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閻魔

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(2016年11月)
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閻魔(ヤマ)を描いたチベットの仏画(17-18世紀ごろ)

閻魔(えんま)は仏教ヒンドゥー教などでの地獄冥界の主[1] 。冥界のとして死者の生前のを裁く [2] 日本の仏教においては地蔵菩薩化身とみなされ同一視されている[3] 閻王ともいう[4]

名称

閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語ヤマ(यम, Yama)の音訳 [2]

ヤマラージャ(यमराज, Yama-rājaラージャは王の意味)とも[2] 。音訳は閻魔羅闍(えんまらじゃ)意訳閻魔大王(えんまだいおう)[2] 。略して閻羅王(えんらおう)[2] (えん)とも。

Yama(閻魔)は、縛、雙世、雙王、静息、遮止、平等などと和訳される[5] 。"縛"は罪人を捕縛する意、"雙世"は彼が世中、常に苦楽の2つの報いを受ける意、"雙王"は兄妹一対で2人並びたる王の意、また"平等"は罪人を平等に裁くとの意からこれらの和訳がある。

各地の信仰

インドの「ヤマ」

en:Yama (Hinduism)」も参照
19世紀前半に描かれたヤマ

本来はインド・イラン(Indo-Iranian)共通時代にまで遡る古い神格で、『アヴェスター』の聖王イマ(中世・近世ペルシア語ジャム(「輝けるジャム」の意味でジャムシード とも呼ばれる))や北欧神話の巨人ユミルと同起源である[6] [7] [8]

リグ・ヴェーダ』では、ヤマとその妹ヤミー(Yami)はヴィヴァスヴァットの子で、母はトヴァシュトリの娘サラニュー (英語版)とされた。人間の祖ともされ、ヤマとヤミーの兄弟姉妹婚 [注釈 1] により最初の人類が生まれた[1] [注釈 2]

ヤマは人間で最初の死者となり、死者が進む道を見いだした[12] 。そして死者の国の王となった[1] 。虚空のはるか奥に住むという。インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた[1] 。そこは死者の楽園であり、長寿を全うした後にヤマのいる天界で祖先の霊と一体化することは、理想的な人生だと考えられていた[13]

しかし後代には、赤い衣を着て頭に冠を被り、手に捕縄を持ち、それによって死者の霊魂を縛り、自らの住処・国に連行されると考えられた[3] 。ヤマの世界は地下だとされ、死者を裁き、生前に悪行をなした者を罰する恐るべき神と考えられるようになった[14] 骸骨の姿をした死の病魔トゥルダク[要検証 ノート ]、神犬サラマーから生まれた[14] 4つ目で斑の2匹の犬[6] [15] サーラメーヤ(Sarameya)を従える[16]

現在のインドでは、青い肌で水牛に乗った姿で描かれる[1] (本来は黒い肌だが美術上の様式として青く描かれる)。

東アジアの「閻魔」

en:Yama (East Asia)」も参照

インドのヤマは、のちに仏教に取り入られて閻魔天となり[6] [14] 、地獄の主と位置づけられるようになった[6] 。ただし一説には、本来はヴェーダのYamaという同一尊から二途に分かれていったとも考えられている。その二途とは以下のとおりである。

  • 下界の暗黒世界、すなわち地獄界の王となった。つまり本項の閻魔。
  • 上界の光明世界、すなわち六欲天の第3天である夜摩天、あるいは焔摩天

中国

地獄の法廷を描いた中国の仏画

中国に伝わると、道教における冥界・泰山地獄の主である泰山府君と共に、冥界の王であるとされ、閻魔王、あるいは閻羅王として地獄の主とされるようになった。

やがて、晩代に撰述された偽経である『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)により十王信仰と結び付けられ、地獄の裁判官の一人であり、その中心的存在として、泰山王とともに、「人が死ぬと裁く」という役割を担い、信仰の対象となった[6] 。現在よく知られる唐の官人風の衣(道服)を纏った姿は、ここで成立した[6]

日本

日本仏教においては地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている[6]

安土桃山時代に描かれた閻魔
成相寺の閻魔像

後に閻魔の本地とされる地蔵菩薩は奈良時代には『地蔵十輪経』によって伝来していたが、現世利益優先の当時の世相のもとでは普及しなかった。平安時代になって末法思想が蔓延するにしたがい源信らによって平安初期には貴族、平安後期には一般民衆と広く布教されるようになり、鎌倉初期には預修十王生七経から更なる偽経の『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略して『地蔵十王経』)が生み出された。これにより閻魔の本地が地蔵菩薩であるといわれ(ここから、一部で言われている閻魔と地蔵とを同一の尊格と考える説が派生した)、閻魔王のみならず十王信仰も普及するようになった。本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来出来るとされる。

なお前述の通り、十二天の焔摩天は同じルーツを持つ神ともいわれる。中国では焔摩天が閻魔大王に習合されていたが、日本に伝わった時にそれぞれ別個に伝わったため同一存在が二つに分かれたとも考えられている[1]

閻魔王の法廷には、浄玻璃鏡という特殊なが装備されている。この魔鏡はすべての亡者の生前の行為をのこらず記録し、裁きの場でスクリーンに上映する機能を持つ。そのため、裁かれる亡者が閻魔王の尋問に嘘をついても、たちまち見破られるという[6] [注釈 3] 。司録と司命(しみょう)という地獄の書記官が左右に控え、閻魔王の業務を補佐している[5] 平安時代の公卿・小野篁には、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説がある(「小野篁#逸話と伝説」を参照)。戦国時代の武将・直江兼続にも、閻魔大王宛に死者の返還を求める手紙を書いたという逸話がある(「直江兼続#人物・逸話」を参照)。

京都府 大山崎町宝積寺には、閻魔・司録・司命が居並ぶ地獄の法廷を再現した鎌倉時代の木像があり、重要文化財に指定されている。

大阪市 浪速区には、閻魔を祀った西方寺閻魔堂(正式には「合邦辻閻魔堂西方寺」。創建は伝・聖徳太子)があり、浄瑠璃の「摂州合邦辻」の舞台にもなっている。

1月16日・7月16日前後、奉公人は休暇を貰い故郷に帰る藪入りの日であった[17] 。余暇を使いその日に閻魔堂に詣でたり、芝居などを楽しむ奉公人が多く、昔は1月16日・7月16日を「賽日・初閻魔」と呼んでいた。関東から中部地方にかけては、7月1日には地獄も定休日として罪人を煮るのふたを開き、亡者を苛むのを休んだということから「釜蓋朔日」と呼び、この日から入りとする[要出典 ]

閻魔王はコンニャクが大好物であるという俗説もある。東京都 文京区源覚寺にこんにゃくを供えれば眼病を治すという「こんにゃくえんま」像があるほか、各地の閻魔堂でこんにゃく炊きの行事が行われる[要出典 ]

閻魔を題材とした作品

参考文献

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蔡丈夫『インド曼陀羅大陸』は、1991年発行と2012年発行のどちらを実際に参考にしていますか?

関連書籍

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、閻魔 に関連するカテゴリがあります。
ウィキメディア・コモンズには、ヤマ に関連するカテゴリがあります。

脚注

注釈

  1. ^ 『リグ・ヴェーダ』の「ヤマとヤミーとの対話」(リグ・ヴェーダ 10・10)において、ヤミーはヤマに子孫を残す必要性を訴えて結婚を迫るが、ヤマはミトラ神とヴァルナ神の定めた天則に沿わない行為だとして拒む[9] [10] 。なお辻直四郎によれば、この対話形式の讃歌は人類の起源を説明しているものの、詩の作者が近親相姦という倫理に反する表現を回避しているという[9]
  2. ^ ヤマの死は昼夜の起源ともなった。『マイトラーヤニー・サンヒター』(1・5・12)の伝えるところでは、ヤマが死んだ頃はまだが無かった。悲しみに暮れるヤミーは、神々に慰められるたびに「ヤマは今日死んだ」と言っては泣いた。神々はヤミーがヤマを忘れられるように、今日を昨日とすべく夜を作り出したので、ヤミーは立ち直ることができたという[11]
  3. ^ 俗説では、嘘をついた者は地獄で閻魔に舌を引き抜かれる刑に処されると言われた。子供を叱る際にはしばしばこの話が持ち出される。また、かつて和釘を引き抜くのに使われていた、やっとこ形の釘抜きは「えんま」と称されていた[要出典 ]

出典

  1. ^ a b c d e f 山北篤監修 『東洋神名事典[要ページ番号 ]
  2. ^ a b c d e 関根俊一 『仏尊の事典[要ページ番号 ]
  3. ^ a b 久保田悠羅、F.E.A.R. 『密教曼荼羅[要ページ番号 ]
  4. ^ 中村元『広説仏教語大辞典』 上巻、東京書籍、2001年6月、136頁。 
  5. ^ a b 錦織亮介 『天部の仏像事典[要ページ番号 ]
  6. ^ a b c d e f g h 草野巧 『地獄』 [要ページ番号 ]
  7. ^ Julius Pokorny. Indogermanischer etymologisches Wörterbuch p.505.
  8. ^ 『神の文化史事典』、pp. 91(イマ)、545(ヤマ).
  9. ^ a b 『リグ・ヴェーダの讃歌』、p. 80(ヤマとヤミーとの対話).
  10. ^ 神の文化史事典』、p. 548(ヤミー).
  11. ^ 昼夜の起原の物語」、p. 145.
  12. ^ ヤマ(死者の王)の歌」、p. 75.
  13. ^ 神の文化史事典』、pp. 545-546(ヤマ).
  14. ^ a b c 神の文化史事典』、p. 546(ヤマ).
  15. ^ ヤマ(死者の王)の歌」、p. 76.
  16. ^ 蔡丈夫 『インド曼陀羅大陸』 [要ページ番号 ]
  17. ^ 年中行事辞典』 p.70
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