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水戸市

水戸市は、茨城県のほぼ中心部に位置する茨城県の県庁所在地。人口は270,685人(2020年 国勢調査、270,783人=2015年国勢調査)、面積は217.43平方km。 市の木は「梅」、市の花は「萩」、市の鳥は「ハクセキレイ」。また、市のマークは、公募によって1933(昭和8)年12月23日に制定された。 2001(平成13)年特例市(その後制度廃止に伴い「施行時特例市」)、2020(令和2)年4月1日中核市。
1889(明治22)年4月1日、市制施行した。日本で最初に市制施行した31市のひとつ。茨城県内では唯一の市だった。 当時の面積は6.17平方km、人口は25591人。 その後1933(昭和8)年3月15日、常磐村、1949(昭和24)年11月3日、吉田村の一部、1952(昭和27)年4月1日、緑岡村、上大野村の一部、 1955(昭和30)年4月1日、上大野村、柳河村、渡里村、吉田村、酒門村、河和田村の一部、1957(昭和32)年飯富村、国田村、 1958(昭和33)年4月1日、赤塚村と、周辺の村々を合併した。さらに平成に入ってからも1992(平成4)年3月3日、東隣の東茨城郡常澄村、2005(平成17)年、西隣の東茨城郡内原町を合併した。 平成に入って合併した常澄村は、1955(昭和30)年3月31日、大場村、稲荷村、下大野村が合併。 同じく内原町は、1955(昭和30)年3月31日、鯉渕村、下中妻村、中妻村が合併し内原村となり、1965(昭和40)年1月1日、町制施行し内原町となった。
江戸時代は徳川御三家の一つ、水戸徳川家の城下町。水府35万石。 水戸黄門で有名なほか、水戸納豆、偕楽園の梅などが知られている。また、家電販売のケーズデンキの本社がある。 旧市街地のうち、台地の部分を上市地区、低地の部分を下市地区という。 つくば市からは、車で高速道路を使うと約30分。
桜川自転車道(水戸市道自転車道1号線)は茨城の自転車道へ。
日本遺産 近世日本の教育遺産群 学ぶ心・礼節の本源
日本遺産の第1号として2015(平成27)年4月24日に認定された18件のうちの一つ。ストーリー番号は1番。
栃木県の足利市、岡山県の備前市、大分県の日田市と共同で構成される。 水戸市内で指定された構成文化財は、旧弘道館、常磐公園(偕楽園)、旧水戸彰考館跡、日新塾跡、大日本史が指定されている。
日本遺産は文化庁の認定する地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーで、 それを語る上で欠かせない有形無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備し、国内だけでなく海外にも発信していこうというもの。
ストーリーでは、我が国においては近代教育制度の導入前から、支配者層だけでなく多くの庶民も読み書き、算術ができ、 礼儀正しさを身につけるなど、高い教育水準だった。 これは、藩校はじめ郷校、私塾など、様々な階層を対象とした、あるいは階層にこだわらない学校の普及によるところが大きく、 明治維新の原動力、そしていち早い近代化に貢献したという。現代に通じる高度な学問・教育水準、 そして礼節を重んじる日本人の国民性を確立したとされる。
弘道館は、水戸藩主・徳川斉昭公が教育によって人心を安定させ、国を興すため設立した国内最大規模の藩校として知られる。 偕楽園は弘道館と対をなすもので、学問の休息の場とされた。水戸黄門で知られる水戸藩主・徳川光圀公の命で始められた 『大日本史』の編纂は彰考館において江戸時代を通じて行われ、完成したのは明治時代になってから。 これが学問好きな地域性を生んだ一因ともされる。このほか、水戸郊外にあった私塾・日新館は個性重視の教育を行い多彩な門人を排出している。
水戸黄門
テレビの影響で、最近では水戸といえば水戸黄門をイメージする人が多いだろう。黄門さまは水戸藩2代藩主・徳川光圀公(1628〜1700年)。 名君として知られ、藩政改革や寺社改革、水戸城下の整備、大日本史を始めとする文化事業などを行った。水戸藩では殉死の禁止、葬儀の簡略化、水道事業などが行われている。 1628(寛永5)年6月10日、水戸徳川家初代藩主、徳川頼房の3男として水戸城下の家臣の屋敷で生まれた。幼少期は、家臣の子として育てられている。 1661(寛文元)年、水戸藩28万石の第2代藩主となる(のち35万石)。1690(元禄3)年、隠居。1691(元禄4)年、西山荘(常陸太田市)に隠棲する。 1700(元禄13)年12月6日、食道がんのため死去。享年73歳(満71歳)。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。墓所は瑞龍山(水戸藩主歴代墓所、常陸太田市瑞竜町)。
日本の体系的な歴史書「大日本史」の編纂を開始(大日本史の命名は光圀公の死後、完成は明治時代になってから)したことで知られている。 編纂は江戸駒込の屋敷で多くの学者を集め始められ、その後、小石川の屋敷に移った。その場所は「彰往考来(しょうおうこうらい)-歴史を明らかにして未来を開く-」から「彰考館(しょうこうかん)」と名づけられている。 その後、水戸城内に「水戸彰考館」が作られている。大日本史の編纂は、のちの水戸学にも大きな影響を与えている。また、水戸黄門漫遊記の助さん(佐々木助三郎)のモデルとされる佐々宗淳(さっさむねきよ)、 同じく格さん(渥美格之進)のモデルとされる安積澹泊(あさかたんぱく)は、いずれも彰考館の総裁を務めた学者でもある。
綱吉公時代には、徳川一族の長老として、幕政にも発言力があったとされる。また、日本で最初にラーメンを食べたり、メリヤス製の靴下を履いたとされる。
なお、水戸黄門は中納言・権中納言に任命された水戸中納言の唐名(中国風呼び名)で、通常は光圀公をさすが、実際には初代の頼房公、9代の斉昭公など7人が黄門さまといえる。
徳川光圀公像 水戸黄門像
千波湖畔に建つ徳川光圀公像(左)、水戸駅北口前にある助さん格さんを従えた水戸黄門像(右)
水戸黄門まつり
水戸市のJR水戸駅前通りなどを主会場に8月第1土、日曜日に開催される。 2019(令和元)年から市民参加型の祭りとして大幅リニューアルされた。 水戸黄門提灯行列や日本最大級の神輿、ふるさと神輿渡御、山車巡行などが行われる。
土曜日は約3000人が踊る水戸黄門カーニバル、地元水戸市特産の水府提灯を使った水戸黄門提灯行列、地元の神輿が参加する神輿連合渡御、 日曜日は子どもみこし渡御、ふるさと神輿渡御、山車巡行と叩き合いなどが行われる。
なお、2018(平成30)年まで金曜日夜に千波湖を会場に開催される花火大会で開幕していたが、リニューアルに伴い、 水戸偕楽園花火大会として独立、7月下旬実施に変更となった=下記参照。
水戸黄門まつり
ふるさと神輿の渡御でにぎわう駅前通り
水戸黄門まつり山車 水戸黄門まつり神輿
黄門まつりで山車の競演(左)、同じく連合渡御での神輿(右)
水戸偕楽園花火大会
水戸黄門まつり水戸偕楽園花火大会。千波湖を打ち上げ場所とし約7000発が打ち上げられる。 以前は水戸黄門まつりの開幕を飾る花火大会として8月第1土日前の金曜日夜に行われていたが、 日程を休日に移動することによる観覧者増などを目的に、 2019(令和元)年から水戸黄門まつりを冠してはいるものの「水戸偕楽園花火大会」として独立した。 日程も水戸黄門まつりより2週間ほど前倒して実施され、7月下旬土曜日の開催となっている。
水戸偕楽園花火大会
筑波山頂から見た水戸偕楽園花火=望遠レンズで撮影
偕楽園
金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本3名園とされる。1842(天保13)年、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭公によって造られた。 弘道館で修行する藩士の休養の場、そして領民と偕(とも)に楽しむ場として「偕楽園」と名づけたという。 面積は約13ha。園内に100種3000本の梅の木がある。毎年春には「梅まつり」を開催、たくさんの人でにぎわう。 多くある梅のなかでも、花の形、香り、色などが特に優れている烈公梅、白難波、月影、江南所無、柳川枝垂、虎の尾の6品種が「水戸の六名木」に指定されいる。 偕楽園は梅が有名だが、桜やつつじ、萩などもあり、四季折々に楽しむことが出来る。表門、御成門、東門、南門がある。また園内には、好文亭、吐玉泉、左近の桜、正岡子規の碑などがある。
好文亭は、木造2層3階建ての本館と木造平屋建ての奥の院からなる。本館3階の楽寿楼から園内や千波湖を一望できる。 吐玉泉は、眼病に効能があるという湧き水。
東門近くの南崖の洞窟(なんがいのどうくつ)は、江戸時代に「神崎岩」(かみさきいわ)と呼ばれる石を採掘した跡。洞窟は約150mの長さがある(入り口は閉鎖されている)。 神崎岩は、好文亭の井戸や吐玉泉の集水暗渠、笠原水道の石樋などに使われている。
1922(大正11)年に常盤公園として史跡、名勝に指定。1999(平成11)年には隣接する千波公園などと合わせて整備を開始、その面積は約300haで、都市公園としてはニューヨークのセントラルパークについで、世界で2番目の広さ。
偕楽園の南側には田鶴鳴(たずなき)梅林、猩々(しょうじょう)梅林、窈窕(ようちょう)梅林などがあり、こちらにも約1000本の梅の木がある。
偕楽園への入園は無料だったが2019(令和元)年11月1日から有料化された。 茨城県民は観梅期間を除き無料、また開園時間から午前9時までは無料。料金は大人300円、小人は150円。 開園時間は午前6時〜午後7時(2月中旬〜9月30日)、午前7時〜午後6時(10月1日〜2月中旬)。 好文亭は観覧料が必要。大人200円、小人100円。好文亭の観覧時間は午前9時〜午後5時(2月中旬〜9月30日)、 午前9時〜午後4時30分(10月1日〜2月中旬)。なお、本園(高台の部分)以外は入園無料。 周辺には普通車約1800台の駐車場がある。通常は無料駐車場が多いが、梅まつり期間中は有料となる場所が多い。
水戸市常磐町1−3。偕楽園の地図
好文亭 偕楽園吐玉泉
好文亭(左)、吐玉泉(右)
偕楽園見晴広場 偕楽園表門
見晴広場(左)、表門(右)
偕楽園梅林
偕楽園の梅林
偕楽園月池 南崖の洞窟
月池(左)、南崖の洞窟(右)
千波湖
水戸の中心市街地の南側、偕楽園の隣接地にひろがる湖。面積は約332000平方m。周囲は約3.1km。 千波公園として整備されている。なお、江戸時代は水戸城の外堀の役割をしていた。
水戸市千波町。千波湖の地図
千波湖 千波湖夜景
千波湖(左)、千波湖の夜景(右)
千波公園
偕楽園の隣接地にある千波湖を中心とした公園。1週約3kmの湖畔園路はウオーキングやジョギングを楽しむ人たちが多い。 湖の南側にさくら広場やせせらぎ広場がある。また貸しボートやレンタサイクルもある。
水戸市千波町3080。千波公園の地図
千波公園ふれあい広場 千波公園公園標
千波公園ふれあい広場(左)、公園標(右)
千波公園カフェ 千波公園鳥
千波公園湖畔のカフェ(左)、湖畔の鳥(右)
千波公園せせらぎ広場 千波公園
千波公園せせらぎ広場(左)、さくら広場奥にある小さな滝(右)
千波公園のデゴイチ
水戸機関区に長く所属し常磐線を貨物車として走っていた蒸気機関車D51(デゴイチ)。 現役引退後、当時の国鉄に要望し貸付が実現、1971(昭和46)年8月18日から現在の場所に展示されている。
展示されている車両は、1941(昭和16)年に当時の埼玉県大宮市(現さいたま市)の国鉄大宮工場で製造されたD51515。 1948(昭和23)年7月に水戸機関区所属。常磐線の石炭輸送で活躍した。 1958(昭和33)年2月に大宮機関区に転出後も大宮−水戸間を走った。1970(昭和45)年11月廃車。 展示後は地元に「デゴイチを守る会」が結成され、清掃や保存活動が行われている。
展示50年を記念して2021(令和3)年12月、ライトアップが行われた。水戸商工会議所青年部の企画。 デゴイチのライトアップに加え周囲はLEDを使ったイルミネーションで飾られた。
千波公園D51 千波公園D51ライトアップ
千波公園、湖畔の駐車場に展示されているSL、D51(左)、ライトアップされた千波公園のD51(右)
水戸の梅まつり
梅まつりは、毎年2月20日から3月31日まで、偕楽園を主会場に開催される。 第1回の「観梅デー」が開催されたのは1896(明治29)年で、100年以上の歴史を持つ伝統の祭り。
野点茶会をはじめとするさまざまなイベントが行われる。1963(昭和38)年からは、会場を案内役などを務める 「水戸の梅むすめ」が選ばれている。 2001(平成13)年からは、男性も応募できるようになり、名称も「水戸の梅大使」になっている。
祭り期間中、隣接する常磐神社を含め、夜の梅を楽しもうと、一夜限りの「夜梅祭」(よるうめまつり)が開催される。 ろうそくによるライトアップや能楽堂のステージ、さらに花火が打ち上げられる。
なお、梅まつりの時期だけJR常磐線の臨時駅「偕楽園駅」が運営される(下記参照)。 これは観光客の利便性の向上のため水戸駅と赤塚駅の間に設けられている。駅を降りるとすぐ偕楽園だが、下り線しかホームがない。
梅まつり
梅の開花時期の梅林。紅梅白梅が並ぶ
水戸の萩まつり
萩まつりは、毎年9月1日から9月20日まで、偕楽園を会場に開催される。 萩まつり期間中は開園時間が午後9時まで延長となり、好文亭ほか園内がライトアップされる。
偕楽園の萩は、1842(天保13)年、第9代水戸藩主徳川斉昭公が仙台藩から譲り受け、 偕楽園開設時には園内に植えられていた歴史を持つ。宮城野萩を中心に白萩、山萩、丸葉萩など約750株ある。
萩まつりは、昼間はもちろんのこと、秋の風情が強く感じられる夜のライトアップが人気。 2017(平成29)年は、開催50回記念イベントとして「萩ノ夜祭」を第1と第2土曜日に開催。 通常のライトアップに加え、プロジェクションマッピングなどの試みも行われた。
萩まつりライトアップ
ライトアップされた園内
水戸のつつじまつり
つつじまつりは、毎年4月下旬から5月上旬にかけて偕楽園などを会場に開催される。 偕楽園には、霧島つつじやどうだんつつじなど約380株、水戸市森林公園にはやまつつじやくるめつつじなど約10200株植えられている。 期間中偕楽園ではライトアップも行われる。
つつじまつり
偕楽園の好文亭とつつじ
左近の桜 偕楽園
皇室から贈られた桜で、京都御所の左近の桜の系統。弘道館と偕楽園にあったが、 偕楽園の左近の桜は、2019(令和元)年9月8日深夜から9日未明にかけての台風15号による強風で根元から倒れ撤去された。 見晴広場にあって樹齢63年、幹回り約3.8m、樹高は約16mあった。現在は弘道館=下記参照=にその時一緒に植えられた桜が残る。 また、偕楽園では2023(令和5)年3月、新たな苗木が植樹された。
2021(令和3)年10月26日、茨城県は偕楽園の左近の桜復活を目指し、 宮内庁から「左近の桜」の後継苗木提供を受け植え替えると発表。 苗木は、2021(令和3)年3月に宮内庁から譲り受けている。樹高約170cmという。
育成管理費の一部、経費約3000万円のうち約2500万円を一般からの寄付で賄うとし、 2021(令和3)年11月1日募集を開始した。当初、1年ほどの募集期間を予定していたが、目標額に届いたため2022(令和4)年 1月で募集を停止した。寄付総額は30568500円で、個人149件、企業団体37件だった。
また100万円以上の寄付者、先着20者に、倒木した左近の桜で作った木製の感謝状を贈呈するとしていたが、 個人7、企業団体15の合わせて22者からあり、2022(令和4)年3月24日、感謝状贈呈式が県庁で行われた。
2023(令和5)年3月16日、秋篠宮家の次女、佳子さまを迎え「左近の桜植樹式」を行った。 式では佳子さまが新たな苗木のお手植えをされた。
左近の桜偕楽園
偕楽園にあった左近の桜
偕楽園新左近の桜 偕楽園新左近の桜開花
植樹された偕楽園左近の桜(左)、同じく開花した偕楽園左近の桜(右)
偕楽園の桜
偕楽園は梅で有名だが、多くの桜があることで知られる。
偕楽園桜南崖
偕楽園南側崖の桜
偕楽園桜好文亭前 偕楽園桜桜山入口
偕楽園、好文亭前にある桜(左)、桜山入口近くの桜(右)
偕楽園もみじ谷
偕楽園公園の最も西、茨城県護国神社の桜山の西側にある。その名の通り谷間に約170本のもみじがある。 11月初旬から11月下旬にかけて楽しめる。紅葉時期に合わせてライトアップ(日没から午後9時まで)も実施される。 このほか偕楽園では西門及び七曲坂周辺の紅葉も美しい。
偕楽園もみじ谷
紅葉の偕楽園もみじ谷
桜山の桜
茨城県護国神社のある山は桜山と呼ばれ昔から桜の名所として知られる。 桜の時期には多くの屋台が出るほか、桜の下には臨時の宴会施設も設けられる。
桜山桜
桜山の桜
千波湖畔の桜
千波湖の約3kmある周囲にほぼ途切れることなくある桜並木。桜の時期には、南岸でライトアップも行われる。
千波湖桜
千波湖畔北側の桜
千波湖桜東
千波湖畔東側の桜
千波湖桜夜
ライトアップされた千波湖畔の桜
千波湖畔の銀杏
桜のように全体ではないが、それでも秋には銀杏の紅葉がアクセントを加える。
千波湖畔銀杏
千波湖畔の銀杏
桜川堤の桜
桜川の美都里橋と駅南小橋の間の両岸、及び駅南小橋と柳堤橋間の左岸の一部に植えられている桜並木。 堤防上が遊歩道になっており散策が楽しめる。
桜川堤桜
桜川堤の桜(美都里橋近く左岸)
千波公園西の谷の紅葉
千波公園の位置的には北東方向、線路を越えて北側にある。多くの樹木が紅潮する。
西の谷紅葉
西の谷の紅葉
西の谷紅葉 西の谷紅葉銀杏
西の谷の紅葉(左)、同じく銀杏の紅葉(右)
弘道館
水戸藩の藩校。9代藩主斉昭公によって作られた。1838(天保9)年に斉昭公の藩校設立構想が「弘道館記」で明らかにされたが、 仮開館されたのはそれから3年後の1841(天保12)年。 正式に開館したのはそれから17年を経た1857(安政4)年。当時の建物は、正庁、文館、武館、医学館に分かれていた。 尊王(皇)論で知られる水戸学(後期)の拠点として、あるいは数学、医学、天文など、自然科学などについての研究も行われた。 入門を許されたのは士分の師弟のみ。10歳で素読を、15歳になると午前中は学問、午後は武術を学んだという。 現在、白壁に囲まれた敷地内には正庁、至善堂がある。正門を加えた3つの建物は国の重要文化財に指定されている。周辺一帯は国の史跡に指定されている。 正庁は、間口22m、奥行18m、西面が寄せ棟造り、南と北面それに玄関が入母屋造り、平屋建て、瓦葺。1841(天保12)年の建築。 玄関正面には斉昭公自筆による「弘道館」の額が残っている。 至善堂は、正庁の右奥にあり、入母屋造り、平屋建て、瓦葺。正庁と同じく1841(天保12)年の建築。主に歴代藩主の休憩所として使用されていた。 15代将軍慶喜公が大政奉還後、この堂の一室に謹慎していた。当時の資料も多く残っている。 正門は、水戸城跡大手橋のすぐ前にある。切妻造、瓦葺、四脚門。 現在弘道館周辺は、弘道館公園として整備されている。
入館料は大人400円、
水戸市三の丸1−6。弘道館の地図
弘道館
弘道館正庁
弘道館玄関 弘道館正門
弘道館玄関(左)、同じく正門(右)
左近の桜 弘道館
皇室から贈られた桜で京都御所の左近の桜の系統になる。弘道館と偕楽園にあったが、 偕楽園の左近の桜は倒木している=上記参照。現在の左近の桜は3代目。1963(昭和38)年、 茨城県が宮内庁から京都御所の左近の桜の系統(樹齢7年)を譲り受け移植したもの。
1831(天保2)年、徳川斉昭公の夫人、登美宮(とみのみや)吉子女王が降嫁の際、仁考天皇から賜ったという 京都御所紫宸殿の左近の桜のひこばえといわれている。 最初に江戸・小石川の水戸徳川家上屋敷、その後1841(天保12)年弘道館落成に伴い正庁玄関前に移植された。 その後初代、さらに2代目は枯死してしまい、現在の桜は、1963(昭和38)年、弘道館の改修工事完成を記念し、 茨城県が宮内庁から京都御所の左近の桜の系統(樹齢7年)を譲り受け移植したもの。正庁玄関前にある。
弘道館左近の桜
弘道館正庁玄関前にある左近の桜
弘道館の桜
弘道館には左近の桜以外にも桜がある。
弘道館桜
弘道館の桜
弘道館公園の桜
弘道館公園にある桜。
水戸市三の丸1−6。弘道館公園の地図
弘道館公園桜
弘道館公園の桜
弘道館公園桜北 弘道館公園桜東
弘道館公園、三の丸庁舎東側(左)、同じく北側(右)
水戸城址
水戸城は、江戸時代、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家35万石の居城。その歴史的価値から日本100名城にも選ばれている。 JR水戸駅北口前周辺に土塁や空堀、薬医門が残されている。本丸は現在の茨城県立水戸第一高等学校、 二の丸が同じく茨城県立水戸第三高等学校と茨城大学附属小学校及び幼稚園、三の丸が水戸藩校弘道館、茨城県庁三の丸庁舎、茨城県立図書館のある場所。
鎌倉時代の建久年間(1190〜1199年)、常陸大掾の馬場資幹(ばばすけとも)によって築かれた。 以降、馬場氏が9代約240年間に渡って下の丸(現在の水戸一高運動場付近)に居館を構えて治めた。 1416(応永23)年、江戸通房(えどみちふさ)が馬場氏の留守に攻め、水戸城を奪い、その後7代約165年に渡って江戸氏が治める。 当時は内城、宿城、浄光寺の3つの曲輪だった。 その江戸氏も、1590(天正18)年、太田城の佐竹義宣に攻められ落城、佐竹氏は常陸一国54万石の戦国大名として、 太田から水戸城に本拠を移すが、わずか13年で出羽(秋田県)に改易となる。この間、内城を古実城(こみじょう)として本丸化、宿城を二の丸するなど 曲輪を整え、さらに東側にあった城の出入口を西側に移し橋詰門を建て、二の丸には大手門を造っている。
その後、1602(慶長7)年、徳川家康の5男、武田信吉が入るが早世、 翌1603(慶長8)年、家康の10男、のちの紀州藩主、頼宣が20万石で入る。 さらに1609(慶長14)年、家康の11男、頼房が25万石(のちに35万石)で入った。徳川氏は江戸時代、約260年に渡って治めることになる。
江戸時代の水戸城は、本丸に兵器蔵があり、二の丸に三階櫓があり、実質的に本丸の役割を果たしていた。三の丸には、斉昭公の時代に弘道館が建てられた。 薬医門は、佐竹氏の時代に建築されたと考えられており、安土桃山時代の建築様式を伝えている。茨城県指定文化財。本丸の橋詰門と推定されている。 なお、三階櫓は、1945(昭和20)年の水戸空襲で焼けた。
水戸市三の丸。水戸城空堀の地図
水戸城空堀
三の丸の空堀
旧水戸城薬医門
旧水戸城の現存する唯一の建造物。桁行3間、梁間1間、屋根は切妻造、箱棟付単層薬医門。 建立時期は、形式から佐竹氏の時代、安土桃山時代末期と見られている。
城門があった位置は諸説あるが、城門の風格から橋詰門で、城の表門と見られる。 1970(昭和45)年4月17日、水戸市指定文化財、1983(昭和58)年3月18日、茨城県指定文化財。 1887(明治20)年頃と1944(昭和19)年の2回、水戸市内で移築され、長らく城外にあったが、 1981(昭和56)年9月、本丸跡、現在の茨城県立水戸第一高等学校の敷地内に移築、復元された。 この際、部分補修が行われるとともに、茅葺だった屋根を銅板葺きに変更した。
水戸市三の丸3−10−1。旧水戸城薬医門の地図
旧水戸城薬医門
旧水戸城薬医門
旧水戸城大手門
大手門は、水戸城の正門で、最も格式の高い門。佐竹氏の時代、1601(慶長6)年頃に建てられたのが最初。 その後何度か建て替えられたが、江戸時代初期の様式の残し、土塁に取り付く城門としては国内でも最大規模とされる。 明治期に入り解体されたという。
2009(平成21)年、坂東市の万蔵院から水戸城の城門と伝わる扉が水戸市に寄贈された。これをきっかけに大手門復元の機運が高まり 大手門のあった水戸市三の丸の住民有志が復元のための募金活動を開始。水戸市も発掘調査などに乗り出し、4隅に大型の瓦塀が確認されたほか、 大量の瓦などが出土した。
復元工事は2017(平成29)年6月に始まった。2018(平成30)年11月に上棟、2020(令和2)年2月4日、完成式典が行われた。 完成した門の構造は木造2階建て、建築高は13.34m、建築面積158.28平方m、延床面積118.79平方m、 桁行17.18m、梁間5.73m。古写真などに残る大手門は天保年間(1831〜45年)に建て替えられたものと考えられ、 建て替え以前、天保期まであった大手門を復元した。
水戸市三の丸。旧水戸城大手門の地図
旧水戸城大手門
旧水戸城大手門
旧水戸城二の丸角櫓
二の丸角櫓は、その名の通り水戸城二の丸南西の角に位置していた。櫓は2階建ての角櫓とそこから北側に接続される北多聞櫓、 及び東側に接続する東多聞櫓からなり、上から見るとL字型に見える。江戸時代前期に建てられ、1776(安永5)年に一度焼失し、 その後再建され明治維新を迎えたが、明治から大正期に解体されたと推定されている。
復元工事は、2017(平成29)年6月に着工、2018(平成30)年11月に上棟、2021(令和3)年6月26日完成した。 大手門同様、これまでの発掘調査や資料調査をふまえ、天保期の姿で当時と同じ場所復元された。
なお発掘調査で江戸時代の角櫓の跡から、明治時代以降に動かされ、本来の位置が分からなくなった礎石7個が見つかった。 いずれも花崗岩製で、転石(河原などに転がっている石)を利用したものと考えられている。自然の石ながら柱をのせやすいよう 平らに成形されている。4個は復元された角櫓の礎石に利用、残り3個が櫓前に展示されている。
櫓内は水戸城に関する資料が展示されている。開場時間は午前9時30分から午後4時。入場料は無料。 定休日は年末年始(12月29日〜1月3日)。
水戸市三の丸。旧水戸城二の丸角櫓の地図
旧水戸城二の丸角櫓 旧水戸城二の丸角櫓礎石
旧水戸城二の丸角櫓(左)、旧水戸城二の丸角櫓の礎石(右)
旧水戸城杉山門
二の丸の北口に位置。門の規模は4間1尺で、門の内側には土塁で枡形がつくられていた。 現在の門は、モニュメント的に2015(平成27)年に建てられた。
水戸市三の丸。旧水戸城杉山門の地図
旧水戸城杉山門
旧水戸城杉山門
旧水戸城柵町坂下門
二の丸の南口に位置。門をくぐり坂を上ると二の丸に入る柵町門があった。 門は高麗門様式で、2本の本柱とその後ろにそれぞれの控柱を持つ。本柱と控柱の間にも屋根をのせるのが特徴。 坂下門と柵町門の間に「下乗札」、坂下門の外に「下馬札」が立てられていた。現在の門は最近復元されたもの。
水戸市三の丸。旧水戸城坂下門の地図
旧水戸城坂下門
旧水戸城柵町坂下門
水戸城跡の大椎
水戸城の二の丸にある2株の大シイ。戦国時代から自生していたと伝わり樹齢は約400年と推定されている。水戸市指定天然記念物。 1株は根回り4.1m、目通り3.3m、樹高18.6m、もう1株は根回り6.8m、目通り4.3m、樹高20m、いずれもスダジイ。 水戸市立第二中学校の敷地にある。
水戸市三の丸。水戸城跡の大椎の地図
水戸城跡大椎
水戸城跡の大椎
見晴台
二中見晴台。水戸城から北側を見渡せる。 特に那珂川を一望できる景観が特徴。 見晴台への道にある門の開門時間は午前9時から午後4時30分。入口から見晴台まで約100m。
水戸市三の丸。見晴台の地図
見晴台眺望
那珂川を一望する見晴台からの眺望
見晴台 見晴台入口
見晴台(左)、水戸学の道にある見晴台入口の門(右)
杉山坂
1625(寛永2)年、初代藩主徳川頼房が水戸城大改修を行った際、整備された坂。藩主の御殿があった二の丸に通じる重要な坂で 坂の中ほどに「やらい門」、坂を上った先に「杉山」門があった。やらい門と杉山門の間には、駕籠などから降りて入門することを指示する 「下乗札(げじょうふだ)」と馬から降りて入門することを指示する「下馬札(げばふだ)」があった。 またやらい門の脇には桜があり下馬桜と呼ばれていたという。
水戸市三の丸。杉山坂の地図
杉山坂
杉山坂
水戸城址二の丸展示館
水戸城の二の丸跡、旧水戸彰考館跡にある展示館。 日本遺産「近世日本の教育遺産群・学ぶ心・礼節の本源」に関する資料及び水戸城に関する展示がある。
開館時間は午前9時から午後4時30分。入館料は無料。 定休日は年末年始(12月29日〜1月3日)及び水戸二中の行事による振替休業日。
水戸市三の丸2−9−22。水戸城址二の丸展示館の地図
水戸城址二の丸展示館
水戸城址二の丸展示館
水戸学の道
水戸学は徳川光圀公の「大日本史」編纂が始まりとされる。天皇を中心にした「尊王攘夷」思想が中心で、 明治維新や日本の近代化で大きな役割を果たしたとされる。
水戸学の道は、それらの時代を思いながら散策する道で、水戸駅を起終点に二の丸跡の白壁の道をはじめ、 大手門や弘道館などが見られるようになっている。
水戸市三の丸。水戸学の道の地図
水戸学の道
水戸学の道
水戸学の道の桜
水戸学の道の両側、多くの桜が咲く。
水戸学の道二中前 水戸学の道水戸二中前グラウンド
水戸学の道、水戸市立第二中学校前(左)、同じくグラウンド前(右)
水戸学の道茨大附属小学校 水戸学の道水戸三高
水戸学の道、茨城大学教育学部附属小学校前(左)、同じく茨城県立水戸第三高等学校前(右)
水戸彰考館跡
水戸城の二の丸にあった。彰考館は、水戸徳川家2代藩主徳川光圀公が始めた「大日本史」の編纂所。 大日本史は1657(明暦3)年に江戸の字石川藩邸で編纂が始まった。 1672(寛文12)年に編纂所を彰考館と名付けた。彰考とは「歴史をはっきりさせて、これからの人の歩む道を考える」という。 1698(元禄11)年に水戸城内にも置かれた。1871(明治4)年の廃藩置県まで、173年間あった。 その後、大日本史編纂は水戸徳川家の事業として継続され、彰考館は偕楽園南隅に移転、大日本史は1906(明治39)年に完成した。 現在、水戸城二の丸跡の水戸学の道沿いに水戸彰考館跡の碑及び大日本史編纂之地碑
水戸市三の丸2−6−8。水戸彰考館跡の地図
水戸彰考館跡
水戸学の道沿いにある水戸彰考館跡の碑及び大日本史編纂之地碑
茨城師範学校跡
茨城師範学校は、1874(明治7)年、小学校教員養成のため水戸市柵町に拡充師範学校が創立されたことに始まる。 その後水戸市滝亀町(現在の金町付近)に移転、1888(明治21)年に水戸城二の丸跡に移った。 1898(明治31)年茨城県師範学校、さらに茨城師範学校に改称した。戦前の県内の初等教育の発展に大きく貢献している。 戦後は、学制改革で発足した茨城大学教育学部に包括された。 現在、水戸城二の丸跡の水戸学の道沿いに茨城師範学校跡碑が建つ。
水戸市三の丸2−6。茨城師範学校跡の地図
茨城師範学校跡
水戸学の道沿いにある茨城師範学校跡碑
茨城県庁
県庁舎棟、県議会棟、県警本部棟からなる。県庁舎棟は、地上25階、地下2階、高さ116mで、茨城県内で最も高いビル。 最上階の25階は、展望フロアがある。展望フロアの利用時間は、平日は、午前9時30分から午後8時まで(毎週水曜日及び第2・第4金曜日は午後6時45分まで)、 土曜日・日曜日・祝祭日は、午前10時から午後8時まで。 無料。隠れた人気スポットとなっている。また、平日であれば庁舎内の食堂も利用できる。
水戸市笠原町978−6。茨城県庁の地図
県庁舎
県庁舎
県議会棟 県警本部
茨城県議会議事堂(左)、茨城県警察本部庁舎(右)
県庁舎正面
県庁舎正面入口から
県庁の桜
県庁の庁舎周囲にある桜。
県庁桜
県庁の桜
茨城県庁三の丸庁舎
1930(昭和5)年に建設された旧茨城県庁。現在は茨城県庁三の丸庁舎として、茨城県水戸生涯学習センターや茨城県観光物産協会などが入る。 また、映画やテレビドラマのロケーションで使われている。 1999(平成11)年、水戸市笠原町の新県庁に移転するまで、戦前戦後を通じて茨城県の行政の中心だった。
近世ゴシック建築。鉄筋コンクリート地下1階、地上3階建て、中央部に塔がある。1959(昭和29)年に4階部分が増築された。 2012(平成24)年12月、東日本大震災による復興を目的に行われていた耐震及び復元工事が完了。4階部分が撤去され建築当時の3階建てとなった レンガ張りの重厚な外観と、正面から見るとシンメトリーが印象的な建物。周辺は、春は梅と桜、秋は銀杏の名所として知られ、ライトアップなどが行われている。
水戸市三の丸1−5−38。茨城県庁三の丸庁舎の地図
三の丸庁舎
三の丸庁舎
茨城県庁三の丸庁舎の桜
県庁三の丸庁舎の西側、水戸城の空堀跡にあった桜。 2019年、樹勢の衰えにより倒木等の恐れがあったため伐採。
三の丸庁舎桜
県庁三の丸庁舎の桜
茨城県庁三の丸庁舎の銀杏
県庁三の丸庁舎の西側、水戸城の空堀跡にある銀杏。桜が堀の外側にあり、銀杏は内側にある。
三の丸庁舎銀杏
県庁三の丸庁舎の銀杏
納豆
もともと付近の農家では、自家製造していたが、明治期、鉄道の開通に伴い、土産品として売リ出したのがきっかけで、水戸といえば納豆といわれるほど有名になった。 「天狗納豆」「水戸納豆」「水戸天狗納豆」「だるま納豆」などのブランドがある。高齢者には懐かしい藁で包まれた納豆がお土産として人気。
3月10日の「水戸の日」前後には、納豆早食い世界大会が行われている。さらに7月10日の「納豆の日」には、市内で納豆に関するイベントが行われている。
納豆碑
水戸駅南口前にある水戸の納豆記念碑
水戸藩ラーメン
光圀公が、大日本史編纂のため、中国から招いた儒学者・朱舜水から中国麺の製法を教わり、小麦粉とレンコンの粉を混ぜて麺を作って食べた。 この麺が、日本初のラーメンという。当時のレシピを出来るだけ再現し、なおかつ現在でも食しやすいように作ったのが水戸藩ラーメン。 黄門様の食べたいにしえのラーメンが味わえると好評。
市内のラーメン店7店で食べられるほか、通信販売やお土産としても人気がある。
水戸芸術館
市制施行100周年を記念し、芸術による中心市街地の活性化を目的に、当時の佐川一信市長が発案し、芸術活動に市予算の1%を使うという日本初の制度を盛り込み、移転した市立小学校の跡地に建設した。
建物は地上4階、地下2階。コンサートホールATM、ACM劇場、現代美術ギャラリーから成る。また、会議場、レストランヴェールブランジェ、コーヒーラウンジ、ミュージアムショップコントルポアンが併設されている。 屋外には芝生広場とチタンで作られた高さ100mのタワーがそびえる。設計はつくばセンタービルなどを設計した建築家の磯崎新。初代館長は音楽評論家、翻訳家として知られる吉田秀和。1990(平成2)年開館。
美術・音楽・演劇の各部門には開館前から「芸術監督」が任命され、芸術監督のアドバイスを受けながらハードを作る手法がとられた。 また、開館と同時に水戸芸術館専属楽団、水戸室内管弦楽団が発足。世界的に著名な指揮者、小沢征爾を音楽顧問に迎え、メンバーにはソリストやオーケストラの首席奏者など世界的な音楽家を揃えた。 年に4回、定期演奏会を行っている。
開館時間は午前9時30分〜午後6時。月曜日休館。展望塔の86.4mの高さにある展望塔は、入場料200円が必要。営業時間は午前9時30分〜午後6時(土日祝日は午後7時)まで。 ミュージアムショップは午前10時30分〜午後6時30分まで。レストランは午前11時30分〜午後3時、午後5時から午後10時まで。コーヒーラウンジは午前10時〜午後6時まで。
水戸市五軒町1−6−8。水戸芸術館の地図
芸術館
水戸芸術館
水戸八幡宮
祭神は、誉田別尊、息長足日売尊、姫大神の三柱。 常陸国水府総鎮守として崇敬されている。戌亥歳生まれの守護神として知られる。 康平年間(1058〜65年)、京都・石清水八幡宮の分霊を勧請した。現在の常陸太田市にあって、大田郷の鎮守とされていたが、佐竹氏の水戸進出とともに現在の水戸市内に遷座した。 その後一時期、那珂西村(現在の城里町)に移転するが、江戸時代の1708(宝永5)年、、水戸藩主3代、徳川綱條公が現在地に移したという。 本殿は国の重要文化財に指定されている。安土桃山時代、佐竹義宣公の建立。 御神木の御葉付銀杏(おはつきいちょう)は国の天然記念物に指定されている(下記参照)。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。
御朱印、オリジナル御朱印帳有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市八幡町8−54。水戸八幡宮の地図
水戸八幡宮本殿
水戸八幡宮本殿
水戸八幡宮拝殿 水戸八幡宮鳥居
水戸八幡宮拝殿(左)、鳥居(右)
八幡宮御朱印 八幡宮天満宮御朱印 八幡宮御朱印帳表 八幡宮御朱印帳裏
水戸八幡宮の御朱印(左)境内社天満天神宮の御朱印(中左)、水戸八幡宮オリジナル御朱印帳表紙(中右)、同じく裏表紙(右)
水戸八幡宮湯清め神事
水戸八幡宮で毎年1月4日午後2時から行われる神事。大釜に湯を沸かし、その熱湯で邪気を祓うとされる。およそ420年の伝統があるという。
神事は、本殿脇に大釜が設置され、そこに「若水」が入れられ薪で湯を沸かす。この湯は「御神湯(ごしんとう)」とされ、無病息災に御利益があるといい、 大釜から汲まれた「御神湯」は神職が榊葉を使って参拝者に振りかける。このお祓いを受けると1年間健康に過ごせるという。 神事が終わるとこの「御神湯」は参加者に分け与えられる。また会場では、弓の「引き始めの儀」も行われる。
水戸八幡宮湯清め神事 水戸八幡宮湯清め神事湯
神事で榊葉を使って「御神湯」を振りかける(左)、大釜から湯「御神湯」を汲む(右)
水戸八幡宮はねつき神事・破魔弓神事
水戸八幡宮で毎年成人の日午前11時30分から行われる神事。年占羽根突きは全国でも珍しいといい、1年間の除災招福を願って行われる。
神事では神職によって矢が放たれ邪気祓いが行われる。その後女性神職と巫女がはねつきを繰り返し稲の豊凶を占う。 豊凶はその場で「稲作全般に良」などと発表される。水戸の梅大使や新成人によるはねつきの奉納はじめ、古式礼射、抜刀術の奉納がある。
水戸八幡宮はねつき神事
本殿脇で行われるはねつき神事
水戸八幡宮例大祭
水戸八幡宮で毎年4月15日に開催される。15日は神事の後、八角神輿の渡御がある。 途中、渡里の八幡河原へ神幸する「つばな引き」の神事が行われる。これは水戸の現在地に再遷座する際、 那珂川を下り、八幡河原に上陸し遷宮式が行われた故事に習うもの。また15日前後の休日には八鳳會による 神輿渡御が氏子地域で行われる。御旅所では神楽の奉納もある。また、日程よっては両神輿が同日に渡御することもある。
水戸八幡宮八角神輿
水戸八幡宮例大祭で八角神輿の渡御
水戸八幡宮八鳳會神輿 水戸八幡宮神楽
街中を渡御する八鳳會神輿(左)、御旅所での神楽の奉納(右)
水戸八幡宮神輿桜宮入
桜が咲く中での八鳳會神輿宮入
水戸八幡宮の御葉付銀杏
白幡山八幡宮の御葉付銀杏。御葉付公孫樹。水戸八幡宮の向かって左側にある御神木。推定樹齢800年とされ、国指定天然記念物。 幹回り約9m、樹高約42m。乳根が多く垂れ下がり風格ある姿をしている。 八幡宮が建立されている場所は、それ以前(1707年以前)に寺院があったが、その時すでに大木だったという。 言い伝えでは遣唐使が中国から持ち帰った5本の1つとされる。 例年11月中旬から下旬が見頃。
水戸八幡宮御葉付銀杏
水戸八幡宮の御葉付銀杏。手前の左近の桜。境内は紅葉のこの時期、菊で華やかに飾られている
水戸八幡宮の右近の桜
水戸八幡宮の拝殿、向かって左側にある桜。水戸藩9代藩主徳川斉昭公の御手植えとされる。
水戸八幡宮右近桜
水戸八幡宮右近の桜
水戸八幡宮の左近の桜
水戸八幡宮の拝殿、向かって右側にある桜。右近の桜同様、水戸藩9代藩主徳川斉昭公の御手植えとされる。右近の桜が散り始めるころ咲く。
水戸八幡宮左近桜
水戸八幡宮左近の桜
水戸八幡宮の桜
水戸八幡宮の境内には、右近の桜、左近の桜のほかにも多くの桜がある。
水戸八幡宮桜
水戸八幡宮の桜
水戸八幡宮の紫陽花
水戸八幡宮の境内には、約50種、およそ5000株の紫陽花がある。
水戸八幡宮紫陽花
水戸八幡宮門右手にある紫陽花
水戸東照宮
正式名称は東照宮。水戸藩の藩祖である徳川頼房公が1621(元和7)年、父の徳川家康公を祀るために景勝地の霊松山に創建。 1699(元禄12)年、2代藩主徳川光圀公によって霊松山は常葉山と改められた。
水戸徳川家の崇敬社として栄えた。1936(昭和11)年には徳川頼房公が配祀されている。 1945(昭和20)年の戦災で焼けた旧社殿は、旧国宝に指定されていた。 現在の社殿は、1962(昭和37)年の再建。鎌倉時代の刀工則包(のりかね)作の太刀は、家康公の所有で頼房公から東照宮に奉納 されたと伝えられる。国指定重要文化財。大神輿は、1636(正保3)年、頼房公の奉納。2015(平成27)年には50年ぶりの大修理が行われた。 境内の銅造燈籠は、家康公の33回忌にあたる1651(慶安3)年に頼房公により奉納された。青銅製で全高は2m90cm。水戸市指定文化財。 安神車は、水戸藩9代藩主徳川斉昭公が考案した戦車で、日本最古の鉄製戦車とされる。水戸市指定文化財。
2021(令和3)年、創建400年を迎え同年4月17日に「鎮座四百年記念大祭」。 同じく同年11月14日に「鎮座四百年記念水戸藩祭禮行列」が行われた=下記参照。
茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市宮町2−5−13。東照宮の地図
東照宮 東照宮御朱印
水戸東照宮(左)、御朱印(右)
水戸東照宮鎮座四百年記念水戸藩祭禮行列
水戸藩祭禮行列は、水戸東照宮創建400年を記念し、2021(令和3)年11月14日、 約300人が参加して約100ぶりに行われた。本来は5月1日に予定されていたがコロナ禍のため秋に延期されていた。
水戸市三の丸地区の水戸城大手門復元、二の丸角櫓など歴史的景観整備事業の完成に合わせ 「古(いにしえ)の水戸城址復興記念事業」の一環として行われた。前日の11月13日には水戸城大手門ライブも行われている。
水戸藩祭禮行列は、鉄砲隊や騎馬隊など武家の武者行列が主体。水戸の梅大使も華を添えた。 水戸徳川家初代藩主徳川頼房公奉納の大神輿、東照宮の山車も参加した。 午前10時30分、茨城県県立水戸第1高等学校の薬医門をスタート。水戸学の道、水戸城大手門などを通り 県庁三の丸庁舎広場に。休憩後、午後2時に同広場を出発、国道50号から水戸東照宮に入った。 県庁三の丸庁舎広場では記念イベントも行われた。
祭禮行列神輿 祭禮行列山車
徳川頼房公奉納の大神輿(左)、東照宮の山車(右)
祭禮行列鉄砲隊 祭禮行列雅楽
祭禮行列での鉄砲隊(左)、同じく雅楽(右)
祭禮行列騎馬隊 祭禮行列人力車
祭禮行列での騎馬隊(左)、同じく人力車隊(右)
常磐神社 ときわじんじゃ
徳川光圀公(高譲味道根命=たかゆずるうましみちねのみこと)、徳川斉昭公(押健男國御楯命=おしたけおくにのみたてのみこと)を祀る。 1873(明治6)年、明治天皇の勅旨により「常磐神社」の神号を賜り。翌1874(明治7)年現在地に建立された。 光圀公が大日本史の編纂を始め、斉昭公は藩校の弘道館を開くなど、祭神の両公が学問を好んだことから、学業成就、合格祈願に霊験ありとされる。 また、テレビの光圀公の諸国漫遊の影響から、交通安全、旅行安全などでも信仰を集める。さらに初宮参り、七五三、厄除けの参拝者も多い。 水戸黄門にあやかって作られた三つ葉葵の「印籠お守り」が人気。1883(明治16)年、別格官弊社。現在の社殿は1958(昭和33)年の再建。
境内には摂社の東湖神社、末社の三木神社、光圀公と斉昭公のゆかりの品などを展示した義烈館などがある。
東湖神社は、斉昭公に使えた藤田東湖を祀った神社。東湖は、斉昭公を助け、藩政改革や兵器軍艦製造などに当たったという。 また水戸学の大家として知られ、薩摩の西郷隆盛らからも尊敬されていたといい、幕末の尊王の志士たちに大きな影響を与えたとされる。 神社は1943(昭和18)年、水戸市の皇紀2600年記念事業で創建された。合格祈願、学業成就、事業繁栄に御利益がある。
三木神社は、幼少時の光圀公の育ての親である水戸藩家老の三木之次とその妻、武佐を祀った神社。安産、子授け、子育て、家庭円満に御利益があるという。 なお、三木之次の子孫で、元水戸藩士の三木啓次郎は、桜田門外の変で自刃した水戸浪士の霊を慰めるため、大阪の四天王寺を訪れた。 この時、経済的に困窮していた松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助を知り、水戸の田畑を抵当に援助したという。 のちに成功した松下は、その恩義に応え松下電器がテレビ番組の「水戸黄門」のスポンサーとなったほか、三木神社建立に際しても多くの寄進をしたという。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。
常磐神社及び摂社の東湖神社の御朱印、オリジナル御朱印帳有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市常磐町1−3−1。常磐神社の地図
常磐神社
常磐神社社殿
常磐神社本殿 常磐神社鳥居
本殿(左)、偕楽園臨時駅前から神社参道(右)
常磐神社東湖神社 常磐神社三木神社
摂社東湖神社(左)、末社三木神社(右)
常磐神社御朱印 東湖神社御朱印
常磐神社御朱印(左)、摂社東湖神社御朱印(右)
常磐神社御朱印帳表紙 常磐神社御朱印帳裏表紙 常磐神社御朱印帳表紙 常磐神社御朱印帳裏表紙
オリジナル御朱印帳表紙(左)、同御朱印帳裏表紙(中左)、花丸遊印録コラボオリジナル限定御朱印帳表紙(中右)、同御朱印帳裏表紙(右)
常磐神社例祭
例祭は1874(明治7)年5月12日、現在地に遷座されたことに由来し、曜日に関係なくこの日に行われている。 同日に行われる神事では、神社本庁から御差遣された献幣使が御幣物をたてまつる。 また、巫女が神楽「偕楽舞」を奉奏などが行われる。 近くの日曜日に神輿の渡御、神幸祭が執り行われる。 正午に宮出し、続いて義公祠堂で祭儀を行う。その後、水戸の駅前通りから常磐神社まで神輿の渡御を行う。
常磐神社神幸神輿 常磐神社神幸御旅所
常磐神社神幸祭で水戸市街の神輿渡御(左)、御旅所の義公祠(水戸黄門神社)での神事(右)
常磐神社神幸宮出 常磐神社神幸囃子
常磐神社神幸祭での宮出し(左)、同じく常磐神社神幸祭での石岡・若松組のお囃子(右)
常磐神社例祭神事 常磐神社例祭参進
常磐神社例祭の拝殿前(左)、同じく例祭で神職の参進(右)
常磐神社の桜
常磐神社境内には多くの桜がある。
常磐神社拝殿東桜
常磐神社拝殿東側にある桜
常磐神社義烈館桜 常磐神社東鳥居桜
義烈館前にある桜(左)、東側の鳥居の場所にある桜(右)
常磐神社室田義文の桜
常磐神社境内にある染井吉野。奉納者は水戸出身の室田義文。外交官、貴族院議員をつとめた。奉納者からこう呼ばれている。 1921(大正10)年ごろの植樹で、樹齢100年を超え、茨城県内でも有数の染井吉野の老木という。
常磐神社室田義文桜
室田義文の桜
常磐神社の紅葉
常磐神社境内には多くの紅葉する樹木がある。
常磐神社入口銀杏
常磐神社の入口階段脇にある大銀杏
常磐神社紅葉東鳥居 常磐神社紅葉
常磐神社の紅葉、東口鳥居付近(左)、同じく常磐神社参道と偕楽園の間の紅葉(右)
茨城県護国神社
祭神は、幕末から明治維新以来、日清、日露戦争、太平洋戦争に至る事変戦役などにおいて、戦死された茨城県出身の63,494柱の英霊を祀っている。 常磐神社内にあった招魂社を開基とし、1878(明治11)年社殿が造営された。1939(昭和14)年護国神社となり、1941(昭和16)年現在の場所に遷座した。 先祖供養や学問成就、子育てなどに御利益があるという。桜の名所として知られる。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市見川1−2−1。茨城県護国神社の地図
護国神社 茨城県護国神社御朱印
護国神社社殿(左)、御朱印(右)
桜の宮 護国神社鳥居
境内にある「ねがい桜」を祀る桜の宮=祭神は木花開耶姫(左)、護国神社鳥居(右)
茨城県護国神社の桜
護国神社は桜山にあることもあり、境内にも多くの桜がある。
護国神社桜
護国神社の桜
吉田神社
常陸国三之宮。祭神は日本武尊。日本武尊が、東征の時に、この地で兵を休ませたことにちなんで創建されたという。 5世紀末の創建と伝えられ、日本武尊を祀る神社としては日本最古の歴史がある。延喜式では名神大社。 江戸時代には水戸徳川家の崇敬を受け、光圀公が社殿を修築したほか、斉昭公のとき、領内総鎮守となった。旧県社。 家内安全、商売繁盛、学業成就、交通安全などに御利益がある。
秋季例大祭は10月15日に近い金、土、日曜日に行われる。 水戸市下市地区の祭礼として神輿が地区内を渡御するほか多くの山車が出てにぎわいを見せる=下記参照=。
また、境内にある天満宮には合格祈願で訪れる人が多い。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。
御朱印、オリジナル御朱印帳有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市宮内町3193−2。吉田神社の地図
吉田神社 吉田神社
吉田神社拝殿(左)、同じく本殿(右)
吉田神社随神門 吉田神社天満宮
随神門(左)、境内に祀られている天満宮(右)
吉田神社御朱印 吉田神社吉田天満宮御朱印 吉田神社縁結び笹
御朱印(左)、境内にある吉田天満宮の御朱印(中)、縁結びの笹(右)
吉田神社秋季例大祭
水戸市宮内町に鎮座する常陸国三之宮、吉田神社の祭礼。10月15日に近い金、土、日曜日に行われる。 金曜日が例大祭神事と境内に山車が集結する夜祭。土曜日に神輿が出御し氏子町内を巡る神幸祭、日曜日には神社に神輿が戻る還幸祭となる。 また土曜日及び日曜日は下市地区の通りが歩行者天国となりにぎわいを見せる。
古くは、「吉田神社祭祀」「吉田祭」「吉田明神祭」などと呼ばれ、江戸時代から続くという伝統がある。 水戸市指定無形民俗文化財。
山車などの詳細は吉田神社例大祭へ。
吉田神社秋季例大祭神輿
吉田神社秋季例大祭、神輿
吉田神社秋季例大祭山車競演 吉田神社秋季例大祭歩行者天国山車競演
吉田神社秋季例大祭、夜祭で勢ぞろいした山車の競演(左)、歩行者天国での山車の競演(右)
吉田神社の枝垂桜
吉田神社の社殿前にある枝垂桜。このほか境内には多くの桜がある。
吉田神社の枝垂桜
吉田神社の枝垂桜
薬王院
吉田山神宮寺薬王院。天台宗の寺。延暦年間(782〜806年)、桓武天皇の勅願で、伝教大師最澄の創建とされる。 明治維新までは、吉田神社の別当寺だった。 本堂は、1527(大永7)年火災で焼失、1529(享禄2)年の再建。桁行7間、梁間5間の大規模なもの。 室町時代の建築様式を伝えるものとして、国の重要文化財に指定されている。 堂内には、本尊で茨城県の文化財に指定されいる木造薬師如来坐像と、木造十二神将像が安置されている。 また仁王門は、貞享年間(1684〜88年)の建立、茅葺の八脚門。桁行6.8m、梁行6.4m。茨城県の文化財に指定されている。 境内には歓喜堂があり、歓喜天が安置され、夫婦和合の仏様として信仰されている。 天台宗水戸10か寺のひとつ。
茨城百八地蔵尊霊場第2番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市元吉田町682。薬王院の地図
薬王院本堂 薬王院御朱印
本堂(左)、御朱印(右)
薬王院仁王門 薬王院
仁王門(左)、八角形の堂(右)
薬王院門 薬王院回向堂
四脚門(左)、回向堂(右)
六地蔵寺
倶胝密(ぐてみつ)山聖宝院六地蔵寺。真言宗豊山派。807(大同2)年ないし、891(寛平3)年の創建とされるが詳細は不明。 室町時代、宥覚上人が中興。古くは六蔵寺と呼ばれた。 本尊は寺の名のとおり、行基作とされる6体の地蔵菩薩。安産、子育て、心願成就に御利益がある。 徳川光圀公ゆかりの枝垂桜が有名で、桜の名所となっている。樹齢1100年余の大杉、樹齢800年の銀杏などが境内にある。
地蔵堂は1991(平成3)年に改修及びそれに伴い調査が行われ、3度目の建立で、1700(元禄13)年11月6日の上棟であることがわかった。 法宝蔵は、光圀公の建立で古文書や密教の法具などが収められている。四脚門は茨城県指定文化財。
墓地には、彰孝館総裁の立原翠軒や大日本史の編纂に尽力した栗田寛の墓がある。
関東百八地蔵尊霊場第57番札所。茨城百八地蔵尊霊場第108番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市六反田町767。六地蔵寺の地図
六地蔵寺本堂 六地蔵寺御朱印
六地蔵寺本堂(左)、御朱印(右)
六地蔵寺地蔵堂 六地蔵時法宝蔵
六地蔵寺地蔵堂(左)、法宝蔵(右)
六地蔵時四脚門
四脚門
六地蔵寺の枝垂桜
六地蔵寺の本堂前にある枝垂桜。徳川光圀公が鑑賞したという枝垂桜の子孫。
六地蔵寺の枝垂桜
六地蔵寺の枝垂桜
安国寺
萬年山安国寺。曹洞宗の寺。本尊は釈迦牟尼仏。創建は1663(寛文3)年とされるが、1590(天正18)年とも。 山門は1993(平成5)年の再建で洞林門(どうりんもん)と呼ばれる。本堂前に大きな枝垂桜がある。
水戸市大足町1184−1。安国寺の地図
安国寺本堂 安国寺山門
安国寺本堂(左)、山門(右)
安国寺の枝垂桜
萬年山安国寺の本堂前にある枝垂桜。夜はライトアップも行われる。
安国寺枝垂桜
安国寺の枝垂桜
安国寺枝垂桜夜 安国寺枝垂桜夜門
ライトアップされた安国寺の枝垂桜(左)、同じく山門の石畳に水を張った水鏡に写る桜(右)
長福寺
塩崎山密厳院長福寺。天台宗の寺。創建は貞観元(859)年とされる。開基は慈覚大師円仁。 本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作という。中興開山は栄尊和尚。天台宗水戸10か寺のひとつ。
本堂は1344(康永3)年栄尊和尚によって再建されたが、1839(天保10)年に焼失した。 現在の本堂は、1841(天保12)年の再建。天狗党の乱では、幕府追討軍の本営が置かれた。 2015(平成27)年12月、鐘楼完成。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市塩崎町1135。長福寺の地図
長福寺本堂 長福寺御朱印
本堂(左)、御朱印(右)
長福寺鐘楼 長福寺山門
鐘楼(左)、山門(右)
善重寺
遍照山光明院善重寺。親鸞聖人二十四輩第12番。真宗大谷派。1232(貞永元)年、親鸞聖人の高弟、善念坊の開基。 もと現在の笠間市にあったが、その後、現在の水戸市内に再建され、さらに江戸時代、徳川光圀の命で現在地に移ったという。 境内にある聖徳太子堂には、徳川光圀が寄進したという、木造聖徳太子立像がある。鎌倉時代末期のものと見られ、伝湛慶作。 像は毎年、太子の命日とされる2月22日の午前11時〜正午まで一般公開される。
水戸市酒門町2096−2。善重寺の地図
善重寺本堂
善重寺本堂
善重寺太子堂 善重寺門
善重寺の太子堂(左)、同じく門(右)
祇園寺
壽昌山(じゅしょうざん)。曹洞宗。1692(元禄5)年、徳川光圀の開基で、明の帰化僧・心越禅師(しんえつぜんじ)=東皐心越(とうこう しんえつ)=の開山。禅宗壽昌派の本山。 心越禅師は、1677(延宝元)年来日、1681(天和元)年、徳川光圀公の招請で水戸の岱宗山(たいそうざん)天徳寺に住した。 1692(元禄5)年、天徳寺を明代寺院様式に改築し、壽昌派の本山として開堂した。1695(元禄8)年には、幕府の許しを得て、総本山祇園寺と公称。京都の南禅寺と同格と心得るべき台旨を受ける。 1712(正徳2)年、4世大寂界仙(だいじゃくかいせん)の時、もとの天徳寺を河和田村に移し、そのあとを祇園寺として、心越禅師をもって開山とした。 大寺院として隆盛を誇ったが、1859(安政5)年、火災で堂宇を焼失した。 境内には、水戸市生まれの洋画家・中村彝の墓がある。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市八幡町11−69。祇園寺の地図
祇園寺本堂 祇園寺御朱印
祇園寺本堂(左)、御朱印(右)
祇園寺山門 祇園寺宝仙殿
山門(左)、宝仙殿(右)
桂岸寺
大悲山保和院桂岸寺。水戸谷中の二十三夜尊、二十三夜様として親しまれている。 1682(天和2)年、水戸藩家老中山信正の供養のため、子の松岡館主中山備前守信治が建立した。 壇海(だんかい)和尚の開山と伝えられる。本尊の勢至菩薩は、佐竹貞義の護持仏で、行基作と伝わっており、開運の神様として広く信仰を集めている。 当初は香華院と称したが、1694(元禄7)年、徳川光圀公の命により、保和院と改める。寺に隣接して、徳川光圀公が愛した日本庭園、保和苑がある(下記参照)。 1878(明治11)年、火災により伽藍を焼失した。その後、本堂、仁王門、愛染堂を再建した。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
茨城百八地蔵尊霊場第1番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
水戸市松本町13−19。桂岸寺の地図
桂岸寺本堂 桂岸寺御朱印
桂岸寺本堂(左)、御朱印(右)
桂岸寺仁王門門 桂岸寺水戸黄門像
仁王門(左)、境内にある水戸黄門像(右)
保和苑
元禄時代、徳川光圀公が桂岸寺の庭園を愛し保和園と名付けた。その後、昭和初期に池と築山を中心にした純日本庭園となり、名称も現在の保和苑となった。 1950(昭和25)年に桂岸寺から水戸市に移管され、苑の拡張と紫陽花の植栽が行われた。
水戸市松本町13−19。保和苑の地図
保和苑
保和苑
保和苑の紫陽花
約100種類、およそ6000株の紫陽花が植えられている。花の時期には同苑を中心に「水戸のあじさいまつり」が開催される。
保和苑の紫陽花
保和苑のアジサイ
報仏寺ほうぶつじ
法喜山。真宗大谷派。1218(建保6)年、親鸞の直弟子、唯円が開いた寺。その後衰えたが1689(元禄2)年、徳川光圀が再興した。 境内には、水戸市の保存樹にも指定されている枝垂桜がある。 寺宝の金銅大黒天像は室町時代作とされ、像高3.3?p、茨城県指定重要文化財。境内は河和田城のあった場所。
なお唯円は、親鸞の教えをまとめた仏教書『歎異抄』の編者とされる。
水戸市河和田町887。報仏寺の地図
報仏寺
報仏寺本堂
報仏寺の枝垂桜
報仏寺の本堂前にある枝垂桜。
報仏寺しだれ桜
報仏寺の枝垂桜
妙徳寺
隠井山高在院妙徳寺。日蓮宗。1293(永仁元)年、加倉井領主、波木井実氏が母、妙徳尼の菩提を弔うため建立。開山は、日蓮の高弟、日高上人。 昭和初期の大横綱・双葉山が日蓮宗に帰依した祈願所として知られる。現在の寺は加倉井館跡にある。
水戸市加倉井町909。妙徳寺の地図
妙徳寺
妙徳寺
佛性寺
涌石山大日院佛性寺。天台宗の寺。天長年間(824〜834年)、慈覚大師円仁(えんにん)の創建。本尊は大日如来。 本堂は全国的にも珍しい八角形で、1585(天正13)年の建立と推定される。室町時代の建築様式を伝え、国の重要文化財に指定されている。 東日本大震災の影響で2011(平成23)年から2014(平成26)年まで解体保存修復工事が行われた。 1693(元禄6)年、本堂の正面が東側に変更されたことが判明、工事では創建当時と同じ南向きにされた。天台宗水戸10か寺のひとつ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
茨城百八地蔵尊霊場第107番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
水戸市栗崎町1985。佛性寺の地図
佛性寺本堂 佛性寺御朱印
佛性寺本堂(左)、御朱印(右)
佛性寺山門 佛性寺堂
佛性寺山門、門の前には石像の仁王像がある(左)、堂(右)
水戸駅
水戸市の玄関口となるJR常磐線の駅。JR水郡線、JR水戸線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が乗り入れている。 乗降者数は1日平均約6万人で、茨城県内ではJR常磐線取手駅に次いで2番目。
1889(明治22)年1月16日、水戸線の開通時に終着駅として開業。その後駅舎は1914(大正3)年5月20日、火災で焼失、さらに1945(昭和20)年8月2日には、水戸大空襲で焼失している。 現在の橋上駅舎は1984(昭和59)年に完成した。また、1974(昭和49)年の茨城国体にあわせ、同年南口を開設。
水戸市宮町1−1−1。水戸駅の地図
水戸駅北口
水戸駅北口
水戸駅北口 水戸駅南口
水戸駅北口出入口(左)、同じく南口(右)
偕楽園駅
梅まつりの時期だけ、水戸駅と赤塚駅の間に設けられるJR常磐線の臨時駅。 1925(大正14)年2月2日、「公園下」の名称で開業。当時は仮降車場扱いで、降りることしか出来なかった。 1967年(昭和42年)、「偕楽園」に名称変更。1969年(昭和44年)、仮乗降場となり、乗車も可能になった。 1987(昭和62)年、臨時駅になった。
駅は、偕楽園の東門下にあり、下り線の線路にホームがあるだけの簡単なもの。上り線のホームはない。 梅祭り期間中の土日祝日に限り、午前9時10分〜午後3時30分まで営業する。年間でおよそ10日前後しか利用できない幻の駅でもある。
下りのホームしかないため、降車の場合、東京方面及び茨城県南部、小山(栃木)方面からの利用者はそのまま下車できるが、水戸、日立方面からの場合、次の赤塚駅で折り返す必要がある。 反対に、乗車の場合、水戸、日立方面へ行く場合はそのまま下り電車に乗車できるが、東京方面をはじめとする上り電車を利用する場合は、次の水戸駅で折り返す必要がある。 なお、ホームの長さが短いため、一部の特急電車は、ドアが開かない車輌がある。
1993(平成5)年、水戸市で開催された「全国都市緑化フェア」期間中は、上りホームも設置された。
水戸市常磐町6090。偕楽園駅の地図
偕楽園駅ホーム
偕楽園駅ホーム
京成百貨店
水戸駅前通りにある百貨店。現在の店舗は2006(平成18)年3月17日オープン。地下2階地上10階建ての店舗で、売り場は、地上地下1階から地上9階まである。 延べ床面積約57000平方m、売り場面積は33500平方m。店舗併設の立体駐車場がある、620台収容。 アートギャラリーや催事場が充実。1階は、著名なブランドショップのほか、地元の店が集まった「パサージュ」がある。8階は専門店街、また9階はレストラン街「スカイガーデン」となっている。
同店は、1908(明治41)年5月、現在の常陸太田市中城町で志満津呉服店として創業。1946(昭和21)年10月、水戸店を開業。 1949(昭和24)年7月、志満津百貨店となる。1971(昭和46)年5月、京成電鉄と提携し、京成志満津百貨店、本店を水戸市に移した。 さらに1975(昭和50)年、水戸京成百貨店と改称した。 1982(昭和57)年3月には、新会社、水戸京成百貨店に移行している。 2006(平成18)年の新店舗オープンにあわせ、店舗名をそれまでの「水戸京成百貨店」から「京成百貨店」に改称した。
水戸市泉町1−6−1。京成百貨店の地図
エクセル
水戸駅ビル。北口にある6階建ての商業施設。1985(昭和60)年3月24日オープン。1階から5階まで専門店、6階に飲食店が入る。
水戸市宮町1−1−1。エクセルの地図
エクセルみなみ
水戸駅ビル。南口ロータリー東側にある6階建ての商業施設。2011(平成23)年5月25日オープン、6月23日グランドオープン。 1、2階が駐車場(130台収容)、3階から5階が商業施設、6階が飲食店。4、5階に茨城県内で唯一のビッグカメラの店舗が入る。 エクセル南口立体駐車場併設(300台収容)。
水戸市宮町1−7−31。エクセルみなみの地図
エクセルみなみ
エクセルみなみ
水戸サウスタワー
水戸駅南口ロータリー西側にある12階建ての商業複合施設。1、2階が駐車場(135台収容)、3階から9階がヤマダ電機LABI水戸店(店舗は3階から7階)、10階と11階が飲食店、12階にはエステなどが入る。 売り場面積は8295平方m。2008(平成20)年11月28日オープン。ヤマダ電機LABI水戸店は、2015(平成27)年5月31日閉店。 2017(平成29)年3月18日、イオン系のファッションを中心にした商業複合施設、水戸オーパ(OPA)が入居し、グランドオープン。
水戸市宮町1−7−33。水戸サウスタワーの地図
水戸オーパ 水戸サウスタワー
水戸OPAとして生まれ変わったサウスタワー(左)、同じくヤマダ電機入居時代(右)
水戸中央郵便局前の銀杏並木
水戸駅北口、水戸中央郵便局付近に銀杏並木がある。
水戸中央郵便局前の銀杏並木
水戸中央郵便局前の銀杏並木
大銀杏
水戸駅北口の駅前通りにある。1945(昭和20)年8月2日未明の水戸大空襲で焼夷弾を浴び幹の樹皮がはがれるなど黒焦げとなってしまい誰もが枯れたと思ったが その生命力は強く生き残っており、水戸の戦後の復興のシンボルとして、あるいは平和の象徴として水戸の街を見守ってきた銀杏。
水戸市三の丸。大銀杏の地図
大銀杏紅葉 大銀杏
紅葉した大銀杏(左)、青葉の銀杏(右)
水戸大神楽
水戸大神楽は、獅子舞によって悪霊を祓い、曲芸を演じるもので、旧水戸藩御用の格式を持つ。 茨城県指定無形民俗文化財。現在は、柳貴家正楽社中と同社中から分かれた柳貴家勝蔵社中がある。
水戸大神楽獅子 水戸大神楽玉
水戸大神楽柳貴家正楽社中の獅子舞(左)、同じく曲芸(右)
水戸大神楽桝 水戸大神楽
水戸大神楽柳貴家正楽社中の曲芸(左)、同じく同社中の曲芸(右)
ケーズデンキ
日本全国に約400店舗ある家電量販店・ケーズデンキは水戸市が創業地。現在も本社所在地(水戸市桜川1−1−1)である。
ケーズデンキは、1947(昭和22)年3月、加藤電機商会として水戸市元台町で創業。1955(昭和30)年10月に法人化、1971(昭和46)年5月、商号をカトーデンキとした。 1973(昭和48)年9月に株式会社となっている。1997(平成9)年11月、ケーズデンキに商号変更、2007(平成19)年には持株会社化し、ケーズホールディングスとなっている。 この間、1988(昭和63)年4月、株式店頭公開、2001(平成13)年2月、東京証券取引所2部上場、2002(平成14)年3月には東京証券取引所1部に指定替えとなっている。
水戸市元吉田町、国道6号と国道50号の酒門交差点かどに、水戸本店がある。
水戸市元吉田町1944−12。ケーズデンキ水戸本店の地図
イオンモール水戸内原
旧イオン水戸内原ショッピングセンター。敷地面積約149000平方m、建物の延べ床面積は焼く151000平方m、売り場面積は約71000平方m。 2005(平成17)年11月11日オープン、イオン水戸内原店のほか、TOHOシネマズはじめ約180の専門店が入居する。 駐車場は約4000台。
水戸市中原町135。イオンモール水戸内原の地図
水戸黄門神社
徳川光圀公生誕の地に建てられた神社。水戸駅の北側にある。水戸藩家老・三木仁兵衛之次の屋敷があった場所で、光圀公は1628(寛永5)年、 初代藩主、頼房の第3子として誕生した。そして4歳まで三木家の子としてここで育てられた。 その後、水戸家の継嗣と決まってからは江戸の藩邸に移ったとされる。
水戸市三の丸2。水戸黄門神社の地図
黄門神社
水戸黄門神社
徳川ミュージアム
旧彰考館徳川博物館。水戸徳川家に伝わる歴史的資料を保存整理するとともに、広く社会に還元し文化の向上に貢献することなどを目的に、 水戸徳川家13代当主徳川圀順公が、それら大名道具や大日本史編纂資料などの歴史的資料を寄贈して設立された財団法人水府明徳会が管理運営して、1977(昭和52)年開館。 所蔵品は、徳川家康公の遺品はじめ、光圀公ら歴代藩主ゆかりの品、約3万点と、 大日本史の編纂所「彰考館」の流れをくむ彰考館文庫が敷地内にあり、そこには大日本史の草稿本や、その編纂のために全国から集められた古文書類約3万点がある。 2011(平成23)年4月、公益財団法人徳川ミュージアムに改組、現在の名称となった。 また、三つ葉葵の紋が入った印籠や印籠携帯ストラップなどのオリジナルグッズが売店で販売されている。
水戸市見川1−1215−1。彰考館徳川博物館の地図
茨城県立歴史館
茨城県の歴史に関する資料の収集と保存、展示を行っている。茨城県立水戸農業高校の移転した跡地に1974(昭和49)年9月開館。
常設展は、県内の歴史を「原始・古代」「中世」「近世」「近現代」のコーナーで展示。加えて常陸風土記の世界、平将門の乱、大日本史の編纂、天狗党事件などの歴史にスポットを当てている。 また、徳川慶喜公ゆかりの品を展示した一橋徳川家記念室があるほか、閲覧室、講堂、茶室などを備える。
敷地内には、旧水海道小学校本館(茨城県指定文化財)や旧水戸農業高等学校本館が復元されている。銀杏並木で知られる(下記参照)。
開館時間は午前9時30分〜午後5時。月曜日休館。入館料は大人150円、大学生80円、高校生以下無料。 特別展開催期間は大人580円、大学生300円、高校生以下無料。庭園のみの利用は無料。駐車場有。
水戸市緑町2−1−15。 茨城県立歴史館の地図
茨城県立歴史館 旧水海道小学校本館
茨城県立歴史館(左)、敷地内にある旧水海道小学校本館(右)
茨城県立歴史館の銀杏並木
銀杏並木は、茨城県立水戸農業高校時代の1952(昭和27)年、サンフランシスコ講和条約が発効し日本が独立を回復したことを記念し植えられたもので、 当時の生徒や教職員が植えたもの。約60本の銀杏があり、見頃は11月初旬から下旬。紅葉時期には「歴史観いちょうまつり」も開催され、ライトアップなどさまざまなイベントも実施される。
茨城県立歴史館銀杏並木
茨城県立歴史館の銀杏並木
茨城県近代美術館
1988(昭和63)年に完成した。茨城県出身の芸術家をはじめ、近現代の国内外の美術品1700点以上を有している。 1階では所蔵品を展示する常設展示、2階は企画展示が行われる。また、敷地内には、水戸市出身の洋画家・中村彝のアトリエを新築復元し、彝の遺品や資料を公開展示している。
開館時間は午前9時30分〜午後5時まで。月曜日休館(梅まつり期間中などは開館)。年末年始及び展示替えで臨時休館有。 入館料は一般300円、高校生大学生230円、小中学生170円。企画展期間中は別料金。駐車場有。
水戸市千波町666−1。 茨城県近代美術館の地図
茨城県近代美術館
茨城県近代美術館
茨城県近代美術館前の銀杏並木
茨城県近代美術館の東側にある。
茨城県近代美術館銀杏並木
茨城県近代美術館前の銀杏並木
水戸市植物公園
面積約8万平方mの規模を誇る植物公園。1987(昭和62)年4月開園。 隣接する清掃工場の熱を使った鑑賞大温室が特徴。熱帯果樹温室、植物館、芝生園、ロックガーデン、湿生花園などから成る。 樹木2万8千本、草花14万6千本余りがある。温室には1万5千本の植物がある。
開園時間は午前9時〜午後5時(入園は午後4時まで)。月曜日、年末年始休園。入園料は一般300円、小中学生150円。駐車場有、無料。
水戸市小吹町504。水戸市植物公園の地図
茨城県立図書館
水戸市三の丸にあるその名の通り茨城県立の図書館。旧水戸城跡にあり、現在の図書館は、旧茨城県庁舎の議会棟を改修して 2001(平成13)年3月に開館した。蔵書数は10万冊弱。2021(令和3)年にリニューアルされ、1階に民間のカフェが設置された。
施設は敷地面積は約2647平方m。鉄筋コンクリート造、地下1階、地上3階、塔屋1階建て、建築面積は約2477平方mで、 延床面積は約8700平方m。 1階は総合カウンター、エントランスホール、休憩コーナー、ギャラリー、新聞雑誌コーナー、智聴覚コーナー、こどもとしょしつ、 おはなししつ、児童図書研究室などがある。2階には人文科学コーナー、自然科学コーナー、郷土資料室、視聴覚ホール・閲覧室などがある。 3階は、事務室のほか会議室、ボランティア室などがある。
同館は、1903(明治36)年、水戸市上市に設置、1904(明治36)年11月、旧水戸城内、現在の水戸二中がある場所に建物が完成。 翌1905(明治37)年4月26日に開館した。1945(正和20)年8月戦火によりすべてを焼失。 同年12月、茨城県立水戸商業高等学校の校舎の一部を仮館舎として再開。1956(昭和31)年2月1日、旧図書館開館。 2000(平成12)年12月、現在の図書館への移転のため旧図書館閉館。2001(平成13)年3月24日、現在の図書館が開館する。
開館時間は午前9時から午後8時(土日祝日は午後5時まで)、休館日は月曜日、年末年始(12月29日から1月3日)及び 図書整理のため休館とすることがある。
水戸市三の丸1−5−38。 茨城県立図書館の地図
茨城県立図書館
茨城県立図書館
茨城県立図書館の桜
茨城県立図書館の入口、西側のお堀にある桜。
茨城県立図書館入口桜
茨城県立図書館の入口にある桜
水戸市民会館
水戸駅前通り沿いに2023(令和5)年7月2日移転オープンした。2000人収容の大ホールは茨城県内最大規模。 市民会館本来の利用に加え市民の芸術文化活動の向上、日常的なにぎわい交流の場として位置付けられている。 道の向かい側にある京成百貨店とは横断歩道強で結ばれている。
敷地面積約8284平方m、建物は鉄筋コンクリート造一部鉄骨造及び木造で地上4階、地下2階、延べ床面積は 約23232平方m。大ホール(2000席)、中ホール(482席)、小ホール、展示室、やぐら広場、 スタジオ(多目的室、調理室、音楽室、工作室)、和室、会議室などがある。 なお水戸市には、1972(昭和47)年に開館した水戸市民会館が水戸市役所脇にあったが2011(平成23)年3月11日に発生した 東日本大震災で施設が破損し使用が停止されていた。
2023(令和5)年12月8日から10日まで開催されたG7茨城水戸内務・安全担当大臣会合の主会場となった。
水戸市泉町1−7−1。 水戸市民会館の地図
水戸市民会館
水戸市民会館
水戸のだるま市
下市のだるま市。江戸時代から商人の町としてにぎわう下市地区の本町商店街(ハミングロード)で毎年1月8日に開催される。 商売繁盛、家内安全、合格祈願などの達磨を売る多くの達磨露店はじめ、飲食の露店や地元商店街が売り出しを行い多くの買い物客でにぎわう。 会場には市神さまとして崇拝される市杵姫神社の御仮屋が設けられる。また、商店街の道路は歩行者天国となる。
水戸市本町。 ハミングロードの地図
だるま市達磨露店
だるまの露店
だるま市看板 だるま市露店
だるま市の看板(左)、だるま市での飲食の露店(右)
逆川緑地
水戸市内を南から北に流れ桜川に合流する逆川とその両側の斜面林からなる。ピクニック広場、湿性植物観察エリア、 いきものたちの広場、野鳥たちの森、歴史広場などが整備されている。また2.2kmのウオーキングコースがある。
水戸市千波町。逆川緑地の地図
逆川緑地歴史の広場
逆川緑地歴史の広場
逆川 逆川水神橋
逆川(左)、水神橋(右)
笠原水道
笠原水道は、水に困っていた下市地区の人たちのため、1662(寛文2)年、2代藩主徳川光圀公の命で工事着手、翌年に完成した。 笠原地区にある湧き水を水源(笠原水源=下記参照)とし、下市地区まで約10.8kmを主に岩樋で結んだ。日本国内で18番目の水道施設。
1826(文政9)年に建立された「浴徳泉記」は、彰考館総裁の藤田幽谷による笠原水道の歴史や改修の記録を残した碑。
水戸市千波町。笠原水道の地図
笠原水道岩樋 浴徳泉記碑
笠原水道の再現された岩樋(左)、浴徳泉記碑(右)
笠原水源
笠原水道の水源。笠原水道は1663(寛永3)年完成した。 明治時代、下市地区の街角にあった竜頭共用栓(復元)から水源地の水を汲むことができる。 ただこの水は、水源地の水そのものではなく、塩素を加え、水道水としての基準を満たしている水。
水戸市千波町。竜頭共用栓の地図
竜頭共用栓
竜頭共用栓
水戸市水道低区配水塔
水戸市街の低地部分に給水するため建設された給水塔。1932(昭和7)年完成。1999(平成11)年まで使われていた。国登録有形文化財。 設計は水戸市水道技師後藤鶴松。高さ21.6m、直径11.2mの円筒形。1回入口部分や2階の正面及び窓には装飾が施されている。 このモダンな建物は、建築当時、水戸の新名所として評判になったという。 土木学会選奨土木遺産、近代水道百選にも選ばれている。
水戸市北見町1−11。水戸市水道低区配水塔の地図
水戸市水道低区配水塔
水戸市水道低区配水塔
水戸東武館
剣道、なぎなた、居合の各部がある。また北辰一刀流剣術、新田宮流抜刀術の道場としてしられる。 北辰一刀流剣術、新田宮流抜刀術は水戸市指定無形文化財、建物は水戸市指定文化財。 1874(明治7)年、弘道館の剣術方教授だった小沢寅吉によって、水戸藩家老小山小四郎屋敷跡に建てられた。 1939(昭和14)年に拡張されたものの1945(昭和20)年の空襲で焼失。 現在の建物は全国有志の浄財により1953(昭和28)年に再建されたもの。武家屋敷風の門構えと建物が特徴。 床板は全て5間通し、幅5寸、厚さ1寸2分の杉材が用いられている。 また、敷地内には俳人、高野素十による「冬木伐って水戸東武館興る」の句碑が建立されている。
水戸市北見町2−15。水戸東武館の地図
水戸東武館
水戸東武館
三の丸緑地の桜
県庁三の丸庁舎の北側、水戸市水道低区配水塔と水戸東武館の間にある緑地公園の桜。
水戸市北見町126−32。三の丸緑地の地図
三の丸緑地桜
三の丸緑地の桜
大塚池
国道50号と国道50号バイパスの合流点近くにある池。周囲約2.5km。冬には白鳥が飛来する池として知られる。 池の周囲は公園として整備されており、遊歩道などもある。
水戸市大塚町。大塚池の地図
大塚池
大塚池
七ツ洞公園
サーペンタインと呼ばれる5つの池と5つのダムを中心に整備された自然豊かな水と森の公園。また、本格的な英国式庭園がある。 英国式庭園では映画のロケなども行われている。
水戸市下国井町2243。七ツ洞公園の地図
七ツ洞公園 七ツ洞公園島
七ツ洞公園(右)、同じく島と休憩施設(右)
七ツ洞公園廃墟 七ツ洞公園路
七ツ洞公園のフォリー(右)、同じく池沿いの遊歩道、森の小路(右)
別雷皇太神
「水戸の雷神様」として知られる。祭神は別雷命。724(神亀元)年、常陸国主藤原宇合(ふじわらのうかい)が、蝦夷討伐に向かう際、京都の上賀茂神社の分霊を迎え祀ったとされる。 雷除けの神様として広く信仰されている。また、電気の神様として、1924(大正13)年、関東大震災の復興を記念し、東京上野で行われた「電気博覧会」では、会場鎮護の神として、 同神社の分霊が祀られた。博覧会後は、東京市電気局の崇敬を集め、市バスや市電には全車両に同神社の御札があったという。 日本初の原子力の火が灯った茨城県東海村の原子力発電所では、守護神として祀られている。 最近では、雷が落ちないから転じて、受験に落ちないとして、受験生の人気も集める。関東3雷神のひとつ。 毎年11月3日に「秋季例大祭」を開催、市内を神輿が渡御する=下記参照。 例大祭では「向井町の散々楽」が奉納される=下記参照。
御朱印、オリジナル御朱印帳有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市元山町1−1−57。別雷皇大神の地図
別雷皇太神拝殿
別雷皇太神拝殿
別雷皇太神本殿 別雷皇太神鳥居
本殿(右)、鳥居(右)
別雷皇太神御朱印 別雷皇太神淡島御朱印 別雷皇太神電気御朱印 別雷皇太神聖徳御朱印
別雷皇太神の御朱印(左)、別雷皇太神境内社、淡島神社の御朱印(左中)、同じく境内社、電気神社の御朱印(中右)、 同じく境内社、聖徳養蠶神社の御朱印(右)
別雷皇太神の秋季例大祭
別雷皇太神で毎年11月3日に開催され、市内を神輿が渡御する。 現在担がれている同神社の神輿は、1985(昭和60)年、栃木県石橋町(現下野市)の神輿師、小川政次氏によるもの。 精巧な彫刻が各所に施されているのが特徴。また四方の屋根には三つ葉葵の紋が付けられている。 なお神輿の渡御は、1983(昭和58)年、鎮座1250年奉祝大祭を記念し始まった。
別雷皇太神神輿
別雷皇太神の秋季例大祭で宮出しされる神輿
向井町の散々楽
むかいちょうのささら。「棒ささら」と呼ばれるもので、竹竿の先端につけた3体の獅子の人形が舞う。 2023(令和5)年3月23日、水戸市指定無形民俗文化財。 雄獅子、雌獅子、児獅子の3体からなり、上演内容は子供の神隠しと、子供が戻ってきて喜ぶという家族愛をテーマにしたもの。 ダイナミックな動きも特徴の一つ。江戸時代には水戸東照宮の祭礼や1890(明治23)年の明治天皇水戸巡行の際も上演された記録がある。 現在は別雷皇太神の秋季例大祭で奉納の舞が行われている=上記参照)。
向井町の散々楽
向井町の散々楽
別雷皇太神の桜
鳥居脇や淡島神社前に桜がある。また境内には枝垂桜もある。
別雷皇太神桜
別雷皇太神鳥居脇の桜
別雷皇太神淡島神社桜
別雷皇太神の境内社淡島神社前の桜
神応寺
藤澤山神應寺。時宗の寺。雷除けの寺として知られる。本尊は阿弥陀如来。1591(天正19)年の創建。1680(延宝8)年に現在地に移る。 雷を蹴上げて人を救ったという蹴上げ観音がある。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市元山町。神応寺の地図
神応寺 神応寺御朱印
神応寺本堂(左)、御朱印(右)
有賀神社
祭神は武甕槌命、経津主命。859(貞観元)年、那珂国造建借間命によって藤内に創建された。式内社、藤内神社論社。子供の虫切りに御利益がある。
社殿は、1590(天正18)年に兵火で焼失、翌1591(天正19)年の再建で、この時現在地に移り、鹿島明神と称した。 1873(明治6)年、青木神社を合併、村社となる。1877(明治10)年、有賀神社と改めた。
毎年11月11日には御神体が大洗町の大洗磯前神社へ渡御する「磯渡御」が行われる。「お磯下り」と呼ばれ親しまれている。 磯前神社では盛大に虫きりのお祭りが行われる。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市有賀1028。有賀神社の地図
有賀神社拝殿 有賀神社御朱印
有賀神社拝殿(左)、御朱印(右)
有賀神社本殿 有賀神社鳥居
有賀神社本殿(左)、鳥居から境内(右)
和光院
傳燈山和光院明楽寺。真言宗智山派の寺。本尊は弘法大師作と伝わる延命地蔵菩薩。北関東三十六不動尊霊場第26番札所。 田島の身代わり血不動尊として信仰を集める。
1361(康安元)年、鹿島郡神生村で創建。1498(明応7)年、即也房宥怡(ゆうたい)の中興。 1522(大永2)年、江戸氏が治めていた水戸城郭内に移り、菩提寺として栄える。 その後、江戸氏が佐竹氏に敗れると和光院も茨城町石崎に移り、さらに1595(文禄4)年、現在地に移った。
不動明王像は、紙本着色で室町時代の作とされる。興教大師の筆によるものと伝えられ、不動明王の血で描いたという伝説が残る。水戸氏指定文化財。
不動堂は、桁行三間、梁間三間、正面に唐風一間の向拝がある。1759(宝暦9)年、上棟。水戸市指定文化財。 また、境内の大椎は、推定樹齢500年、幹周り7m、樹高約30m。
北関東三十六不動尊霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市田島町415。和光院の地図
和光院本堂 和光院御朱印
和光院本堂(左)、北関東三十六不動尊霊場第26番札所の御朱印(右)
和光院不動堂 大椎
不動堂(左)、大椎(右)
神崎寺 かみさきじ
笠原山東光院神崎寺。真言宗豊山派の寺。開運水戸不動として信仰を集めてる。北関東三十六不動尊霊場第27番札所。常陸三十三観音霊場第1番札所。 境内には、本堂、観音堂、不動堂、太子堂、鐘楼がある。
斉昭公の命によって、進められた青銅製の大砲製造所「神崎鋳砲所跡」の碑がある。この地で約300門の大砲が作られたという。 また、桜田門外の変で、襲撃側の唯一の戦死者となった稲田重蔵の墓がある。
北関東三十六不動尊霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市天王町8−17。神崎寺の地図
神崎寺本堂 神崎寺鐘楼
神崎寺本堂(左)、鐘楼(右)
神崎寺観音堂 神崎寺塔
観音堂(左)、塔(右)
神崎寺御朱印 神崎寺御朱印
常陸三十三観音霊場第1番札所の御朱印(左)、北関東三十六不動尊霊場第27番札所の御朱印(右)
寶蔵寺ほうぞうじ
佛国山文殊院寶蔵寺。真言宗の寺。本尊は大日如来。1470(文明2)年、賢禅の開基。元は水戸の畑谷にあり、法界寺と称した。 1683(天和3)年、徳川光圀公の命で現在地に移転、寶蔵寺と改めた。境内には大欅などがある。関東八十八ヵ所霊場第33番霊場。 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。
茨城百八地蔵尊霊場第3番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市谷田町633。寶蔵寺の地図
寶蔵寺 寶蔵寺
寶蔵寺本堂(左)、関東八十八ヵ所霊場第33番霊場御朱印(右)
筑波神社
茨城県内で筑波神社が祀られている場所は意外と少ない。そのなかのひとつが水戸市酒門の筑波神社。 創建は不明。また、当初から筑波神社だったかも不明。江戸時代の「天保十一年」(1840年)の銘がある幟には「筑波神社」となっている。
水戸市酒門町3546−1。筑波神社の地図
筑波神社社殿 筑波神社鳥居
筑波神社社殿(左)、鳥居(右)
回天神社
1969(昭和44)年、明治100年を記念して創建された。祭神は、安政の大獄から戊辰戦争に至る水戸藩士及宍戸藩士の尊王殉難者1865柱。
回天は、水戸藩の儒学者、藤田東湖の「回天詩誌」の書名からで「衰えた勢いを盛り返し、もとの正しさに引き戻す」という意味がある。
境内には、同じ形の墓石371基が整然と並ぶ水戸殉難志士の墓がある。これは、幕府軍との戦いで亡くなった志士の墓で、1914(大正3)年に建てられた。 1933(昭和8)年には、忠魂塔が建てられている。また、境内には回天館がある。
水戸市松本町13−33。回天神社の地図
回天神社
回天神社
回天館
回天神社境内にある。1864(元治元)年、天狗党の志士が越前国新保宿(現在の福井県敦賀市)で投降した際、幽閉された16棟の鰊蔵のうちの1棟。 天狗党に関する資料などが展示されている。鰊蔵は、1957(昭和32)年、敦賀市(福井県)の好意により、水戸市が譲り受けたもの。 はじめ常盤神社に移築されていたが、1989(平成元)年、同所に再移築された。
月曜日及び金曜日休館。
水戸市松本町13−33。回天館の地図
回天館
回天館
常盤共有墓地
1666(寛文)年、水戸徳川家第2代藩主光圀公が、菩提寺のない藩士のために創設した墓地。 城下の上市地区に居住する藩士のために用意された。安積澹泊はじめ、藤田幽谷、藤田東湖、藤田小四郎など藩士の墓がある。
水戸市松本町。常盤共有墓地の地図
酒門共有墓地
1666(寛文)年、同じく水戸徳川家第2代藩主光圀公が、菩提寺のない藩士のために創設した墓地。 城下の下市地区に居住する藩士のために用意された。戸田忠太夫、安島帯刀ら藩士の墓だけでなく、第19代横綱常陸山谷右衛門などの墓がある。
水戸市酒門。酒門共有墓地の地図
曝井さらしい
愛宕山古墳近くにある湧き水。水戸市唯一の万葉の遺跡。万葉集では「三栗の中に向へる曝井の絶えず通はむ彼所に妻もが」と詠まれている。 周辺は、万葉曝井の森として整備されている。
水戸市愛宕町。曝井の地図
曝井
曝井
備前堀
江戸時代に整備された用水路。2006(平成18)年2月3日、疎水100選に選ばれている。 桜川の柳堤堰(水戸市柳町)から取水し、国道51号沿いに流れ、涸沼川に結んでいる。全長は約12km。灌漑と桜川、千波湖の洪水防止を目的にしている。 1610(慶長15)年、水戸徳川家初代藩主頼房公が、関東郡代の伊奈備前守忠次に命じて築かれたことからこの名がある。 現在も農業用水として使用されているほか、市街地部分では、水辺を公園などに整備し、市民の憩いの場となっている。 また、備前堀に架かる道明橋上には、伊奈忠次の銅像が経つほか、水戸市本町の備前堀沿いには忠次公を祀った伊奈神社がある。
水戸市。備前堀の地図
伊奈神社 忠次碑
備前堀沿いに祀られている伊奈神社(左)、道明橋上にある伊奈忠次碑(右)
住吉神社
祭神は、上筒男命、中筒男命、底筒男命。航海、漁業の守護神。 創建年月は負傷ながら、939(天慶2)年、平貞盛が、弟の繁盛を遣わして平将門討伐を祈願したと伝わる古社。
水戸市東前874。住吉神社の地図
愛宕神社
祭神は火之迦具土神。938(天慶元)年、平国香が守護神として山城国愛宕の愛宕神社から分霊を常陸府中(現在の石岡市)に勧請した。 1014(長和3)年、国香の子、平貞盛が旧水戸城内に移したとされる。 さらに元亀年間(1570〜73年)、水戸城主の江戸道勝が水戸城外三の丸に遷した。 その後、1580(天正8)年、佐竹義宣により現在地に移された。 江戸時代には水戸徳川家の崇敬厚く、水戸城守護及び火伏の神として信仰されている。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市愛宕町10−5。愛宕神社の地図
愛宕神社拝殿 愛宕神社御朱印
愛宕神社拝殿(左)、御朱印(右)
大井神社
祭神は建借馬命(たけかしまのみこと)。8世紀、この地方を治めていた宇治部氏によって建立されたという古社。 延喜式内小社、那賀(那珂)郡七座筆頭社。
水戸徳川家の崇敬厚く、徳川光圀公が石段を奉納、安政年間には徳川斉昭公の命により現在の拝殿が建立されている。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市飯富町3475。大井神社の地図
大井神社拝殿 大井神社御朱印
大井神社拝殿(左)、御朱印(右)
藤内神社 ふじうちじんじゃ
祭神は経津主命。721(養老5)年の創建とされる。延喜式内小社。 1800(寛政12)年旧暦6月晦日から続くという夏越大祓で行われる輪くぐり祭で知られる。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市藤井町874。藤内神社の地図
藤内神社拝殿
藤内神社拝殿
藤内神社本殿 藤内神社御朱印
藤内神社本殿(左)、御朱印(右)
飯綱神社 いいつなじんじゃ
1594(文禄3)年、大宝八幡宮(下妻市)から分霊を勧請し、赤塚八幡宮として創建。 江戸時代、徳川光圀公の「八幡改め」により水戸領内72の八幡宮とともに祭神変更を命じられた。 このため1698(元禄9)年、境内に祀られていた飯綱権現に改められた。明治時代に飯綱神社となる。
毎年7月第3土、日曜日に開催される夏祭りは境内社、素鵞神社の祭礼。同神社の神輿会「大綱會」による宮神輿、及び子供神輿が出る。 また11月23日は秋祭(旧新嘗祭)が開催される。
御朱印有。正月(午後)及び月次祭の毎月1日及び15日(午前9時〜午前10時30分、8月15日を除く)のみ授与。 御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市東赤塚2173。飯綱神社の地図
飯綱神社拝殿 飯綱神社御朱印
飯綱神社拝殿(左)、御朱印(右)
見川稲荷神社
祭神は倉稲魂命。創建不詳ながら常陸大掾の一族がこの地で箕川氏を名乗り祀ったとされる。 1773(安永2)年2月、氏子3人が改めて京都の伏見稲荷神社から分霊を迎えてきたという。 現在の社殿は2003(平成15)年の完成。 境内社に草薙神社(祭神・日本武尊)、韋駄天宮(祭神・猿田彦大神)、別雷神社(祭神・別雷命)などがある。
一の鳥居は、2021(令和3)年7月31日完成。以前の鳥居は1980(昭和55)年建立の木製鳥居で 後に銅板まいていたが老朽化が進み倒壊の恐れも出てきたことから、天皇陛下の御即位を記念し建て替えを進めていた。 完成したのは鉄製で高さ約5.8m、笠木の幅は約6.5mで朱色に塗られている。束石には稲田石を使用した。 完成を祝い、草薙神社の神輿が出て鳥居をくぐり初めした。
水戸市見川2−19。見川稲荷神社の地図
見川稲荷神社拝殿
見川稲荷神社
見川稲荷神社鳥居 見川稲荷神社草薙神社
見川稲荷神社一の鳥居(左)、同じく境内社、草薙神社(右)
大串稲荷神社
祭神は倉稲魂命。人見氏の勧請という。1681(天和元)年、水戸藩主徳川光圀公の命で、前原の香取神社に寄宮。 1704(宝永元)年、同じく水戸藩主徳川綱条公の命により現在地に移った。水戸徳川家の守護社として、社殿の造営、 社殿の修理や祭祀の費用を負担した。このこともあって水戸徳川家がある西の方向に社殿が向いていると伝えられている。 1708(宝永5)年から水戸七軒町の仮殿までの出社祭礼が行われており、1926(昭和11)年まで続いていた。 1707(宝永4)年に造られた神輿が残る。同神社に伝わる大串のささらばやしは茨城県指定無形民俗文化財。
水戸市大串2251。大串稲荷神社の地図
大串稲荷神社拝殿 大串稲荷神社本殿
大串稲荷神社の拝殿(左)、同じく本殿(右)
銭谷稲生神社 ぜにやいなおいじんじゃ
銭谷稲荷。祭神は、保食神(うけもちのかみ)。江戸時代には寛永通宝を鋳造していた鋳銭場跡。 創建は不詳ながら宝暦年間(1751〜64年)ないし明和年間(1764〜72年)以前の創建とされる。 江戸時代は一般の参拝は認められていなかったが、1878(明治11)年、一般に公開された。
御朱印有。授与は吉田神社社務所。 御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市浜田1−6−33。銭谷稲生神社の地図
銭谷稲生神社 銭谷稲生御朱印
銭谷稲生神社(左)、御朱印(右)
銭谷稲生神社正面 銭谷稲生神社朱鳥居
銭谷稲生神社正面(左)、同じく朱の鳥居(右)
金山稲荷神社
祭神は、金山彦命(かなやまひこのみこと)、金山姫命(かなやまひめのみこと)。 その名の通り、金山、銀山、銅山、石炭山の守護、また金運、商売繁盛、開運招福に御利益ありという。
御朱印有。授与は吉田神社社務所。 御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市元吉田町1429。金山稲荷神社の地図
金山稲荷神社 金山稲荷神社御朱印
金山稲荷神社(左)、御朱印(右)
金刀比羅神社 白梅
祭神は大物主命。五穀豊穣や交通安全、商売繁盛などに御利益。 1766(明和3)年、大火によりこの周辺一帯を焼失。火難救済の神として祀られた。
水戸市白梅4−7−16。金刀比羅神社・白梅の地図
金刀比羅神社白梅
金刀比羅神社社殿
金刀比羅神社白梅鳥居 金刀比羅神社白梅ウサギ
金刀比羅神社鳥居(左)、同じく眷属として祀られているウサギ(右)
八阪神社 本町
祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)。厄除け、無病息災、縁結び、恋愛成就などに御利益。
水戸市本町3−6−29。八阪神社・本町の地図
八阪神社本町
八阪神社
千波神社
祭神は日本武尊。元八幡宮。江戸時代、水戸徳川家2代藩主、徳川光圀公の命により吉田大神を遷される。
水戸市千波。千波神社の地図
千波神社拝殿
千波神社の拝殿
千波神社本殿 千波神社鳥居
千波神社の本殿(左)、同じく鳥居(右)
中根寺
来迎山浄心院中根寺。真言宗豊山派。1224(貞応3)年、文寛律師開山。本尊は行基菩薩作と伝わる延命地蔵尊。 平将門に意見したとの伝説が残り「意見地蔵」と呼ばれる。
境内にある阿弥陀堂は、1221(承久3)年3月16日、恵心僧都作の阿弥陀三尊像を祀ったもの。堂内の四方の壁に仏像1000体を安置しており、常陸千日堂とも呼ばれる。 毎年11月16日にご開帳する。
同じく境内にある摩利支天は、義公時代の剣豪で、新田宮流抜刀の開祖、和田平助の護持仏、摩利支天尊を祀ったもの。 和田平助は、1683(天和3)年、同地で自刃した。摩利支天尊は、その時所持していたもの。
水戸市加倉井町595。中根寺の地図
中根寺 中根寺薬師堂
中根寺本堂(左)、薬師堂(右)
中根寺摩利支天堂 中根寺千日堂
摩利支天堂(左)、千日堂(右)
東光寺
医王山福性院東光寺。天台宗の寺。本尊は薬師如来。
平安末期の創建と伝わる。本尊の薬師如来は秘仏とされ木造座像、平安時代の作とされる。 古くは家に病人が出ると近親縁者7人が堂にこもり平癒祈願したという。 学生野球の父とされる飛田穂洲(すいしゅう)の菩提寺で御朱印には穂洲ゆかりの「一球入魂」の印が押される。
関東九十一薬師霊場第67番札所、関東百八地蔵尊霊場第56番札所、茨城百八地蔵尊霊場第106番札所。 茨城百八地蔵尊霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
水戸市大場町1369。東光寺の地図
東光寺本堂
東光寺本堂
東光寺薬師霊場御朱印 東光寺地蔵尊霊場御朱印
東光寺関東九十一薬師霊場第67番札所御朱印(左)、同じく関東百八地蔵尊霊場第56番札所御朱印(右)
弘道館鹿島神社
祭神は武甕槌大神。1857(安政4)年、水戸徳川家第9代藩主斉昭公は、藩校、弘道館の開館に際し、魂を入れるため仁孝天皇の 勅許を得て神殿を造営、鹿島神宮から分霊を遷祀した。さらに斉昭公自らが鍛えたという「葵くずし八雲鍛え」の太刀を奉納して御神体とし創建した。 1871(明治4)年郷社、1882(明治15)年県社。
同社の社殿は、1974(昭和49)年、第60回伊勢神宮式年遷宮に際し、伊勢神宮別宮「風日折宮」(かざひのみのみや) の旧殿一式の譲渡を受け、1975(昭和50)年5月9日、神明造りの社殿が完成した。 家内安全、交通安全、旅行安全、武道上達、競技必勝などに御利益があるという。社殿は本宮と同じく北向きに建てられている。
御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。
水戸市三の丸1−6−4。弘道館鹿島神社の地図
弘道館鹿島神社 弘道館鹿島神社御朱印
弘道館鹿島神社社殿(左)、御朱印(右)
弘道館鹿島神社の桜
参道などにある桜。
弘道館鹿島神社桜
弘道館鹿島神社、参道入り口の桜
まちなか・スポーツ・にぎわい広場(M−SPO)
南町の駅前通り沿いにある。南町自由広場、ユードムアリーナ、M−SPOスタジオなどからなる。 南町自由広場には、世界的な彫刻家イサム・ノグチ氏のデザインした遊具彫刻「プレイスカルプチェア」が2021(令和3)年9月に設置された。
同地は、デパートの跡地で「水戸のまちなかににぎわいを」コンセプトに2017(平成29)年9月にオープン。 2018(平成30)年8月には南町自由広場を芝生化。さまざまなイベントなどが行われている。
水戸市南町。まちなか・スポーツ・にぎわい広場の地図
南町自由広場
南町自由広場
水戸七夕ランタンフェスティバル
「ランタンに願いを乗せて夜空を照らす」七夕近くの夜空に願いを込めてランタンをリリーズするイベント。千波湖畔の千波公園ふれあい広場で開催。ランタンリリース以外にも ステージイベントやキッチンカーなども出て多くの人出がある。
第1回は2025(令和7)年7月5日(土)、6日(日)の両日開催。
水戸市千波町。千波公園ふれあい広場の地図
水戸七夕ランタンフェスティバル
水戸七夕ランタンフェスティバル
五軒小学校の桜
五軒小学校の周囲にある桜。
水戸市金町3−2−25。五軒小学校の地図
五軒小学校桜
五軒小学校の桜
手子后神社 元石川町
祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。古事記や日本書紀では高天原で機織りをしていた女神とされる。 このため、ものを産み出す力を授ける機織りの神、安産の神として信仰されている。 創建は不詳ながら、鹿島郡東下村羽崎の手子后神社の分霊を勧請したとされる。 伝説では1083(永保3)年、現在の東北地方で起きた後三年の役を平定するため 源義家の軍がこの地を通りかかった際、この神社で戦勝を祈願したという。 またこの時、ある兵士が弓の先で境内の沢を突いたところ清い水が湧き出し軍兵の喉を潤した。 その後大任を果たし京へ戻る途中に立ち寄り、国家鎮護のため京の都のある西の方を向いた社を建立したとされる。
水戸市元石川町1728。手子后神社の地図
手子后神社拝殿 手子后神社本殿
手子后神社拝殿(左)、同じく本殿(右)
渡満道路の桜並木
渡満道路は、1938(昭和13)年にこの地に開設された満蒙開拓団青少年義勇軍の訓練所と内原駅を結ぶ道路。 当時この周辺は松林で満足な道路も無かった。このため義勇軍の訓練生が道路を整備し記念に桜を植樹した。 訓練生が盛大に開催された「渡満壮行式」の後、この道を通って内原駅に向かい満州に渡ったことから「渡満道路」 と呼ばれるようになったという。現在は桜並木が約200mほど残っている。
水戸市内原町。渡満道路の桜並木の地図
渡満道路桜並木
渡満道路の桜並木
水戸八景・新水戸八景
水戸八景は、旧水戸藩内の八つの景勝地で、1833(天保4)年に九代藩主徳川斉昭公が中国の瀟湘(しょうしょう)八景にならい選定した。 旧水戸藩内を対象にしているため水戸市以外の景勝地も含まれる。 1 仙湖の暮雪(せんこのぼせつ)水戸市 2 青柳の夜雨(あおやぎのやう)水戸市 3 太田の落雁(おおたのらくがん)常陸太田市 4 山寺の晩鐘(やまでらのばんしょう)常陸太田市 5 村松の晴嵐(むらまつのせいらん)東海村 6 水門の帰帆(みなとのきはん)ひたちなか市 7 岩船の夕照(いわふねのせきしょう)大洗町 8 広浦の秋月(ひろうらのしゅうげつ)茨城町
新水戸八景は、水戸市内の八景を選定しようと、1996(平成8)年、市民の投票で選ばれた。 1 弘道館周辺と水戸城の壕 三の丸1・2・3丁目 2 保和苑と周辺史跡 松本町・愛宕町・八幡町 3 偕楽園公園と千波湖周辺 常磐町・千波町・見川1丁目 4 水戸芸術館 五軒町2丁目 5 備前堀 柳町から平戸町まで約12km 6 水戸市森林公園と楮川ダム 田野町・成沢町 7 ダイダラボウと大串貝塚ふれあい公園 塩崎町 8 大塚池公園 大塚町
新水戸八景
大串貝塚ふれあい公園にある新水戸八景記念碑
楮川ダム
水戸市の上水道専用ダム。那珂川水系楮川(こうぞがわ)に設けられた重力式コンクリートダム。堤高35m、堤頂長364m、 堤体積99000立方m。集水面積は0.322平方km、湛水面積は0.203平方km。 総貯水容量は197万立方m、利水容量196万立方m。ダム工事は1981(昭和56)年に着工、1986(昭和61)年3月に完成した。 なお楮川単独では湛水できず、約5km離れた那珂川右岸(渡里町)にある導水ポンプ場から取水しダムへ水を入れている。 水戸市で使用する約20日分を貯水している。 隣接地に楮川浄水場がある。浄水能力は日量66000立方m。 ダム湖を一周する周回道路がある。
水戸市田野町。楮川ダムの地図
楮川ダム 楮川ダム湖
楮川ダム(左)、同じくダム湖(右)
楮川ダムの桜
楮川ダムの北側に多くの桜が植えられている。
楮川ダム桜
楮川ダムの上から見た桜
楮川ダムの桜斜面 楮川ダムの桜林
楮川ダム東側の桜(左)、同じく楮川ダム東側の桜(右)
大串貝塚ふれあい公園
国指定史跡・大串貝塚を中心にした歴史公園。この地の伝説の巨人「ダイダラボウ像」が公園のシンボル。 像は、高さ15m25cmもあり、これは奈良の大仏より大きい。像の中は展示スペースになっており、さらに胸の付近に展望室が設けられており、周囲を見渡すことが出来る。 像の近くには、ダイダラボウの足跡の形をした足跡池がある。このほか、縄文広場、アスレチック、埋蔵文化財センターなどがある。
ダイダラボウは、常陸風土記にも記載がある。それによると、身体は大きく、丘の上から手を伸ばして海の大蛤を採って食べたという。 また、貝塚周辺にはダイダラボウのアシコ(足跡)という沼や田が多くあった。 さらにダイダラボウは、筑波山に腰掛け、霞ヶ浦で足を洗ったという伝説があり、筑波山の山頂が2つに分かれているのは、ダイダラボウが座ったためという。
埋蔵文化財センターは、1階が展示スペースの縄文くらしの四季館。2階が資料室や講座室などとなっている。入館無料。開館時間は、午前9時〜午後4時15分まで。月曜日休館。
水戸市塩崎町1010。大串貝塚ふれあい公園の地図
ダイダラボウ像
大串貝塚ふれあい公園のシンボル、ダイダラボウ像
足跡池 文化財センター
足跡池(左)、文化財センター(右)
縄文広場 縄文広場
縄文広場の古代の家(左)、竪穴式住居(右)
くれふしの里古墳公園
牛伏古墳群の古墳を活かした公園。巨大な埴輪形の「はに丸タワー」がシンボル。
前方後円墳6基、帆立型前方後円墳1基、円墳9基からなる。4号墳は復元されており、多くの埴輪で飾られている。また、古墳の上に昇ることも出来る。 はに丸タワーは、高さ17.3m。日本一の埴輪とされる。内部は昇ることが出来、最上部は展望台になっている。
入園は自由、無料。はに丸タワーは午前9時〜午後5時(10月1日〜3月31日までは午後4時)まで。1月1日〜1月3日は閉鎖。 駐車場有、無料。
水戸市牛伏町201−2。くれふしの里古墳公園の地図
はに丸タワー
はに丸タワー
4号墳 4号墳上
復元されている4号墳(左)、4号墳上部(右)
水戸市森林公園
1968(昭和43)年、明治100年を記念して整備が開始された自然公園。 実物大という恐竜の模型が特徴。ティラノザウルス、トリケラトプス、ステゴザウルスなど14体ある。 1981(昭和56)年自然環境活用センター完成、1982(昭和57)年恐竜の森、1991(平成3)年森のシェーブル館、 1997(平成9)年森の交流センターが完成した。 面積は約143ha。
開園時間は午前6時〜午後7時(4月1日〜9月30日)、午前8時30分〜午後5時15分(10月1日〜3月31日)。 駐車場有、無料。入園料無料(一部施設を除く)。
水戸市木葉下町。水戸市森林公園の地図
ディプロドクス
内部が遊具となっているディプロドクス
ティラノサウルス トラコドン
ティラノサウルス(左)、トラコドン(右)
トリケラトプス ステゴサウルス
トリケラトプス(左)、ステゴサウルス(右)

アロサウルス(左)、ブロントサウルス=現在はアパトサウルスと呼ばれる(右)
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