扁額 入神致用【勝海舟】(部分)
五高沿革
中学校令により全国5か所に設置された高等中学校の一つで、1887(明治20)年第五高等中学校として創設された。1894(明治27)年の高等学校令により「第五高等学校」と改称した。1887(明治20)年医学部(1901年独立、のちの長崎大学医学部)を長崎に、1897(明治30)年に工学部(1906年独立、のちの熊本大学工学部)を設置した。
五高では帝国大学へ進学するための予備教育が行われ、嘉納治五郎・夏目漱石・ラフカディオ・ハーンなどの優れた教師陣の下、生徒たちは勉学やスポーツ・文化活動、寮生活を謳歌した。卒業生は帝国大学で学んだ後、各界で活躍し日本の近代化をささえた。寺田寅彦・佐藤栄作をはじめとする人材を多く輩出している。 学制改革により、1950(昭和25)年に63年の歴史を閉じ、熊本大学へ統合され、現在へつながっている。
■しかく歴代校長
1887
初代校長
野村彦四郎(のむら ひこしろう)
在任期間:1887(明治20)〜1889(明治22)
■しかく
1890
第2代校長
平山太郎(ひらやま たろう)
在任期間:1890(明治23)〜1891(明治24)
■しかく
1891
第3代校長
嘉納治五郎(かのう じごろう)
在任期間:1891(明治24)〜1893(明治26)
1893
第4代校長
中川 元(なかがわ はじめ)
在任期間:1893(明治26)〜1900(明治33)
■しかく
1900
第5代校長
桜井房記(さくらい ふさき)
在任期間:1900(明治33)〜1907(明治40)
1907
第6代校長
松浦寅三郎(まつら とらさぶろう)
在任期間:1907(明治40)〜1913(大正2)
■しかく
1913
第7代校長
吉岡郷甫(よしおか きょうほ)
在任期間:1913(大正2)〜1921(大正10)
1921
第8代校長
溝渕進馬(みぞぶち すすめ)
在任期間:1921(大正10)〜1931(昭和6)
■しかく
1931
第9代校長
武藤虎太(むとう とらた)
在任期間:1931(昭和6)〜1932(昭和7)
1932
第10代校長
十時 彌(ととき わたる)
在任期間:1932(昭和7)〜1940(昭和15)
■しかく
1940
第11代校長
添野 信(そえの しん)
在任期間:1940(昭和15)〜1944(昭和19)
1944
第12代校長
本島一郎(もとしま いちろう)
在任期間:1944(昭和19)〜1948(昭和23)
■しかく
1948
第13代校長
竹内良三郎(たけうち りょうざぶろう)
在任期間:1948(昭和23)〜1949(昭和24)
1949
第14代校長
河瀬嘉一(かわせ よしかず)
在任期間:1949(昭和24)〜1950(昭和25)
五高徽章
徽章はオリーブと柏の葉、各三葉が交差するデザインで、
オリーブはミネルバの神の象徴で知を表し、柏はマルスの神、すなわち勇を表すものです。
五高の歴史年表