小場義易
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小場 義易(おば よしやす、慶長6年(1601年) - 万治元年11月13日(1658年 12月7日)[1] )は、佐竹氏一門の佐竹西家8代当主。久保田藩 大館第2代所預。
父は小場義成で、叔父は石塚義辰。母は東家佐竹義久の養女(大塚信濃娘)。養子は佐竹義房。通称は六郎。
経歴
[編集 ]慶長6年(1601年)、佐竹家重臣小場義成の子として生まれる。父の跡を継ぎ大館城代を務めた。大館城は、慶長20年(1615年)の一国一城令の例外として破却されることなく残された。関ヶ原の戦いの敗戦による主家の転封により、知行高が5万石から5000石に減じられたため、新田開発による石高増を図り、新田高が8000石に達した。万治元年(1658年)、大館八幡神社を城外に移築する[2] 。同年死去。享年58。