「秋山準」の版間の差分
2007年12月29日 (土) 10:22時点における版
秋山準 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
秋山準 ホワイトサンタ Mr.クリスマス |
本名 | 秋山潤 |
ニックネーム |
スターネス ブルーサンダー |
身長 | 188cm |
体重 | 110kg |
誕生日 | (1969年10月09日) 1969年 10月9日(55歳) |
出身地 | 大阪府 和泉市 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 |
レスリング 水泳 |
トレーナー |
ジャイアント馬場 ジャンボ鶴田 小橋健太 |
デビュー | 1992年 9月17日 |
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秋山 準(あきやま じゅん、本名:秋山 潤、1969年 10月9日 - )は、プロレスリング・ノアに所属する男子プロレスラー。大阪府 和泉市出身。身長188cm、体重110kg。血液型AB型。また有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーション代表取締役社長である。
なお全日本プロレス時代はリングネーム「準」の下部にある「十」の右下に「、」をつけていた(「下」の縦棒が上に突き出た感じ。命名の際、デビューから一定期間を過ぎたら「、」を外すよう、命名者に言われていたらしい)。
かつては、対戦相手の負傷箇所を非情なまでに痛めつけるファイトスタイルから「氷の秋山」「キラー秋山」等と呼ばれた。現在は、他団体マットに積極的に参加する一方、若手、中堅選手の育成に心血を注ぐ。
来歴
学生時代
中学時代は水泳部に所属。レスリングは高石高校進学後から始めたが、フリースタイル81kg級でインターハイや国体に出場するなど、素質とセンスの高さを見せた。専修大学レスリング部時代(3年上の先輩に中西学がいる、柔道部の高阪剛は同級生で友人。)は1年時に全日本学生選手権で準優勝を果たす他、4年時にはレスリング部の主将も務める。
全日本プロレス
バスの中で疲れてうなだれるサラリーマンの姿を見て自分はああなれないと悟り、プロレスラーとして生きることを決意した。全日本プロレス入団へのきっかけとなったのはジャイアント馬場自らのスカウトによる。馬場が秋山と専大関係者を食事に誘った際に「何も心配することは無いんだよ」と秋山にアプローチした。秋山は元々新日本プロレスの入団テストを受験していたが相手にされなかった事や、秋山自身がジャンボ鶴田のファンだったこと、更に専大レスリング部監督の松浪健四郎(現・衆議院議員)が新日本プロレスとトラブルを起こし全日本プロレス寄りにシフトチェンジしたことも重なり、馬場本人からのスカウトに感動して全日本プロレスへ入団した。全日本プロレスの長い歴史の中でも馬場自らがスカウトに動いた選手はほとんどいない。余談だが秋山が全日本プロレスに入団する事を知った専大OBの長州力は「なんであんないい奴、取らないんだ!」と、同じく専大OBで当時新日本プロレスのスカウトも兼務していた馳浩を怒鳴りつけたそうである(後日、馳はこの件について「秋山の古傷の腰の状態が思わしくない為、プロレスは無理だと判断した」と語っている)。このことから、アマレス時代からプロレス向きの類稀なる才能を見せていたことが分かる。
入団当初からジャンボ鶴田二世として期待され、1992年 9月17日、後楽園ホールのセミファイナル(45分1本勝負)・小橋健太戦でデビューすると、同年末の『'92世界最強タッグ決定リーグ戦』には病気療養中の鶴田の代役として出場を果たす(パートナーは田上明)。その後も同期の大森隆男や、先輩三沢光晴、小橋とのタッグでタイトルを獲得するなど、団体の看板レスラーの一人に成長する。関係者も「身体を一回り小さくしたジャンボ鶴田」と唸るほどの成長を見せ、1回教えた技はすぐに実戦でも有効となるレベルで使えるなど、器用さも鶴田に良く似ていた。その後は三冠ヘビー級ベルト戴冠は無いものの、プロレス四天王と並ぶ五強と呼ばれた。
プロレスリング・ノア
2000年 7月、全日本集団離脱からプロレスリング・ノアに移籍。旗揚げ戦初戦のメインで小橋とタッグを組み、1本目を三沢から、2本目を田上から取る。翌日のメインでの小橋とのシングルでも勝利を収める快挙を見せる。以降は団体の中心選手として活躍。2001年 7月には三沢を破りGHC(グローバル・オナード・クラウン)ヘビー級王座を戴冠。更に2002年 9月には斎藤彰俊とのタッグでGHCタッグ王座も獲得した。また2004年 3月には、団体の管理する正式ベルトの名称である『GHC』を模した白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)ベルトを創設するなど、戦うだけでなくアイディアにも長けたレスラーの一人である。
NOAH旗揚げ頃から、小橋の長期離脱や団体を引っ張らなければならない責任感などのストレスで自律神経失調症に悩まされるが、必死の努力で克服。
リーダーを務めるユニット「STERNNESS(スターネス)」には、橋誠(現在出稽古中)、金丸義信、泉田純至が所属しており、彼等の育成(おちょくり)にも心血を注ぐ。
全日本プロレス所属中はイメージカラーを青としており、ブルーのショートタイツを身に着けていたが、ノア移籍後は白を主体としている。余談であるが秋山の抜けた後の全日では、秋山と同じ青いコスチュームで秋山と同じ技を使う、"秋山もどき"がしばらく見られた("小橋もどき"も同時期の全日にオレンジのパンツで急遽登場し、小橋の技を使っていた。彼らは全日離脱直前のオリジナルの2人と同じようにタッグを組んでいた。それぞれ奥村選手、荒谷選手がその正体である)。
ちなみに、2005年 4月1日に自身が社長を務める会社を立ち上げ、9月からは「+波動水」という天然水の販売を行っている。三沢や仲田龍らNOAHのフロント陣がよく言う「レスラーの引退後を考えた」事業の一環だと思われる。
2006年 1月8日、田上明とのGHCヘビー級選手権試合の前哨戦で、開始早々のエクスプロイダー・ジャンピングニーからのエビ固めで、0分12秒で田上明からフォール勝ちをした(その後、テレビ局の放送時間が余っているということで再試合になり、15分00秒で志賀賢太郎が菊地毅から後方回転エビ固めでフォール勝ちしている)。尚、この試合は特別に秋山が勝った試合を通常通りの第8試合、志賀が勝った再試合を追加試合の第9試合とされた。
2006年 1月22日 GHCヘビー級選手権者・田上明を後頭部へのロージャンピングニーで下し、3年9ヶ月ぶりにGHCヘビー級選手権者(第9代)に返り咲いた。
2004年からは「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)でコラム「NOAHがわかる、NOAHがかわる」を連載(当初は毎週だったが、2005年から隔週となる)。ノア所属選手の裏話や次期シリーズの見所などを紹介していたが、2006年からはタイトルを「クロブタノート」と変更、泉田を主役としながらも秋山も「ブタ番」として、ノア番(ノア担当の番記者)とのトークや泉田のお見合い企画に参加した。「クロブタノート」が5回で終了した後は「NOAHがわかる、NOAHがかわる」が復活した。しかし77回で終了することを予告しており、その通りに終了した(秋山はコラム内で「次回からは爽やかなコラムが始まります」と予告しており、DRAGON GATE所属のCIMAが後を引き継いでいる)。
2006年3月に日本公開された映画「力道山」では、遠藤幸吉役を演じた。
2006年 9月9日、GHCヘビー級選手権にて挑戦者丸藤正道に敗れ、GHCヘビー王者陥落と共に、丸藤正道が第10代GHCヘビー王者となる。試合前に菊地毅と負けたら前座に戻ると約束していたため、翌月のシリーズでは6年3ヶ月ぶりに青タイツで登場した。
対四天王シングル戦では田上、三沢、小橋の3人には勝利したが、唯一川田にだけは未勝利である。
入場曲
- 初代: U. S. FINAL BATTLE...デビュー〜
- 二代目: SHADOW EXPLOSION...1996年頃〜
- 三代目: STERNNESS...2001年10月6日〜
長年使い続けた「SHADOW EXPLOSION」を変えたとき、「大会場に映える曲」と発言していた。実際にこの2日後の10月8日に、新日本プロレスリング東京ドーム大会に出場している。
主な得意技
通常はその器用さからそれなりに盛り上げてそれなりに終わらせることが多いが、小橋や実力者に対しては往年の四天王並みのタフさを発揮し、感情をむき出しにして立ち向かってくる若手等には非常にエグい攻撃を加えて可愛がる。センス・試合勘・肉体・技術どれをとっても一流のオールラウンドプレイヤーである。
- エクスプロイダー
- 相手と向かい合い、右手を肩口にまわし左手をモモの外から股に差し入れ後方に反り投げる変形の裏投げ。走りこんでくる相手へのカウンターとしても用いることが出来、また角度を調節することも可能な使い勝手の良い技であるため、この技が秋山をトップレスラーに伸し上げたと言っても過言ではない。受身の天才である三沢光晴をして「秋山のスープレックス(エクスプロイダー)は通常とは違い横向きに投げられるので受身が取りづらい。はっきりいってやっかいだよ」と言わしめたほど。
- 一応バリエーションとして断崖式・雪崩式が存在するが、危険すぎる為一時期封印していた(雪崩式を食らった三沢光晴は首に重傷を負った)。また断崖式が出されたのは2004年 東京ドームにおける小橋建太戦、2007年武道館でのモハメド・ヨネ戦の2回。ただし小橋にはコーナートップからの断崖式という超危険なシチュエーションで繰り出している。
- 新日本プロレス所属の飯塚高史の「ブリザード」とはロックの仕方が左右逆。最近はきつい角度で出すことが度々ある。
- リストクラッチ式エクスプロイダー
- 股下を通した左手で、相手の左腕を掴み受身が取れない状態で後方に反り投げる。相手の股下を通したリストクラッチにすることで相手は急角度のフロント・スープレックスのような角度で脳天から後頭部を前に突っ込むように鋭角的に叩き付けられる為、技の威力は非常に高い。通常この技が決まれば試合はお終いだが、最近では耐えられる相手も出てきている。また若手にも積極的に繰り出している。
- 変形リストクラッチ式エクスプロイダー
- リストクラッチしてのフィッシャーマンズ・スープレックス。後述のスターネス・ダストγと似た技であるが、垂直落下式のバスターではなく、自身もブリッジで反り返るスープレックス系の技であるという点で異なる。2007年1月に潮崎豪に対して初めて繰り出し、その後も度々使用されている。
- スターネス・ダストα
- リストクラッチしてのフィッシャーマンズバスター。現在までに志賀賢太郎、丸藤正道、モハメド・ヨネ、のみ繰り出した技(ただし丸藤とヨネには垂直落下式γに近い形で出している)。志賀が長期欠場する一因となった技である。このことを秋山は非常に後悔しており、そのため現在は半封印状態となっている。現在秋山準が持つ通常の投げ技の中で、最強の威力を誇ると目される。
- スターネス・ダストγ
- αと同じくリストクラッチ式のフィッシャーマンズバスター。αはリストクラッチ式のバーニングハンマーに似た落とし方だが、この技はクラッチだけはリストクラッチで普通のフィッシャーマンズバスターの落とし方で落とす。最近はこの落とし方が多いが、この技を実際に使ったのは一度だけで、試合結果にはスターネスダストαと表示されている。
- フロントネックロック
- フロントスリーパーと胴締めの複合技。非常に動きづらく、逃げ出すことがほぼ不可能である締め技の完成形とも言える技。NOAH旗揚げ戦において三沢光晴をこの技で絞め落とし、翌日に行われた小橋とのシングル戦でもこの技で小橋を葬った。また、ずっと技をかけ続けていると相手の身体が横に流れてしまい、段々威力に欠けるようになってしまう為、単純にスタミナを削ぐ技としても使われている。三沢によると「外す方法は無い」との事。なお、小橋が一度、馬鹿力のみで引っこ抜いたことがあるが、このときは右腕をクラッチできないままスリーパーに移行してしまったため、小橋が両腕で踏ん張ることが出来たためである。最近は見かけることが少なくなった。
- タラバガニロック
- フロントネックロックの発展系。まず足を監獄ロックで捕らえてから、フロントスリーパーに移行する。足の自由が奪われるため、フロントネックロック以上に身動きが取れない。一見完璧な技と思われるが、仕掛けるのに時間が掛かり、まず足をロックする必要があるためその間相手の上半身は全く自由となる。この為、2004年の東京ドームで行われた小橋とのシングルではチョップの連打を食らい、また秋山も意地となって耐え続けたため完璧に仕掛けることが出来なかった。なお、名前の由来は小橋の秘密特訓にかけられたものである。
- ジャンピングニー
- 相手に走りこんで飛び膝を相手の首筋に当てる技。これを出すと当時の実況アナ若林健治が「ジャンボ鶴田直伝!」と叫ぶのはお約束と化していた。なお、秋山のこの技は鶴田のそれと比べると「えぐい」角度で決まっている。これは秋山の「STERNNESS(冷徹)」さをよく表しているが、鶴田自身が「秋山君はその方がいい」とアドバイスしたため、現在のような形になったとも言われる。低空式で放ったり、後頭部へも放つことがある。秋山自身も鶴田へのオマージュとして大切にしている技である。
- ブルーサンダー
- 背後から抱えてジャンピングボムの形で落とす技。全日本時代初期のフィニッシュホールドで秋山のイメージカラーから名付けられた。現在は橋誠が「ゴリサンダー」の名前で受け継いでいる。
- ナガタ・ロックII
- 新日本プロレスの永田裕志が得意とする、グラウンド式の腕極め顔面絞め。2001年10月8日の新日本東京ドーム大会において永田とタッグ結成が決定した際、合同公開練習中に永田本人から直接伝授。秋山は代わりに、自らの必殺技エクスプロイダーのコツを永田に教授した。
- ネックアンドアームブリッジ
- 別名橋いじめ、橋殺し。第2代GHC王者時代には、この技でベイダーからギブアップ勝ちを奪い、防衛した実績がある。相手の片腕を取りテコの応用で相手の首を絞り上げる。佐々木健介が使うストラングホールドαと同種のダメージを与える技だが、ネックアンドアームブリッジの場合は技をかけている側は腕ひしぎ逆十字固めのようなあお向け状態である。
- ノーザンライトスープレックスホールド
- 大学の先輩でもある馳浩が開発した変形のフロントスープレックス。串刺しエルボーからのロコモーション式で放つパターンも多い。最近はエクスプロイダーを多用する為、あまり使用しない。
- ドラゴンスクリュー
- 相手の足を捕えて回転し、膝にダメージを与える技。過去にはエプロンから断崖式で放った事も。
- ゴッチ式パイルドライバー
- 全日時代に多用していた技。通常のゴッチ式と違い、相手の顔が自分の方を向いた形(ツームストン・パイルドライバー)で繰り出すのが特徴。
主な獲得タイトル
プロレスリング・ノア
- GHCヘビー級王座(2回/第2代・第9代)
- GHCタッグ王座(2回/第5代・第14代)
- GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)無差別級王座(1回/初代)
全日本プロレス
- 世界タッグ王座(3回/第29代・第36代・第40代)
- アジアタッグ王座(1回/第62代)
- パートナーは大森隆男。
人柄
新人の頃、馬場にシャツの裾が出ている事を注意され、「馬場さん、これは今の流行りなんですよ。」と返答した事がある。全日本において絶対的存在であった馬場に口答えした秋山に対して他の選手は慌てふためいたものの、馬場は大物であると予感したという(ちなみに馬場の教えから、現在もノアの選手の多くがシャツの裾をズボンに入れている)。
鳴り物入りで入団した秋山も、新弟子時代は厳しすぎる練習の日々と先輩からの嫉妬の目で心身ともまいっていた。その時「何かあったら俺が相談に乗るよ」と言ってくれたのが他ならぬ小橋建太である。「人生で一番つらい時期」を助けてくれた小橋との歴史はここから始まる。小橋相手のデビュー戦は「何も出来なかった」と後に述懐しており、完全に小橋に引っ張ってもらった試合であったと語る。数年後、その小橋と「BURNING」を結成し、三沢・小川組の「アンタッチャブル」、川田・田上組の「聖鬼軍」、そして高山・大森組の「ノーフィアー」と激戦を繰り広げ、世界タッグ王者のベルトも巻いた。しかし、2000年2月に下克上を掲げて反旗を翻し、NOAHの旗揚げ戦、有明決戦と経て現在は最大のライバル関係となっている。「小橋が居るからNOAHは最高」や、「僕がNOAHを辞める時は小橋さんが辞める時」、そして三沢光晴を破って初めてGHCを戴冠した時に長期離脱中だった小橋の為に「小橋さんが戻ってくるまで巻いている」等の発言から分かるように秋山は心から小橋を尊敬しており、秋山のプロレス人生には常に小橋建太が存在していた。だからこそ、「小橋対秋山」というカードは二人の人生をも映し出し、プラチナカードとして存在しえるのである。
2度目のGHCを奪取した時もベルトを腰に巻かなかった。理由として「小橋さんに勝つまでは巻かない」と、秋山の中ではたとえベルトを持っていたとしても、最強の人は小橋であることが良く分かる。
最近ではその小橋への愛が行き過ぎているようで、雑誌等のインタビューでは大半が小橋の話題で埋め尽くされ、天然の小橋が何かをする度に鋭い突込みを入れるようになっている。
尊敬する小橋をめぐって、KENTAとは犬猿の仲であり、試合でタッグを組む事は無い上、対抗戦となるとKENTAは、感情を剥き出しにして秋山に攻めかかり、秋山も冷徹非情にKENTAを痛めつける。KENTAは秋山の事を『秋山氏』『白パン』と呼ぶほど両者の溝は大きいが、秋山自身は雑誌インタビューで「丸藤正道とKENTAはどちらが将来性があるか」と尋ねられた際、「身体を張って頑張っているのだから、KENTAの方が将来性がある」と認めており、GHC防衛戦の際も「ジュニアが身体張って頑張っているのだから」と認める発言を最近は繰り返している。
秋山は自身のブログ・秋山社長の徒然日記にて闘病中の小橋建太の経過具合を伝えるレポーターも兼ねている。秋山の弟子でありいじられ役である橋誠や、秋山の娘、先輩である泉田純至らと並んで小橋のエピソードが登場することが非常に多い。
沈着冷静と思われているが、過去に数試合一瞬の油断やスキをつかれ大きな試合を落としている。全日時代の2000年には、チャンピオン・カーニバルのトーナメント第1回戦大森隆男戦で、その1ヶ月前シングルで三沢超えを果たし優勝候補に上げられていたが、入場時を襲われ僅か7秒(ゴングが鳴る前を含めると約30秒)でフォールを奪われるという伝説的敗北を喫している。 2002年4月GHC小川良成戦では、「5分以内に片付ける」と小川を挑発していたが、逆に5分以内に丸め込まれて3カウントを奪れ、GHCを奪取される。GHC丸藤戦でも、秋山はまだ余力は残っていたがスキをつかれ首固めで、丸藤にGHCを奪取されている。 これには「闘う相手によって気合の入れ方が違う」とも言われている。
リング上の厳しい戦いからは想像も出来ないが「買い与えられるものは全て買い与えてやりたい」というほどの子煩悩である。大変な動物好きでもあり、犬1匹と猫5匹を飼っており、どうぶつ奇想天外にも出演したことがある。