーで楽に先頭に立つレースぶりで頭角をあらわす。その後の年明け3戦目から3か月半の間に8戦7勝、地元3歳の最強馬決定戦東海ダービーまで重賞5連勝を含む6勝で、瞬く間に東海地方のトップにのし上がった。
スプリングカップは後方から差し切り勝ち、新緑賞は先行して4コーナーで先頭に立って押し切り、留守杯日高賞は先行して直線余裕をもって抜け出すレコード勝ち、ル・プランタン賞は中団から向こう正面から3コーナーで早め先頭に立って楽勝、のじぎく賞は中団から直線だけで差し切り勝ち、東海ダービーでは後方から2周目3コーナーで先団にとりついて直線で競り勝った。このうちの留守杯日高賞、ル・プランタン賞、のじぎく賞はGRANDAME-JAPAN3歳シーズンの対象レースで、これらを勝ったことで3歳シーズン初代女王に輝いた。この間、スプリングカップから中央の沈丁花賞は中8日、留守杯日高賞からル・プランタン賞は中5日で出走、すべて違う競馬場での出走だった。
JRAと南関東の一線級が揃った関東オークスは後方から直線で差を詰めるも離された6着で連勝がストップする。古馬との初対決となったムーンストーンオープンは逃げ切りを許して3着、全国から一流馬が揃った3歳馬最強決定戦のジャパンダートダービーは中団後方のまま10着に敗れた。読売レディス杯は後方から3コーナーで先団にとりつくも3着まで。東海クイーンカップは中団後方から4コーナーで進出して格の違う末脚で完勝、兵庫サマークイーン賞は2周目3コーナーで先頭に立って押し切り、重賞を2連勝した。ビューチフル・ドリーマーカップは終始先行するも逃げたマイネベリンダをとらえきれず2着だった。関東オークス以降、兵庫サマークイーン賞とビューチフル・ドリーマーカップはわずか中4日で出走、それ以外はほぼ中1週で出走している。名古屋競馬場で2戦した以外はすべて違う競馬場での出走である。
そしてホッカイドウ競馬への凱旋レースとなったノースクイーンカップは、離れた最後方2番手から向こう正面でズルズルと後退、直線に入るころには大差の最後方になってしまう。結局勝ち馬から9.2秒も離されての殿負けを喫してしまった。その後笠松へ帰厩するが、9月25日未明に心不全で死亡した[3] 。後日、GRANDAME-JAPAN古馬シーズンにおいて、1位のキーポケットと同ポイントの2位となった[注 1] 。
過密なスケジュールについて
地方の下級条件馬並みのレース間隔で全国を飛びまわる過密なスケジュールに影響したとされるのがGRANDAME-JAPANのレーススケジュールである。2010年の3歳シーズンは対象の6レースが、同じく古馬シーズンは対象の7レースが、いずれも3か月の間に全国各地の競馬場で行われている。
エレーヌのキャリアの中でも特に短いレース間隔となった、留守杯日高賞(水沢)→ル・プランタン賞(佐賀)の中5日、兵庫サマークイーン賞(園田)→ビューチフル・ドリーマーカップ(水沢)の中4日は、いずれもGRANDAME-JAPANの対象レースである。エレーヌはGRANDAME-JAPANのうち、3〜6月に行われる3歳シーズン、7〜10月に行われる古馬シーズンのどちらもタイトルを狙って出走していたため、長期にわたって過密なスケジュールが続く一因となった。GRANDAME-JAPANを念頭に置いてのローテーションであったことは、山中師も「シリーズがなければ無理はしないと思うんですが」とレース後のコメントで認めている[4] 。
なお、GRANDAME-JAPANにおいて、シリーズの対象レースすべてへの出走は義務付けられておらず、出走レースの選択は各馬の陣営の判断に委ねられている。
愛称
2010年のGRANDAME-JAPAN3歳シーズンでは山中輝久厩舎に所属する牝馬が活躍し、留守杯日高賞では1着から4着まで、ル・プランタン賞では1着から3着までをそれぞれ独占した。エレーヌを含めた各馬は「笠松ガールズ」の愛称で呼ばれた[5] [6] 。
競走成績
血統表
母の半姉にヴァイタルトラック(京成杯オータムハンデキャップ3着)、3代母の子孫にフレーザーハクユウ(九州ジュニアグランプリ、荒炎賞)がいる程度で、一族に中央重賞を勝った馬はいない。5代先までさかのぼっても、5代母の孫にイギリスのG3勝ち馬が1頭いる程度である。
脚注
注釈
出典
- ^ "2008年 サマーセール 取引成績速報 4日目". 日高軽種馬農業協同組合. 2010年10月2日閲覧。[リンク切れ ]
- ^ "2008年 オータムセール 取引成績速報 2日目". 日高軽種馬農業協同組合. 2010年10月2日閲覧。[リンク切れ ]
- ^ "【お知らせ】 エレーヌ号が心不全のため死亡いたしました。". 笠松けいば (2010年9月27日). 2013年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月2日閲覧。
- ^ "web Furlong 2010【グランダム・ジャパン特集】第3回兵庫サマークイーン賞". www.keiba.go.jp. 2011年4月25日閲覧。
- ^ "【トピックス】 本日の佐賀は『笠松ガールズ』旋風!今度は1〜3着独占". 笠松けいば (2010年4月25日). 2010年10月2日閲覧。[リンク切れ ]
- ^ "「笠松ガールズ」快走中 名馬の里に新星登場". 中日新聞 (中日新聞社). (2010年6月16日). オリジナルの2010年6月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100619171938/http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20100616/CK2010061602000016.html 2010年10月2日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post