竣工当時の表門と本館(冨重写真所蔵)
建 築
1888(明治21)年文部省の直轄工事として着工し、1889(明治22)年に教室本館、化学実験場などが竣工した。 教室本館は、れんが造二階建て、屋根は寄棟、桟瓦葺きで、内部は南側に廊下、各階に教室が10室ずつ配置されている。れんがの積み方はイギリス積みであり、一階の外壁は2尺(60cm)、2階は 1尺5寸(45cm)程度の厚みがある。 窓は縦長で上げ下げ窓である。内部の壁は漆喰で、天井は換気のため透かし張りとなっている。階段の親柱等には繊細なデザインが施されている。
設計者は、文部省の二人の技師、フランスで学んだ山口半六と工部大学校でイギリス人コンドルの教えを受けた久留正道である。このコンビで第一高等中学校から第五高等中学校までを建築した。 棟札には、設計者の他様々な工事関係者が名を連ねている。熊本市会初代議長を務めた有馬源内が社長だった熊本土木、後に県内有数の建設会社となった徳永慶八、帝国大学卒の菅原恒覧を擁していた佐賀振業社等の名が見える。
top_image
武夫原より立田山を望む
■しかく設計者
山口半六
久留正道
第五高等学校全図
1909(明治42)年2月 当時、工科の生徒であった冨田治禧、渡辺 仁、滝川長雄、天草挟裔の4名が測量、製図したものである。この頃、五高南側、現在の県道337号線に軽便鉄道が走っていた。