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全皇后 (孫亮)

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全皇后
の皇后
在位 建興2年1月1日 - 太平3年9月26日
(253年 2月16日 - 258年 11月9日)

出生 赤烏7年(244年)
死去 永寧2年(302年)
配偶者 廃帝
氏族 呉郡全氏
父親 全尚
母親 孫氏(孫恭の娘)
兄弟 全紀
族祖父 全琮
族祖母 全公主
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全皇后(ぜんこうごう)は、三国時代の廃帝孫亮の皇后。名は不明(諸説ある[1] [2] )。揚州 呉郡 銭唐県(現在の浙江省 杭州市)の人。父は全尚。生母は孫恭(孫暠の三男)の娘(孫峻の姉)。兄弟は全紀

経歴

全琮の族孫に当たる。容貌が美しく、人の気持ちがよく分かった。全琮の妻である孫魯班(全公主)に愛され、全公主に連れられて頻繁に参内しており、赤烏13年(250年)、皇太子として孫亮が擁立されると、全氏が全公主の薦めにより太子妃になった。

孫亮が帝位につくと、建興2年(253年)正月1日、皇后に立てられた、このとき10歳。父も城門校尉に任命され、都亭侯に封じられた。全氏一族で侯に封ぜられたのが5人にのぼり、それぞれに兵馬を指揮し、その他の者も侍郎や騎都尉となり、皇帝の側近で警護の任に当たって、呉が興って以来、外戚としてこれほど高位を占め盛んな勢力をもった一族は他に例がなかった。

太平3年(258年)、成長した孫亮は孫綝の専横を憎むようになり、その謀殺を計画するようになった。この時、全尚は全公主や将軍の劉丞らとともに、その暗殺計画に加わった。しかし、孫綝は事前に計画を知ったため、軍勢を率いて宮城を占拠し劉丞を殺害、全尚の屋敷に夜襲をかけて捕虜とした。やがて全尚は殺害された。この前の257年、叔父の全懌全端らもに降った。全煕が処刑されると、全氏一族は衰えていった。

孫亮が廃位され、会稽や侯官に遷されると、全皇后も従った。夫の死後も一人で侯官に住み、その遭遇が世間の同情を引いた。

天紀4年(280年)呉がに滅ぼされた後に故郷へ戻ったが、永寧2年(302年)に死去した[3]

備考

『三国志』孫綝伝の記述によると、全皇后は孫綝の従姉の娘であり、そのため暗殺計画を孫綝に告げた。

しかし『江表伝』によると、密告者は全皇后の母である孫綝の従姉だったともいう。計画を暴露した後、全皇后の兄弟である全紀が黄門侍郎として孫亮の命令を全尚に伝えたが、全尚がよく考えずに機密を妻に知らせたため計画が失敗した。そのため全皇后とともに孫亮から罵倒され、責任を感じて自害したという。小説『三国志演義』では、この説を採用している。

参考文献

脚注

  1. ^ 清の薛福成による『庸盒筆記』巻五:「夫人銭唐人,諱恵解,十歳立為呉皇后。呉主既廃,貶号夫人,年十八而廃主卒,崎嶇権臣劇寇之間,卒能保身完節,時議憐之。」清人の理解で信憑性には疑問が残る。例:徐庶単家子→単福
  2. ^ 『三国志』巻50呉書裴注:「亮妻恵解有容色、居侯官、呉平乃帰。永寧中卒。」恵解は形容詞の可能性が高い、例:『周瑜伝』瑜長壮有姿貌は「周瑜長壮して姿貌あり」の意味。『太平御覧』巻六百五十六 釈部四しろまる異僧下 引『高僧伝』:「爰摩密多,此云法秀,罽賓人也。年至七歳,神明澄正,毎見法事,輒自然欣躍。其親愛而異之,遂令出家。罽賓多出聖達,屡値明師,博貫群経,特深煨蕤,所得門戸,極其微奥。為人沈邃,有【恵解】,儀軌詳正,生而連眉,故世号連眉禅師。」
  3. ^ 『三国志』呉志「孫亮全夫人伝」およびそれが引く『呉録』
陳寿撰 『三国志』 に立伝されている人物および四夷

(魏書)
巻1 武帝紀
巻2 文帝紀
巻3 明帝紀
巻4 三少帝紀
巻5 后妃伝
巻6 董二袁劉伝
巻7 呂布臧洪伝
巻8 二公孫陶四張伝
巻9 諸夏侯曹伝
巻10 荀彧荀攸賈詡伝
巻11 袁張涼国田王邴管伝
巻12 崔毛徐何邢鮑司馬伝
巻13 鍾繇華歆王朗伝
巻14 程郭董劉蔣劉伝
巻15 劉司馬梁張温賈伝
巻16 任蘇杜鄭倉伝
巻17 張楽于張徐伝
巻18 二李臧文呂許典二龐
閻伝
巻19 任城陳蕭王伝
巻20 武文世王公伝
巻21 王衛二劉傅伝
巻22 桓二陳徐衛盧伝
巻23 和常楊杜趙裴伝
巻24 韓崔高孫王伝
巻25 辛毗楊阜高堂隆伝
巻26 満田牽郭伝
巻27 徐胡二王伝
巻28 王毌丘諸葛鄧鍾伝
巻29 方技伝
巻30 烏丸鮮卑東夷伝

(蜀書)
巻31 劉二牧伝
巻32 先主伝
巻33 後主伝
巻34 二主妃子伝
巻35 諸葛亮伝
巻36 関張馬黄趙伝
巻37 龐統法正伝
巻38 許糜孫簡伊秦伝
巻39 董劉馬陳董呂伝
巻40 劉彭廖李劉魏楊伝
巻41 霍王向張楊費伝
巻42 杜周杜許孟来尹李譙
郤伝
巻43 黄李呂馬王張伝
巻44 蔣琬費禕姜維伝
巻45 鄧張宗楊伝

(呉書)
巻46 孫破虜討逆伝
巻47 呉主伝
巻48 三嗣主伝
巻49 劉繇太史慈士燮伝
巻50 妃嬪伝
巻51 宗室伝
巻52 張顧諸葛歩伝
巻53 張厳程闞薛伝
巻54 周瑜魯粛呂蒙伝
巻55 程黄韓蔣周陳董甘淩
徐潘丁伝
巻56 朱治朱然呂範朱桓伝
巻57 虞陸張駱陸吾朱伝
巻58 陸遜伝
巻59 呉主五子伝
巻60 賀全呂周鍾離伝
巻61 潘濬陸凱伝
巻62 是儀胡綜伝
巻63 呉範劉惇趙達伝
巻64 諸葛滕二孫濮陽伝
巻65 王楼賀韋華伝

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